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おいらは「間(あいだ)」の「あいまいさ」が好きなんだよ。

 ふと思ったことだけど、今一番の自分の関心事は「間(あいだ)」のようだ。てか、ここ数年ずっと考えてきたことでもあるなぁ。

 なぜ間なのかっていうと、まず自分自身が間の役割をすることが多かったから。バーテンダーで飲み手と作り手の間に入ったり、ライターとしてインタビューイーと読み手の間に入ったり、コーディネーターとして地域の内と外をつなげる間に入ったり、なんだかそういう“あっち“と”こっち“をつなげたり、関係性を滑らかにすることにもともと興味があるってことだろう。

 また、間ってのは、二項対立のくだらない争いから離れられるってのもある。最近関わったことだと「都会と田舎」という対立があって、べつにこれって間をとって「都会も田舎も」もでもいいじゃんとか思ったのだ。「移住するか/しないか」じゃなくて、間にある交流・関係人口になるってのも選択肢の一つだよね、というのも間の考え方。

 間は、ものすごく“あいまい“な位置・存在がゆえに、わかりづらいし、近づきがたいもののように感じる。けど、その間の存在のおかげで越境的につながり生まれるものもあるし、間の選択肢があることで救われる場面もあるし、そのはっきりさせないあいまいさは人間にとって必要なもの。

 そういえば、「人間」って感じには、そもそも間という字があるくらいだから、間を無視して暮していくのはほんとはダメなんじゃないかとさえ思えてくる。

 ぼくが民俗学的、文化的に「妖怪」が好きなのもわりとその間との関係があって、あの世とこの世、異界と人間界、光と闇、入口と出口、etc.などの間に現れる妖怪の存在に気になるのはそういうことなんだと思う。そもそも、「いるのか/いないのか、よくわからない」というあいまいさも良い。

 ちなみに、妖怪のことについていえば、間よりも“境界”という言葉を使うことが多い。おそらく、ボクも妖怪のようにいろんな境界を行ったり来たりできる、いるのか/いないのかよくわからない、そんなあいまいな存在になりたいのかもしれない。

 良し悪しはわからんけど、白黒はっきりさせない、どこか想像力に甘える余白のよさというか、そこに身を委ねようとしてるだと思う。あ、ちなみにタイトルの「おいら」はビートたけしの言葉に一瞬インスパイアーされただけのやつです。


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