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"いそがし"に憑かれると視力が落ちる

 丸々一日休める日を「とって」なかったや。

 と、気づいたのが月曜日。そう、「とれてなかった」ではなく「とってなかった」であり、意識の問題がここにある。基本的には自由業なので調整次第でどうにかできることは往往にしてあるわけで、そいつを怠っていたわけだ。とりあえず、やることはタンマリ溜まってるし、なるはやで片付けられるに越したことはないものばかりだけど、だらだらと気疲れを引きずったまま作業を進めるよりも、一度気持ちをリセットしてから取り組んだほうが爆発力が違うはず......と見込んで今日は休みをとることにした。

 ゆっくりできる一日があるときは、たいてい、水木しげる記念館へ行く。家からだと電車で一時間半くらいで、その移動距離&時間もちょうどよく、小旅行を感じつつも、窓をぼーっとみながらいつもじゃ出てこないような考えが頭に浮かんできたりもする。外から来たような雰囲気の人たちも眺められるのもあり、人と風景の変化が、自分に何かゆるやかな心地よさとのびのびとした発想を生んでくれる(みたい)。

 さてさて、お昼過ぎ、家から目的地に向かうために、まずは1時間に1本の電車に乗らなくちゃと、余裕を持って顔を洗ったり髭をそったりしてたつもりが、いつの間にかギリギリの時間になっていた。ふと、洗面台に水垢などの汚れが溜まってるのに気づき、いつの間にか掃除を始めていたからだ。毎日何度も使っている洗面台にもかかわらず、このあからさまな汚れに気づいてなかっただなんて、余裕がなかったんだろうか。

 人はせかせかし始めると、視力が落ちる。度がズレてくる。いつもの風景もぼやけた背景でしなくなってしまう。あまり「丁寧な暮らし」というのは好きではないが、日常(ケ)の小さなことをつぶさに観察して、その中に隠れている世界と人間の普遍性を見つけるのが一つの喜びである身としては、ある程度の丁寧さというのは大事になってくる。なぜ、屋号を「ケケケ」としたのか、と振り返るような支度時間であった。

 ちょっと言い方を変えれば、「”いそがし”に憑かれると、生活視力が落ちていく」ということだろう。立ち止まって、ゆっくりと、身近なものを虫メガネで見れるくらいの余裕をつくっておきたい。明日から、焦点を変えていこうじゃないか。

 と、なんとなく最近のモヤモヤというか、生活の反省部分については、水木しげる記念館に向かう道すがらで完了してしまっていた。

 いつも通りに、境港駅に降り立ち、ゆるゆると水木しげるロードの銅像を眺めながら、記念館へ向かい、入館して、仮面コレクションや水木しげる年表とじっくりと観察後、妖怪エリアをサーっと流して、最後の水木しげるの名言パネルに辿りつく。毎度毎度引っ掛かる言葉は違うので、その時の自分の心境を測るツールになっているようだ。で、今日なんとなく引っ掛かったのがこちら。

自分の知恵を使わず人の使った知恵を使おうとしてるヤツは幸せになれん(水木しげる)

 やっぱ自分で考えるヤツは強えし、そういう鍛錬を積んでる人が、(長期戦で)ただ調べるのが得意にヤツに負けることは稀だ。

 自分の手足を動かし脳内で汗をかいた経験が、今後幅広く応用の利く知恵を開発する。他人(先人)の経験から生まれた知恵は、ピンポイントでは役に経つドーピングみたいなもの。それだけで物事を選び抜こうってはリスクがあるし、他人の知恵ばかりに頼って要所要所で取捨選択してきた人ってのは、人間としてどんどん衰えていくんだろうなぁ。的なことを思っちゃった。

 が、水木さんの言葉をここで引用してることが、知恵の仮パクな気もするので汗、もうちょい生々しい自分の言葉として吐き出せるように精進するのみでございます。

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 先生、また行きます(年パス更新しておきましたョ!)

道にはぐれてしまわないように

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