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オールナイトニッポー0723

大人こそ自由に研究しのびのびと発表してくれ。

本来であれば、火・金は、なわほのオープンデイとしていたが、祝日というのもあり、駐在はお休み。ではあったが、いつも通りになわほへ。月イチでやっている「自由研究学会」だった。

今回がvol.13ということで、もう1年が過ぎていた。量は質を増す。着実に、参加するメンバーの資料作成、プレゼン、自分の興味の深め方、が上がっている。

ここに記していたが、一番大事のは、「不完全でGO~」であり、むつかしいことを考えて、「いやぁ、今回はまとめられませんでした...」と「発表しない」という選択をしちゃうこと。どんな形でもいいから、発表しきることが重要だと思っている。

自分が「調べた」「考えた」「つくった」ものを〆切があるなかで、発表してみる。その発表から生まれる感想なり質問なりのコミュニケーションがとてつもなく尊い。自分の声を表現を通して伝える、ということの練習にもなるだろうから。

「土。」「食器用洗剤ランキング」「ゆず語りvol.3 17年後の『桜木町』」「今回研究したかったこと」「すごいぞ、長崎歴史文化博物館!」

ちなみに、これからが今回の発表した5組のタイトルである。ぼくは最後の「長崎~」だった。6月に2週間ほど九州滞在をしたがそのときに訪問して印象的だった施設として紹介。

自分の場合、自由研究学会では、たいてい発表の1~2時間前から何をまとめるかを考え、資料は30分~1時間程で用意するようにしている。テーマによっては新しく調べ直してもっと時間を使うことはあるが、基本的には、普段それとなく調べている・気にしてることの整理まとめとして、自由研究発表会の箱を使わせてもらっている。無理なく、だけど、しっかりとインプットをこの機会にアウトプットしておく。

さて、こうやって”大人の自由研究”を1年以上ずっとやっていて、会の面白さとして改めて感じるのは、その発表のところどころに参加者の偏愛・微愛・没入などが見えることである。その大人がキャッキャ楽しんでる姿こそ、子どもたちに見てほしい光景でもある。

やたらめったら、子ども子どもが......と言うけれど、そこに対するアプローチを考えるのは超重要としても、その子どもがしれっとちゃんと観察してる大人たちがなあなあだったり、義務ばかりに追従し楽しそうにやってないと本質的にはなんか違うな、ってなるのはぼくだけじゃないはず。

"それら"をつくる大人たちの意識にも訴えかけなきゃね、という部分はきっとあって。

子どもは親の鏡、ってのは、100%そうではないだろうけど、その影響はだいぶある。シンプルに、わるい流れは再生産しないほうがいいじゃないすか。


↑は、ちょっと前に、Facebookにメモ的に投稿したものだ。

最近よく考えるのは、「子どものため」が先行しないかたちで、大人が「自分のために」で自己中心性を働かせてやってるもの・その姿がまず先にあって、結果、「子どものため」にもなってしまう構造・風景をどう生んでいけるのか、ということ。

自由研究学会は、何かそのヒントになるんじゃないかなーと思うわけですよ。ずっとサボってましたが、自由研究学会オンラインもそろそろ準備しよう。よし。

あ、そうそう、この企画展ヤバそうなので行けたらと(終盤9月あたりを狙ってます)。

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