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カラフル・からふる・カラフルに生きたいなぁ

色のついた日々を過ごしたい、と思う。
一色は嫌だ。2色も嫌だ。
出来るだけいろんな色がいい。
私が見たこともない色がたくさん広がったら楽しいじゃない。
っていうか、ずっと同じは耐えられない。
違う景色が見たい。自然でも人工物でも。

そんなふうに生きて来た。
ずっと同じことをしているのが苦手だ。というかできない。
そして、ずっと同じところにいると何か違和感が生じてでもそんなに簡単に住む場所を変えられないから違和感を抱いて生きている。

雨の日の小学3年生の教室で空気の重さと空の色と左側に並ぶ金属の窓枠を眺めながら閉塞感に苛まれていたたまれなかった感覚を今も思い出すことができる私は、面倒くさいい人間で、だいたいの他人は敬遠したくなる人間なのだと自覚している。

カラフルな人生の内訳は、楽しいが1、面倒くさい9の割合だと思う。
なぜ面倒くさいのかは誰でもわかる。それがやらなきゃいけないことだったり、やらなくても済むしやらないほうが楽だけれど、やることで誰かが成長したり幸せになったりするから絶対やった方がいいことだからだ。

そして私はそう気づいたら、やらなきゃ気が済まないタイプの人間だ。
こっちの方がいい、と思ったらもう指示を出しているか体が動いてしまう。なぜって、仕事で責任を負うってそういうことだと思うから。
そうするのが当たり前の仕事をしていると思っているから。

でもね、仕事でそれをやっていると、家族も巻き込んでしまうし、家族とやりたいことは後回しになってしまってそれがどんどん後になったら、もうやる機会は失われていて、気が付いたら両親があっという間に手の中で死んでしまったの。

東日本大震災での放射線被害からコロナときて仕事を辞めるどころか休む選択肢などない12年の中、母が死んで父が死んでも葬式の日1日しか休めない状況で、付随する様々な事務手続きやら解決しようのない問題やらがまだ山積していて、私はその山の中腹あたりで降り続く細かい雨のせいでぬかるんだ泥道に足を取られてうまく進めない。
靴を間違えた気もするけれど、先に進むしかないの。
当たり前だけど時間は巻き戻せないし、人生はやり直しなんて効かないことの方が圧倒的に多いのだから。

還暦を言い訳に少し考えたいし両親が死んだのをちゃんと悲しみたいと思うことはいけなくはない事なんだろうけれど、仕事をしている限り、やることは膨大になるし、ない交ぜになった責任感と罪悪感にからめとられている私は結局休まないで働くだろう。
面倒くさい人間だと、自分が一番わかっているってことか…ふん。

今日あたり、ラデュレのマカロンが届くな。
ヒグチユウコのイラストがデザインされているマカロンボックスが欲しくて予約したのよね
1割の楽しいが届くから、あと9割面倒くさいと辛いをクリアしたら次の楽しいが来るってことが予想できるのも、還暦だからこそよね。
自分の好きな色でカラフルに生きるために、頑張るかー。



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