スタッフストーリー#2(後編) / いつか数十本の赤いバラをもらう日がくるまで
東京での生活、初めての一人暮らし。
緊張と不安の中で新しい生活を始めた。
しかも世の中はコロナによって大混乱していた。
そんな中で浜田さんを支えたのは、鳥取の人たち、そして新たに出会った青梅の人たちだったという。
私はシャワーのお湯がガスで温められている、ということも知らなかったんです。
引っ越してきた日に部屋でシャワーを浴びたらいつまでたってもお湯が出てこない。
真剣に「東京のシャワーは水しか出ないんだ」と思ったんです。
冷たいシャワーを急いで浴びて、スマホで調べました。
それでようやくガスの利用が開始されるまではお湯が出ない、ということを知りました。
実家の最寄り駅は無人駅だったので、東京で初めて電車に乗るときも緊張しました。
入職したころは緊急事態宣言の真っただ中で、外で人と交流することもできない。
そんな心細くて不安な気持ちをテレビ電話で母に聞いてもらっていました。
でもいざ働き始めたら、病棟スタッフのみなさん、本当に全員が声をかけてくれるんです。
「大丈夫?」
「困っていることはない?」って。
日々の業務では、ずっと思い描いていた理想の看護が目の前にあった。
数え上げればきりがない、という。
患者様への接し方、
言葉使いや食事へのこだわり、
スタッフ同士の助け合う姿勢、
そのどれもが想像以上だったというが、なにより心を打たれたのは
「お見送り」だった。
亡くなった患者様に対し、職種や部署に関係なく職員が一堂に頭を下げてお見送りをするのですが、初めてその場面に立ち会わせていただいたとき、心の底から感動しました。
深く頭を下げる職員みなさんの姿に、この病院は本当に最後の最後まで患者様のことを大切に送り出すんだ、と強く心に刻まれて。
青梅慶友病院へ来て良かったですか、と訊ねると、浜田さんは笑顔で力強く頷いた。
ここで働いて良かったことをあげたらきりがありません。
人間関係がとても良いこと、
フェアな人事評価制度があること、
定時の出退勤で働けること、
それから「長く働ける職場」であること。
職員の誕生日には、理事長先生から赤いバラの花束が届くのですが、その本数は勤続年数に比例して増えていくんです。
だから抱えきれないほどの花束を受け取っている先輩を見ると、「長くお勤めされてきたんだなあ」といつも圧倒されます。
私もこの先どんな人生になるか分からないですが、もしライフステージが変わっても、こんな風に長く働ける職場っていいなと感じています。
そして時間外勤務が少ないおかげで、プライベートが充実しているという浜田さん。
今年は「青梅マラソン」に初出場を果たした。
コロナ禍で中止続きだった大会が、今年は久々に開催されることになりました。
昔から走ることは好きでしたし、青梅マラソンはお祭りみたいで楽しそう。
だから出場したいけどコロナは不安だな、と迷っていたら病院の感染対策チームから「青梅マラソンに出場したい人」へ向けた、注意点や出場後の対応が提示されて、その上で、「楽しんで走ってきてね」と送り出してくれたんです。
コロナ禍は医療機関、それも私たちのように高齢者をお預かりする病院の職員にとって様々な制限を強いられる厳しい時代である。
その中にあってもプライベートな領域まで一律に制限するのではなく、正しい知識と対応で職員自身の生活も豊かにしてもらいたい。
だから病院は、職員の日常とバランスを取りながら感染対策の検討を常に続けている。
そうして出場した青梅マラソン。浜田さんは10kmの部で見事に完走を果たした。
マラソンを人生に例える人は多い。
ずっと平坦な道ではなく、
坂道があれば曲がり角もある。
ゴールが果てしなく遠く感じたりもする。
それでも一歩一歩前に進めば、いつか必ずゴールにたどり着くもの。
大好きだった故郷を離れ、自分の決めた道を一歩ずつ走り始めた浜田さんの姿がマラソンランナーと重なった。
最後の質問は、こんなことを訊ねた。
新しいチャレンジに挑戦する、その決断のタイミングはどうやって決めるのだろうか。
自分がやりたいと感じたとき、その瞬間がベストなタイミングなんだと思います。
行動に移せるのは、今その瞬間しかないかもしれない。
チャレンジしてみて、やっぱり違うと思えばまた引き返せばいい、後から振り返ってその回り道も必要だったんだと思えるように、またがんばればいいんだと思います。