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急に服が似合わなくなったときがチャンスだ!

仕事終わり、友達とご飯へ行った。
何気ない会話を二、三して、ファッションの話に話題が移った。
芸能人のファッションとか共通の知り合いとか。あーでもない、こーでもないと話していると、急に自分が恥ずかしくなった。

自分の格好は、ライブで買った灰色のパーカーの中に白色のワイシャツ、茶色のコーデュロイ生地のズボンを履いていた。
どれも気に入って買ったものだ。ライブグッズに込めた思いも、ワイシャツの着心地も、ズボンのデザインも。だけど、なぜか急に恥ずかしくなった。
「あれ、俺ダサいな」と思った。

この感覚が初めてではないな、と考えていると散髪するときのことを思い出した。
自分だけかもしれないが、髪を切るときって今の自分を何か変えたいと思っていることが多い。

年末。友達の太一のところへ髪を切りに行った。
前回切ってもらってから1ヶ月ほどしか経っていないが、髪がかなり伸びていた。
私はいわゆるセンターパートと呼ばれる髪型。ただ、年末ごろにはあまりにも髪が伸びていて、前髪を作っていた。その前髪もなんだかまとまらなくて、「決まらないな〜」と憂鬱だった。
大学生のころに戻ったような髪型をしているな〜と思っては、「いけてね〜」と何度も鏡をたたきそうになった。

太一のところでサイドと襟足をがっつりと刈ってもらい、自分の癖毛を活かした前髪を作ることも、あげることもできる状態にしてもらった。
ヒゲを整え産毛も綺麗に剃ってもらい、終わったころにはかちっと決まった自分の姿をしていた。あっさりと自信を取り戻した。
太一が目を細めて送ってくれるころにはかなり上機嫌になっていた。

髪の毛を切ってもらうとき、外見の変化だけではないといつも思う。
日頃の小さな悩みや迷いのようなものも削いでくれたような気持ちになる。
今回は仕事でもやもやと色々なものを抱えていた自分が外見にも表れていたと感じる。それを太一が髪やヒゲを整え、気持ちさえも整理してくれた様に思う。


洋服の話に戻る。
自分にとって、2つの大きな変化点があった。
1つ目は高校生の時。兄の影響で古着が気になっていたが、古着好きの友達が徐々にできてどっぷりとハマるようになった。
ブランドなどは正直よくわからない。だけど、そのこなれた雰囲気と新品ではないという面白さに惹かれていった。デパートや駅ビルにはない、独特な匂いや色のものばかりだった。
ちょうど、高校生というアイデンティティを確立する時期の自分にとって、古着を選ぶという行為がこの上なく自分らしさであると感じ、個性となった。

そして2つ目は社会人2~3年目。
少しずつお金を持つようになり、これまで手が出せなかった洋服にも手が出るようになった。
ある程度有名な多くの人が知っているブランドの洋服ではなく、一点ものに近い雰囲気のそれらの洋服に心が踊った。
それらを身につけているだけで、仕事も恋愛も冠婚葬祭も、自分らしく多方面に活躍できると思っていた。

変化点の時、これまで着ていたものを「ダサい」と思って脱ぎ捨てている。それは洋服だけではなく、生き方をも脱ぎ捨てていたのだと思う。
今の自分を否定し、新しいものを吸収、取り入れていくこと。その変化点に来たとき、自分は今の自分を「ダサい」と形容するのかもしれない。

大好きな洋服を、思いを込めたこのアイテムたちを今、ダサいと思った。
私はもしかしたら何かの変化点にいるのかもしれない。
すぐ思いつくのは仕事のこと、そしてもっと遠くを見るとパートナーや友達を巻き込んだ今後の生き方について変化を迎えているような気がする。

仕事を変えて、パートナーと友達と一緒にどんな生活をしようと思っているのか。
それを想像してもまだまだぼんやりしてしっかりとは見通せない。
でもその姿が見えたときは、もう進みたいとしか思わないだろうなと考えるようになってきた。


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