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諦めなければもう負けない

 「もう負けたくないです」

 私は、首筋にキスマークのついた先輩に頭を撫でられ、体育館で泣いていた。滑稽だったと思う。でもそれは、バラバラだったチームがようやく一つになれる兆しが見えた瞬間でもあった。

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 私は2010年春、第一志望の大学に合格し、体育会男子バレーボール部に入部した。部員は8人と少なかったが、社会人の先輩(コーチ)から指導を受け、毎日のように体育館で汗を流していた。部員の中には、高校時代に全国大会に出場した先輩もいて、レベルは決して低くなかった。

 しかし、チーム内はバラバラだった。4年生の主将は上手ではなく、3年生のエースが実質的に指揮を取っていた。しかし、3年生のエースはだらしないところがあり、練習中も「辛い」「疲れた」とネガティブな発言を連発。何とか立て直して練習を再開しても、今度は2年生の部員がエースの言動を真似たような態度をとる。主将が怒っても2年生には響かず、それ以外の部員は自分のことで精一杯だった。

 私は1年生で唯一のレギュラーに選出された。そのため、コーチや主将以外の4年生、同期から「お前の頑張りでどうにかチームをまとめてくれ」と何度も言われた。私自身、高校時代に部員同士の仲が悪くその状況を放置して後悔が残った経験があったため、どうにかしようと焦っていた。

 さて、どうすればいいのか…。手っ取り早い方法として、チーム内で一番ストイックに練習に励むことを心がけた。誰よりも早く体育館に行き、最後まで練習に残り、声を出す。その姿勢を見せれば仲間たちはついてきてくれるだろう、と。私と同じポジションのセッター(スパイカーにトスをあげる人)で全日本女子チームの主将を務めた竹下佳江選手も、誰よりも多くの練習をやることを心がけていたと雑誌で読んだこともあるし、きっと大丈夫だろうと思っていた。

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 しかし、そんな安易な考えは通用しなかった。


 夏合宿でスパイクの練習中、悲劇は起きた。私はエースと2年生にトスをあげていた。エースは主将が組んだ練習メニューに納得がいかず終始不機嫌。私は「チームで一番」を目指し体を追い込みすぎたため膝のけがが悪化していたが、なかなか周りに言い出せず、体のバランスを崩していた。当然、いいトスをあげることができず、エースのイライラが増していった。

「おい!!打てねえよ!!!!」
 とうとう相手コートに打つはずのボールが私目掛けて飛んできた。「ああ、怖ええ」。チームのすべてがバラバラになったことを決定づけるように、沈黙が流れた。

 数日後、練習試合中にエースが帰ると言い始め、止めに入った主将と殴り合いの喧嘩になった。エースの同期が仲裁に入ったがなかなか喧嘩は収まらず、掴み合いの状態が続く。そして、エースが手首にしていた数珠がちぎれて床に散らばった。甲高い音は体育館中に鳴り響き、しばしの沈黙が流れる。相手のチームがドン引きする中、私は必死にエースに詫びたが、結局エースは帰ってしまい練習試合にならなかった。とにかく恥ずかしかった。

 なんでこんなことになってしまうのだろう。悔しくて恥ずかしくて、部活から逃げ出したかった。翌日の練習からエースは来なくなり、なぜか私と同期の一人もエースと気持ちを一つにして部活拒否。(ああ、今思い返しても本当に意味がわかりません)私は薄ら笑みを浮かべながら遠くを見て、途方に暮れていた。

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 私は最初から逃げていたな、と思った。自分を律することで人がついてきてくれると思っていたが、それはなんの解決策にもならない。関わり合いを避け、楽をしていただけだ。メンバーが毎年変わる部活というコミュニティで、関わり合いを避けていては何も変わらないし、成し遂げられない。もっとちゃんと真正面からぶつかってみない限り、仲の悪いチームが勝手に良いように変化するなんてあり得ない。

 アホくさいが、まず初めにやったのは雑談だった。今日何食べたとか、昨日なんのテレビ番組を見たとか。もうとにかくアホくさくて、「興味ねーよ、早くバレーボールをやらせろ」って心の中の環がぶつぶつ言っていたが無視した。先輩や同期とたわいもない話しをしまくり、キャラをつかもうとした。そんなことでも意外と見えてくるものはあって、「主将は仲間思いだけど言葉が不器用なんだな」とか「2年生は意外と几帳面なんだな」などの発見があり、それをもとにコミュニケーションを取り続けていると、部活中も何だか親しいものになり意思疎通ができるのだった。

 同期ともそうだった。内気な同期がいたが、話してみるとバレーボールに対してかなり独特の視点を持っていた。例えばジャンプ前の助走の角度、ボールを打つときの手首の返し方。そんな彼のこだわりを話題にして仲良くなることに努めた。そんなようにして、私はとにかくなんでもいいから、部員と関わることだけを目指して部活内を泳ぎ回っていた。

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 エースが戻ってこないまま、秋リーグは始まった。主将は常に自信がないし、2年生は怒ったりふてくされたり。でも私はその人たちをなんとか軌道修正しながら、試合を作り上げていった。結果は負けの方が多かったけど、意外と接戦にもちこめたことも多かった。
 そして、どの部員も欠けず、全日程を終えることができた。少しではあるけれど、技術的にも成長した。とはいえ、結果は振るわなかったので、下部リーグとの入れ替え戦に臨まなくてはいけなくなった。

 入れ替え戦の日。ひょっこりとエースはきた。そして、一緒にいなくなっていた私の同期も顔を見せた。私はその2人の気持ちがわからず、相変わらず眉尻を下げた意味不明の笑顔を浮かべて遠くを見た。でも、あの頃の私とは違う。とにかく話しかけてみた。
 「来ていない間に何をやっていたんですか?トレーニングはしていましたか?髪の毛を金髪にしたのはなんでですか?その首のキスマークはなんですか・・・」
エースは笑いながら、今日も頑張ろうぜと笑っていた。

 試合は劣勢。でも不思議だった。主将は私の声がけを受け積極的にチームメイトに声をかけ、2年生は私のトスを褒める。主将と2年生は、戻ってきたエースに成長したチームの姿を見せようとしたのだろうか。
 つられるように、エースも何故か私のトスを信頼してスパイクを打ち込んでいるし、チームを盛り上げようと色々な選手に声をかけている。エースは天性の勘のようなものがあったから、私を中心にチームがいびつながらまとまった姿を感じ取っていたのだろうか。

 相手のスパイクが私の横を抜け、コートに落ちた。笛が鳴る。私たちの負け、下部リーグへ降格。ここまでどうにか頑張ってきたけど、エースが戻ってきただけで勝てるほど現実は甘くなかった。なんと無様なのだろう。

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 控室に戻るために階段を登っていると、後ろからきたエースが私の頭を撫でた。「頑張ったじゃん。次勝つぞ」。

 チームにでかい穴をあけ散々迷惑をかけられたのに、なぜかエースが私の頑張りをわかってくれた気がした。そしてチームに復帰するとも言ってくれる。心の中ではなんとなく納得いかず、腹が立ったけど、無性に嬉しかった。エースのことを怒るより、仲間が増え、まとまりのあるチームができる予感がしていた。

「はい。もう負けませんよ、誰にも」

 ここまで頑張って、でも負けて、心底悔しい。エースが戻ってくることは筋が通っていないし勝手だ。だけど、チームが本当の意味で立て直せるかもしれないと思いワクワクもした。感情がぐちゃぐちゃと混ざりあいながら私は泣いた。

 その後も、私はチーム内でのコミュニケーションを絶やさなかった。そうすると意外とうまくチームは回った。エースも私を真似するように技術的にうまくない部員とも話し、ご飯にいって、とにかくいろいろな経験を共有した。
 それからのチームは、劣勢の試合でも笑いが起こるほど和気あいあいとしたムードになり、反撃の狼煙を何度もあげられるような強いメンタルになった。技術的にも、互いに教え合うような雰囲気ができ、私とエースは新しい攻撃方法を見つけ出し、リーグ戦では大量の白星をあげられるようになった。

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 今思い返しても、諦めなくてよかったなと思う。コミュニケーションを諦めなかったことがチームの好循環につながったことは間違いない。私の粘り勝ちだ。

 挑戦を続けると苦しく、心が折れることもある。だけどとにかく諦めずにやり続けることが重要なんだ。今日も諦めずにやり続けていこうと思う。もう負けたくないから。


いきものがかり/心の花を咲かせよう

<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社勤務。
▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。
▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(友人談)という自覚があったから。
▽太は、私が死ぬほど尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。
▽将来の夢はシェアハウスの管理人。好きな作家は辻村深月

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