今日はアタリ 今日はハズレ そんな毎日でも
夏の気力を削ぐような暑さがいつの間にか過ぎ去って、秋の涼しさを感じるようになった。
気づけば今年も残すところ、あと4ヶ月。時の流れは年々早くなっている気がする。
去年の今頃は「来年はマスクも取れて生活も元通りだろうな」と呑気なことを考えていたけれど、我慢の時期は相変わらず続いている。
ニューノーマルと言われたこの生活にもすっかり慣れた気にはなっていたけれど、たまに気持ちが追いつかない瞬間がある。頭では理解できても、心がダメなのだ。
旅行は行きたいし、居酒屋で深夜まで飲みたいし、ライブで揉みくちゃになりたいし、サッカーを観に行ったら思いっ切り声を出したい。
そんな日常が遠くなってしまった中でも、できる範囲で自分が楽しめることをやろう。
そう思ってここまではOKかなと思って恐る恐る足を踏み出すと、結果としてそれすらも駄目。そんなことを繰り返し続けている。
最近は諦め慣れして気付かないフリをしてきたけれど、直面する度にちょっとずつ心は傷ついている。
たぶん、僕たちは自分が思っているより、ずっと疲れている。
先週の土曜日、久しぶりに髪を切りに行った。
自転車を20分ほど走らせた場所にある美容院。
1年前からお世話になっている。
はじめて行ったのは、最初の緊急事態宣言が終わりを迎えた、ステイホーム明けだった。
長年切ってもらっていたお気に入りの美容院があるのだけれど、行くのには電車で一時間近くかかる。
本当はそっちにも行きたいのだけれど、今は足が遠のいている。
美容師さんとも仲が良いから、とても残念だ。
今の生活は、好きな人との距離を遠ざけている。
このままずっと会わない、そんな人ばかりになったら嫌だなと思う。
新しい行きつけの美容院は、人がやっと1人入れるくらいの狭い階段を登った2階が入口になっている。
階段を登り切ると直ぐにレジがあって、そこで「いらっしゃい」と店長がいつも迎えてくれる。
テキパキと手を消毒してもらって、細長いロッカーに荷物を入れるように案内されて、スムーズに鏡の前の椅子に誘導される。
カットの担当をしてくれるのも、迎えてくれた店長だ。
店長は相当腕が良い。
カットがすごく上手で、切ったばかりの時だけではなく、髪がぼさぼさに伸びてもいい具合にしてくれる。
はじめて切ってもらったときは、特に感動した。
僕がお世話になってきた美容師さんの中ではダントツで無口。まさに職人という感じだ。
余談だけど僕は、無口な人ほど信用しやすい傾向にある。
さらに信頼がおけるポイントとして、店長は自分の意見を強く持っている。あまり流されない人だ。
たとえば切ってる途中で「もっと短くしたいっす」と言伝えたら、「いや、このくらいがいいよ」と淡々と押し戻されるやりとりを、通い始めてから何度かやっている。
その度にまあ良いかと思ってお任せすると、結果としていつもちょうど良い髪型になるのだ。切り過ぎずによかったなあ、と。
お客さんの要望で方向性がブレブレになる仕事中の僕とは大違いなので、とても尊敬してしまう。
強い人だなと感じるし、できれば自分もこうありたいなあとか思う。
だから基本的には、店長に髪型はもう任せようと思っている。
ただ先週はどうしても気分を変えたくて、リクエストしてみた。
「今日はどうします?」
鏡越しにお決まりのひとことを言った店長に、恐る恐る「いつもより短めに、さっぱりしたいです」と言ってみた。
いつも短くしようとする僕を押し戻してくる店長だから、例の如く「いや、いつもと同じくらいが一番だよ」とか言われるかなあと思っていると、考え込みはじめた。うーん、と唸っている。
そして答えが見つかったのかタブレットを取り出して、「こんな感じどう?」と写真を見せてきた。
前髪が思い切り上がって、おでこが露わになっている。オールバックっぽい。
ここ最近、僕はずっと前髪を下ろしていたので、これは結構雰囲気が変わる。
そこまでしなくても、長さだけさっぱりできればいいんだけどと思いつつも、腕の良い店長が言うならお願いしようと思って、これでお願いしますと返事をした。
いつものように、店長は何も喋らず黙々と、集中して僕の髪を切り始めた。
僕は髪を切ってもらうときは、いつも目を瞑っている。
雑誌を読むのも、鏡越しに美容師さんと目が合うのも気まずいときがあるので、いつからか目を閉じるようになった。
そうやって書くと少し繊細な人に思えるけれど、目を閉じるとどこでも寝れるくらい僕は呑気だ。
だから美容室では髪を切ってもらいながら半分くらい寝ている。
カットが終わりに近づく気配を感じて目を開けると、案の定髪の毛はすごくさっぱりしていて、とても良い具合に出来上がっていた。この時点でとても気分が良い。
店長の腕はやはり信頼できる。
シャンプーをしてもらって、ドライヤーで少し整えながら、どうセットしましょうかという話になる。
さすがにこの時は、僕も目を開けている。
「あ、センター分けいいかも」
店長が僕の髪の毛を、ちょうど顔のセンターラインでかき分けて上にあげた瞬間、「おお」と2人して言った。
センター分けにするのははじめてだけれど、我ながら意外と様になっている気がする。
自分に新しい一面が見つかった気がして、心が弾んだ。
「いやー、いいね。やっぱり髪型で人は変わるね。にしても良いなあ」
無口な店長もテンションが上がったらしく、急に元気よく話し始めた。
「こんな世の中だからさ。ウイルスはまたまだ続くからね。来年もどうせいまみたいな感じが続くだろうし。だからさ、髪ぐらいね。こうやって気分変えると良いよね」
嬉しそうに話し続ける店長に、本当にそうですよね、と応えながら、僕はさらに嬉しい気持ちになっていた。
現実の厳しさが変わるわけではないけれど、いま僕たちはすごく楽しい気分になっている。
良い未来はまだ見えていなくて、不確かなことばかりだけれど、今この瞬間笑えていることは確かなのだ。
20年以上、髪を切り続けてきた店長が、僕の髪型一つでこんなに嬉しそうにしているのも嬉しかった。
ベテランの美容師さんも、たくさんいるお客さんのうちの1人の新しい髪型で、こんなに嬉しそうにしているのだ。
僕たちは幸せになるためには何かを成し遂げないといけないと思いがちだけれど、こういう日常の些細な一コマが大事なのかもしれない。
セットし終えて店を出るまで、僕と店長は終始笑いながら楽しい時間を過ごした。
帰り際、ポイントカード作る?と聞かれていつも断っていたけれど、この日はなんとなく、作ります、と言った。
店長は律儀にはじめてきた日まで僕の履歴をパソコンで遡って、ポイントカードにスタンプを押してくれた。
この話を書きながら、昔クリープハイプの尾崎世界観がテレビのドキュメンタリーで言っていたことを思い出した。
下積み時代の場所などを振り返りながら、キー局の報道番組で、こう言っていた。
「悔しいとか腹立つとかいう気持ちがドーンとあって、その中に良い事が砂金のように入っている」
これを見たとき、僕の人生はあまりよくない方向に向かっていて、なんとか抜け出したいともがいている時期だった。
どうにかしないとと思っていた時に、奥さんから教えてもらったこの番組を見て、とても救われた。
当時より、今の僕は確実に良い方向に向かっている。
それは辛かったあの時期に、嫌な気分を何度も味わいながらも、砂金に手を伸ばし続けた結果であるような気がする。
いまこの世の中を生きていると、いろんなことに対して、怒りもやるせなさも感じる。
出口が見えなくて、絶望的になる瞬間もある。
ただ日常の中には、気持ちが良くなる出来事も、幸せな瞬間も、確実に混ざっている。
嫌な気持ちに引っ張られてしまうのは仕方ないとしても、絶対に砂金を見失ってはいけない。
手を伸ばし続けた先に、未来がある。
今日はアタリ 今日はハズレ そんな毎日でも
明日も進んでいかなきゃいけないから
大好きになる 大好きになる 今を大好きになる
催眠術でもいいからかけてよ
明日も進んでいかなきゃいけないから
( 陽 / クリープハイプ )
そうやって、これからもやっていきたい。
美容室の店長が、尾崎世界観が、テレビ番組を教えてくれた奥さんが、視界が狭まっていた僕に気付かせてくれた。
独りで閉じて光を見失った時に、引っ張り上げてくれるのは、いつも他の誰かだ。
砂金を見落とさないためには、誰かと一緒にいることも大事なことなのだ。
美容室の帰り道は雨が降っていたけれど、僕の心には太陽の光が差し込んでいた。
陽 / クリープハイプ
<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。
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