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「全部嫌だ」って言いたい時期なんです

「あーあ、今日もキレてたな」と思う日が続いている。
このもやもやの正体はなんなのだろうか、と夜道を歩いて考えていた。
「31歳児のイヤイヤ期かな?」と友達がインスタにあげた子供のストーリーを思い出しながらふざけて考えていた。
あっちこっち意識を向けながら考えていると、自分の心に刺さった棘を見つけた。
「要するに考え方なんだよ」という言葉だ。

明言しておく。
この言葉には同意をしている。
逆境もプラスになるし、難しいことへの挑戦は新しい知見を得ることになる。ただし、用法容量が決まっているのだ。
そして最近は仕事で言われたときに首を傾げてしまい、「この既視感はなんだ?」とたどっていくと中学校のころにたどり着いた。

「は?バレー部?」
私は中学校の中で運動神経がいい方だった。サッカーやバスケをやっていそうと思われることが多く、男子バレーボール部に所属をしていることをいうと大抵が驚かれた。
「バレー部なんかあった?」

私が所属していた男子バレー部は先輩が4人、同期が私含めて3人。
ぎりぎり試合には出られる。ただしめちゃくちゃ弱い。
どのくらい弱いかでいうと、運動神経がいいバスケ部とか野球部が三週間くらい本気で練習したら負けるレベル。
区内にある4校中3位。最下位は下級生のみで構成された初心者チーム。
先輩や同期は体力テストで下から数えて何番目という人たちばかりで、競技の実力としては全然だめだった。

私はそんなこんなで浮いていた。
そこそこ区内で強かった女子と練習試合をすると当然の如く負けるのだが、私だけ相手のスパイクを拾ったりサーブで点を取っていた。
1本目を自分で触って、誰かにあげてもらい、3本目を自分で打つ。どうにかこうにかネットより高く上がったボールを相手コートにスパイクで返すことをしていた。その繰り返しだった。

そうこうしているうちに最高学年になり、後輩は1人。
とうとう試合に出られなくなった。あと2人足りなかった。
ある日、顧問の先生が部活に入っていない同級生だったか後輩を助っ人で呼んできた。
その人が遅刻。他校が集まった体育館にじっと座って、唇をぎゅっと噛み締めていた。
大好きなバレーボールができない。ここにいる全員消えてしまえと思っていた。

今書いていてもあの頃を思い出して泣きたくなる。
そして、そこで「要するに考え方なんだよ」とか言われたら私は発狂してしまう。
試合にも出られず、助っ人も遅刻し、体育館に座っておくことしかできない。それをどう捉えたらいいのだろうか?
「悔しい思いがバネになっただろ」とか言われたら、ビンタしてしまう自信がある。

会社で「考え方」と言われたとき、詳しい状況は書かないが仕事量と人員が釣り合っていないことを誤魔化された気になった。
だってバレーボールでいうと試合出られないし。練習してきたことも、ボールやシューズも全部無駄だし。そんな状況を良い方向に考えて自分を騙していくことになんの意味があるのだろうか。

「要するに考え方」という考えは劇薬だ。
考え方を変えることによって劇的によくなることもある。
ただ、その使用方法を間違えると、極端にその人や事象を追い込むことになってしまう。

大人になって、社会に出て、仕事をする中でこの劇薬が簡単に使われている気がしている。
営業がうまくいかなくても、ハラスメントをする上司に当たっても、取引先に無茶難題をふっかけられても、社内で割り切れないことがあっても、長時間が労働が続いても。
考え方を変えればなんだって成功すると思ってはいないだろうか。

そして自分も多いに反省している。
自分だけではなく、同僚さえも欺いてなんとなくいい方向に向かっているということにして、見繕ってはいないだろうか?
言い方や見せ方を気を付けるのもとても大事だ。だけど相手を慮りすぎて、本質を、原因を、根本を指摘したり正すことができていないのではないかと感じる。
誰の何に気を遣って、その場ばかりうまく回そうとしていないだろうか。

考え方を変えることでよくなることは確かにある。
でも考え方だけで何かを偽っていないだろうか。
中学生のときに感じた体育館の床の冷たさを思い出し、今の自分と周りの姿勢に苛立ってしまう。
だからその苛立ちには「嫌だ」って言って生きていっていいのかもしれない。


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