覚えていると褒められていたということが時代とともに意味をなさなくなる。
彼は記憶力は良い方だった。
クラスメイトの名前は、小学生から高校まで全部答えられたし、歴史クイズや、調理手順、あらゆることを暗記して、
「凄い」
と、言われることが多かった。
多かったのだけれど、実際、「ネットで良いじゃん」とも思っていた。ある程度の情報は、スマホのファイルに入れておけばいいし、分からなければ検索すればいい。記憶力が大して重宝されなくなってきているのは、記憶力の良い彼は、とても理解していた。
「こんばんは」
ふと、声に耳を澄ませ、下を見るとセミが立っていた。
セミが器用に立っている。
と、彼は思った。
「はい、なんでしょう?」
「覚えていますか? あの時、死んだセミです」
「あの時死んだセミ」
「はい。あなたはとても記憶力が良いと聞いたので、もしやと思い訪ねてみました」
夏場にセミが木の根っこの近くや、道路の片隅で死んでいるのは見かけたりするのだけれど、どれも似たように見えていた。
「ごめんなさい。分からないです」
彼がそう言うと、セミはがっかりしたように、立っていることを止めて、うつ伏せになった。
うつ伏せで正しいのだろうか? 本来のセミの姿勢に戻ったというべきか。
彼は「良かったら、どの時に死んだセミか聞かせてくれないですか?」
セミは、うつ伏せのまま、
「あれは、二年前の猛暑のときです。私はあなたが並んでいたバス停の横で、声をあげて鳴いていました」
「八坂神社のバス停?」
「はい、神社近くは人気があるので、私は少し外れたバス停近くで鳴いていたのです」
「そうなんですか」
「私の命はあと六時間でした。懸命に泣いて、コロリと死ぬ。けれど、命があるうちは、多少なりとも、生きているという実感のようなものを感じておこうと、思っていました」
僕は頷く。
「そこで、最後の力を振り絞って羽を動かし羽ばたこうとしたときです。バスがやってきて、僕を跳ねました」
「え、それはまた」
「僕は垂直に地面に落ち、あなたの足元に転がったのです。そう、今みたいに」
覚えていない。
「あなたはバスに乗り、行ってしまいました」
「そうだったんですか……」
僕は二年前の通学の朝を思い出そうとしたが、セミが足元に転がったことはまったくもって記憶になかった。
「記憶にないですか?」
「すみません」
「あなたの自慢だった記憶力って、いったい何だったんですか?」
セミはそういうと、そのまま粉になり、風と一緒に舞い上がり消えてしまった。
「……」
彼はしばらく、セミの言い残した言葉について考えていた。
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