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いつかこの光景を思い出して泣くだろうと思う。

 大晦日、半年ぶりに会った夫の母は顔色が猛烈に悪かった。年に2回ほどしか会わない義母に、あと何回会えるだろうかと唐突な焦りが生まれた。
 一昨年夫の父が亡くなって(事故だったけれど)、昨年私の祖母が亡くなった(102歳だったけれど)。2年連続の喪中。と言う事に、くるものがある。
 そろそろだ。そろそろだ。時計の秒針の音が聞こえる。
 重めの持病を持っている義母の年末の検査結果はひどかったらしく、腹水が溜まっているとの事。を、義母が揚げてくれた茄子の天麩羅を食べながら義妹に聞く。
 (夫が茄子が嫌いなのでなかなか食べられない私の為に義母は毎年大晦日に大量の茄子の天麩羅を用意して待っていてくれる。)

「お義母さん、顔色わるいね、大丈夫?」なんて言葉もかけられないまま、お年玉をもらってヘラヘラしながら夫の実家を後しにして私の実家に向かった。
 こういう時ヘラヘラしちゃうの私の悪い癖だ。

 大晦日に一泊し、元日は実家でダラダラして夕方家に帰る。が毎年のパターンで、3年前に甥がバドミントンにハマってからはそこにバドミントンで遊ぶ。が加わった。元日はおせちを食べたら近くの公園でバドミントンをする。

 父と義母は同じ年。
 昨年まではバドミントンに参加していた父が今年は寒いと言って炬燵から出てこなかった。11月に入院した体調が尾を引いているのかと少し不安になる。(大晦日は兄と打ちっぱなしに行ったそうなので、気のせいかもしれない)

 バドミントンに参加したのは、年齢順に、甥(小4)・姪・義姉・私・夫・母(72)の6人、6人の中で甥の次に動き回っていたのは母だった。

 ゆうに1mは飛んでいる(様に見える)ジャンプ。からの、え?ブリッヂするの?ってぐらいの仰け反り。たたらを踏んでも決してこけない粘り。からのダッシュ。母の足元からは、嘘だろってぐらい「ズサササササーッ」って音が頻繁に聞こえた。

 3対3に別れたバドミントンの対決中、夫か母に羽が渡ったら最後、夫が打ったら母に、母が打ったら夫に、そういうふうに世の中出来ているのかってぐらい途切れない婿・姑ラリーが続いた。毎回続いた。
 婿・姑ラリーが始まると、私達はほぼ棒立ちで2人を見る。時に笑いながら。
 何度目かの母のジャンプを見てヒヤヒヤしたところで、なぜか胸の奥が熱くなった。

 アルバムに綴じたつもりも無いのに不意に浮かぶ光景がある。それは日常の何の意味も無い一コマだ。
 家の定位置に座っていた祖父だったり、自分の席から見えた黒板だったり、子供の頃のリビングだったり。何気ない、でももう戻れない一コマだ。

 冬の公園の砂埃、端に重ねられた6人分のダウンジャケット、ラケットを持った手をピンと伸ばした母のジャンプ、それ見て爆笑している甥っ子の丸められた背中。

 5年後10年後、もしかしたらそう遠くない未来。

 いつかこの光景を不意に思い出すだろう。思い出してたぶん泣くだろう。何度でも何度でも私は思い出して泣くだろう。と思った。

2022年大晦日ー2023年元日

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