短編小説『黄昏をすり抜ける爽やかな風』
落ち着かないから、約束の時間よりだいぶ早く家を出てしまった。
駅についてみると、これから電車に乗って、花火大会を見に行くのであろう浴衣を着た若いカップルや、女の子連れがちらほら見える。
どれもこれもが、丈が合っていなかったり、袷がだらしなかったりして見ていられない。
安手の生地は、まだ許せるが、色や柄がどう見てもアンバランスのものや、帯のへんてこな締め方を見ていると首をかしげたくなる。
こんな時、そばに妻の美由紀がいてくれたら、一緒になって「近頃の若い子は、だめだね」とか言いながら、顔を見合わせながら微笑み会えたのになあと思う。
土曜日の夕方の今頃、美由紀は今どうしているのだろうか。
気にかかる。
これから、若い娘と一緒に花火を見に行くことを知ったら、怒るだろうな。
どう考えても非常識だ。
私は、自分の一番の理解者である美由紀に対して、申し訳ない事をしているように思った。
目の端に、空気が凛としたものが近づいて来るのが分かった。
それは、私に向かってくるように感じた。
驚いた。
浴衣姿の美女が私に向かって、微笑ながら近づいて来る。きりっとした浴衣の着付け、アップにした髪型の美しさと顔の白さが首筋から顎にかけての研ぎ澄まされた鋭利な線に支えられることによって、全体の調和が見事に取れている。
たまに、北新地辺りでこのような美女に出会うことはあるが、それは夜の街特有の人工的な照明と、素顔を覆い隠す厚化粧と、酒による心の歪みに左右されている。
ここはいつもの駅だ。
まだ夜のとばりは、降りていない。
それが眼鏡を外した香田美月と分かるまでには、少し時間がかかった。
彼女の笑顔に思わず引き込まれてしまった。
私の中に清涼な風が流れ込み、春先の草原のように花が一斉に咲き出した。
「こんにちは。今日はよろしくお願いします」
香田美月の声が、小鳥のさえずりのようにきれいな余韻を残しながら響いた。
コンプレックスも、罪悪感も、私の中にあった黒いモヤモヤが、すべてかき消されてしまった。
その代わりに、柑橘系の香りを鼻の奧に感じ、胸の中がやわらかく温かいもので満ち溢れて来るのだった。
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