映画「君たちはどう生きるか」

公開直後から話題になっていたこの作品

「君たちはどう生きるか」

公開からだいぶ経って
ようやく映画館に足を運ぶことができた。

難しい、怖い 
分からないけど、涙が出た
すごく良かった、つまらなかった

たくさんの評価を聞いていて

どこかで漠然と
これを観てもし、何も感じなかったら
もう終わりだなあーなんて思っていて。

恐る恐る、映画館の椅子に座った。

「何かを感じ取らなければ」

という謎の使命感に駆られて。

映画は、序盤から宮崎監督「らしさ」の
溢れ出る作品で
一ファン(といえるほどではないけど)としては
単純に「好きな」作品だと思った。

最初から最後まで
心が忙しく、揺さぶられていた。

それで終われば
それはそれで良かったのだろうけれど

噂通り、あれはどういうこと?
これは結局?どういう意味だった?
という場面が多くて

何を感じ取る「べき」なのか
それが分からなくて

そんなの、答えなんかないし
感じたものが全てなのに

それじゃどうも悔しくて

自分で考える前に
たくさんの人が感じたことを綴っている
考察noteを、見漁ってしまった。

その行為が、そんなことをした自分が、
どうしようもなく情けなくて、悲しかった。

もはや、映画の内容がどうこう、
という話ではない。
映画の感想なんかでもない。

この映画を観た、「私」の
心の在り方の問題だ。

どこまでも歪んでいて
どこまでもナナメだ。

自分は自分という芯を持っていて
自信もある。人となんか比べない。

そんなの嘘。
結局演じてるだけ。

演じて演じて、それがいつか
本当の自分になることを信じてたけど

やっぱり根は、深く張り続けている。
簡単に抜けやしない。

人と同じであることが嫌で
特別でいたくて
「何者かになりたい」
そう思ってるくせに

これで本当にいいんだろうかと
常に人に、正解を求めようとする。

結局は、認めてもらいたくて仕方なくて
必死だ。

悔しいし、悲しいし
もっと強く 輝く人間になりたいけど

さあ、開き直ります。

こんなダサさもさ、
人間臭くて素敵じゃない。

周りに正解を求めながら
一番私の心が納得して動く方へ
迷いながら進んでいけばいい。

その先にきっと
自分にしかないものが
見つけられるはず。

そんな事に気付かせてくれた
尊い最新作でした。

もう一回観たいな。

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