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「客観的」に読むこと

こんばんは。
今回は読解の指導の場においてよく使われる言葉についてです。

「文章を読むときには主観を排して客観的に読みなさい」
このようなアドバイスを受けたことのある人も多いと思います。一見すると何も間違っていないように思われますが、私にはこの表現がずっと腑に落ちません。
主観を排して読むなんてことが、果たして人間にできるのでしょうか?

もちろん人間は不完全な生き物ですから、0か100の両極に振り切れることはまずないはずです。それを承知で簡略化したアドバイスだというのもわかります。
ただ、私が引っかかるのは主観がさも悪であるかのように扱われていることです。

試験という性質上、答えが根拠をに基づいて決まらないといけないというのもわかります。
ただ、読むという行為は、文章を自分の知識・経験・感覚といった、いわば主観で形成された窓を通して咀嚼する営みであり、そこで必要なのは、主観をむりやり抑圧することではなく、文章に書かれたことを足がかりにし、そこに主観を織り混ぜ深く文章を穿っていくことではないでしょうか。

とまあ、ここまで書いてきましたが、やはりまだまだうまく言語化しきれません。
このシリーズは私の思考の整理が目的の一つなので、あまりその辺りは気にしすぎず書いていこうと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。
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