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#音楽

哲学・日記・メモ「音楽と絵画『タブローは自己批判しない』」

哲学・日記・メモ「音楽と絵画『タブローは自己批判しない』」

音楽と絵画「タブローは自己批判しない」

音楽は本質を志向する、と言うよりも本質を志向すること自体が音楽なのではないか。
それは属性をそぎ落とし原初へと遡及して、最後は音そのものも消失してしまうだろう。そこにかろうじて残るものがあるとすれば世界の始まりの「ゆらぎ」、もしくは「インフレーション」のような「はたらき」そのものである・・・とでも言えばよいのだろうか。
対して絵画は、そのような音楽の本質志

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哲学・日記・メモ「音楽的なるものと絵画的なるものについて」

哲学・日記・メモ「音楽的なるものと絵画的なるものについて」

「音楽的なるものと絵画的なるものについて」

音楽の本質が、世界の開闢に向かう根源的志向であるのだとしたら、その過程で切り捨てられていく非本質な属性とは、具体的な言葉・歌詞の、まさにその具体性なのではないだろうか(この具体性・属性を「内容」とするならば本質は「形式」となる)。

音楽の本質は「旋律」にあるのだろう。

しかし・・・ある曲を聴くとき、私は歌詞を抜きにしてその曲に魅かれる事はない。

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テルミンは連続性の音楽?

テルミンは連続性の音楽?

テルミンは連続性の音楽?

「生活」は実務的で実用的な技術で、この技術は「暮らし」を寸断している。しかし「暮らし」は連続的なものである。そして「生活」の技術の断片をいくら集積しても「暮らし」のゲシュタルトには到達しない。だからと言って私は「暮らし」が最も大事なのだ」と言いたいわけではない。そういうものだという事を言いたいのです。
テルミンは電子音楽である。だから断片的で分節的な技術の産物であるのに

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雑考・日記・メモ「音楽が『呪術により近い技術』なら『絵画』は・・・」

雑考・日記・メモ「音楽が『呪術により近い技術』なら『絵画』は・・・」

「音楽が『呪術により近い技術』なら『絵画』は・・・」

音楽は「呪術に向かう技術」であり「絵画」は「方法に向かう技法」であろう。

「呪術⇔技術⇔技法⇔方法⇔方策⇔策略⇔謀略」と言う「企ての序列」を考えるならば。
因みに「謀略」の先はもはや企てを介さない「略奪」。

2022年1月16日 岡村正敏