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のり代のない紙



言葉では遅いが
心では早すぎてしまう


そんな瞬間に味わう、
あのグッとくる感覚を

なんと呼べばいいのだろう。










岸政彦さん著書の
「断片的なものの社会学」
という本に
心の全てを持っていかれた。


私の中にあったモヤモヤが全て言葉にしてある。





いつも不思議だった。


私の中のまだ観ぬ場所も
私には起きていない予期せぬ事態も

それが誰かの経験の中にはある。
同じ空間の中に同じ次元の中にある。

でも他人の過去の記憶の断片を
私は生涯知る事ができない。

きっと同じものを見ても感じる気持ちも違う。

そしてそれは
遠い他人であればある程、
私の何気ない暮らしの途中で
私の知らない間に起こり、終わり、
私は何事もなく過ごしていく。







うーん。やはり私は執筆には向かない。

伝わらない。

詰まるところ、
是非一度読んでいたきたい。













例えの話。


それはマンションの一室。

私の細胞を肥やすのは
午前0時の餃子とビール。
イヤホンからは爆音のロックが流れている。
食らいついた後は満腹感と引き換えの罪悪感が待っている。
ベランダに座り黄昏のタバコにヤニくらむ。


一方隣人は
寝かしつけた子供をわきに
やり残した洗い物に忍法忍び足でキッチンへ向かう。
やっと終わった家事に、ハーブティーで乾杯する。
ホッと一息ついた視線の先には
無造作に山積みにされた洗濯物がある。
どうにももう一息つくしかない。
そんな午前0時。

そうして同じ時間は流れていく。

翌朝のゴミ捨て場で
塩分とアルコールで頬が膨れ上がった瞼の私と
寝不足で垂れ下がった目尻をした隣人が
"おはようございます"とすれ違う。

過去の断片だけが見えていた。







自分の中にありもしない空間は
他人の中で
それが同じ瞬間に
全く違う形で存在している。


その全貌を知り得ないまま
淡々と日常を続けていく。

不思議だ。


知らないものほど美しく感じてしまうのは何故だ。

私以外の人間に映った景色の断片が
どうにも気になって仕方がない。

何とも表現しがたい。



嘘を貼り付けまくったSNS

銭湯で水風呂に浸かっている中年層


なんかグッとくるものがある




誰にも伝わらない、
ほんとうのところ。

誰も知らない本当の姿

その人の人生の欠片が
見え隠れする瞬間は

ワンピース程、
次回が気になるわけではないけど

でも、
もどかしい。

言葉では遅いのに
心では早すぎるような

変な感覚



そんなつもりではなかったけど
チラッと見えた一瞬

その瞬間の

グッとくる感覚を

なんと呼べばいいのだろう。

oki

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