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写真展はいいぞ 中野正貴写真展「東京」

「何の変哲もないものを、おもしろく撮ってみなさい」


大学で写真展を作る授業を受講していたとき、講師の写真家の先生が言っていた言葉である。


「綺麗なものを、ただ綺麗に撮っても何も面白くない。見た人が、『あれ?』って一瞬思うような写真でなければ、写真展には飾れない」


当時の私には、これがすごく難しいように思えた。

当時は既にインスタの「映え」文化が定着していたし、逆に「映え」ないものは撮って人様に見せてはいけないような感じがしていた。


さらに、自分が「あれ?」と思った渾身の1枚を撮っても、それは意外と評価されなかったり、逆にそんなに意識せずに撮った写真が「おもしろい」と言われたり。


結局私は、3ヶ月かけて「なんとか写真展には置けるレベル」までに達した写真を提出したのだが、講師陣のお眼鏡には叶わなかったと思う(笑)



あれから二年、

当時写真の勉強のつもりで行き始めた東京都写真美術館には、ちょくちょく通っている。


そこでは、たくさんの人の「あれ?」を生み出す鬼才たちに出会えるのだ。

***

中野正貴写真展「東京」に行った。


中野正貴氏の写真は、写真展の授業の時に講師の先生が紹介していたことで知った。


誰もいない、無人の東京、「東京無人」

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(※今回の写真展は撮影OKでした)

正直なところ、中野氏の名前は忘れていたのだが、

この写真だけはなぜか頭に残っていた。今回SNSか何かで偶然この展覧会を知って、「もしかしてあの時の・・・」という記憶をたどっていった。


なぜそんなに印象に残っていたのか。


最初写真を見たときは、「よく見る風景か~」と思うのだが、


「東京無人」


東京が、無人?

普段あんなに人がいる東京に、誰もいないとはどういうこと?

ここで私も「あれ?」となるわけである。


講師の先生は当時、「おそらく誰もいない東京を撮るのだから、朝早くに誰も居ない瞬間を狙って撮ったのだと思う」


と言っていた。


今や写真は、手元のスマホでパシャリと一瞬で撮れる。しかし、この人は、そんなに準備をして、狙って、この1枚を撮ったのか・・・


「写真を撮る」とは、そういうことなんだな、

と授業を受講し始めたときの私は思った。

「写真を撮る」のはすごく労力がいる、大変な業なんだと。


**

今回の展覧会で、「あ、おもしろいな」と食い入るように見てしまったのは、「東京窓景」という、東京の至る場所をビルや民家の窓を絵の額縁のようにして撮った写真のシリーズである。

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(※シリーズの一部)

丸い縁の窓から、なんだかレトロな車がのぞくもの、


あ、野球の試合だ、手前には食べかけのお弁当?解説者の席なのかしら?


何十にも重なった都会の道路、せわしない車、あ、窓の清掃マン・・・


などなど、1枚の写真が窓という枠を通して、たくさんの「東京」を映し出す。それが、これでもかというくらい並べられている。


このシリーズの中に、かの有名なアサヒビールのビルの金色のオブジェを、民家の窓から撮った写真があった。


黄金に輝く巨大なアレとは対比的に、民家の「日常」も映し出されていた。

運良く、実は会場に中野氏がいて、それについて語っているのを聞いてしまった。


「ここの家の人から、布団かたずけますね、と言われたけど、いや、そのままでいいからと言ったんだ」


というような内容だった。

通常なら、対象を撮るためには余計なものは片したい。おいしそうな料理を撮るなら、形がくずれたおしぼりは端に置きたくなる。


しかし、「あえて」布団は残したまま、撮る。


誰もが知る意図的に作られた金色のオブジェとは対照的な日常の布団、


これが「あれ?」になるんだなあ・・・


としみじみと味わった展覧会だった。


中野正貴写真展「東京」は、東京都写真美術館で2020年1月26日まで。


おわり


《余談》

カバーのモノクロの写真は、写真展の授業で提出したものの1つ。人がいる東京(笑)どこの駅かわかりますか?



正解は、JR秋葉原駅。

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大学生/ 俵万智/さくらももこ/藤崎彩織 エッセイが好き。 ヘッダーは井上涼展。
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