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前からずっと手に入れたかったもの。

時間もお金もかけてようやく手に入れたとします。

ところが目の前に来た途端に不思議な感覚に包まれます。

「あれ?ずっと欲しかったはずなのに・・・」
「もっとうれしいって感じられると思ったのに・・・」
「なんか違う感じがするんだよな・・・」

何とも例えようのないこの感覚、伝わりますか?




ドラマ化もされたマンガ「テセウスの船」で、こんな描写があります。


『同じなんだけど同じじゃない テセウスの船みたいに』


この表現がわたしにはしっくりきます。

同じ商品であっても、雑誌や動画で取り上げられていた紹介者が使っていた商品とはすでに異なるものなんですよね。何なら、紹介者込みでその商品が気に入ったという感じすらします。

だから自分が手にしても、何か見たものとは違う感じがしてしまうんです。


ちなみに『テセウスの船』とは、時間をかけて部品を交換した船は、最初の船と同じものと言えるのかという哲学テーマの1つです。

テセウスの船(テセウスのふね)とは、哲学のパラドックス(矛盾)の一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。
このパラドックスは、ある物体が、それを構成する全ての部品を交換された場合、その物体は元の物体と同一であると言えるか、という問いを投げかける。具体的には、ギリシャ神話の英雄テセウスの船が、長い年月を経て全ての部品が置換えられた場合、それはまだテセウスの船と言えるのか、という問いである。
この問いは、物体の同一性や存在の本質についての議論を引き起こし、哲学者たちの間で長い間議論されてきた。また、現代ではAIやクローン技術など、新たな科学技術の進歩により、このパラドックスは再び注目を集めている。例えば、人間の体の細胞が全て入れ替わった場合、その人間は元の人間と同一であると言えるのか、という問いはテセウスの船のパラドックスと同じ問いと言える。
(2023年10月26日更新)

実用日本語表現辞典

例えば、同じラインで同じロットで作られた量産品が2つあるとします。このとき2つの製品は、見た目も性能もすべて「同じもの」と言うこともできますし、別々の個体として存在している以上「違うもの」と言うこともできるわけです。


先ほどの、手に入れたら何だか違うという感覚は、後者の別々の個体として存在しているからに由来しているのかもしれません。

ということは、本当に欲しかったのは「紹介者が手にしているもの」であって、「商品そのもの」ではなかったわけです。

これが入手したとたんに感じる違和感の正体なのかもしれません。




さらに、もう一つの可能性があります。

それは「入手したら○○をしたい」という期待と、実際に手にした後に思い描いていたことができず「○○している暇がない」という現実とのギャップからくる違和感です。

例えばダイエットグッズなどは、この傾向が強いのではないでしょうか?
買う前は、「これをつけて毎日運動すれば痩せられる!」と息巻いていたのですが、いざ買った途端に「毎日運動するのって難しいよね・・・」と使うことすらなく、そのまま押し入れにしまわれてしまうという現象です。

これは、買って実際に使って痩せることを目標にしていたのにもかからわず、入手すること自体が目的になってしまったという「目的のすり替え」が起きてしまったことに原因があります。極端なことを言えば「買えば、手に入れれば、痩せられる」と思い込んでしまったわけです。


これもまた、手に入れた後に違和感を抱く理由になりそうですね。




物が多く、ついつい欲しくなってしまうわたしの性格。そのため、買って満足というものも数知れず。
宝の持ち腐れになってしまうので、くれぐれを気をつけようと心に誓いました。
今日のnoteはふりかえりというより、すっかり反省でした(汗)




#明日も佳き日でありますように
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