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毎日が輝いているわけじゃない
いつもキラキラしていて、楽しくて、心が躍るような毎日を送っているわけではありません。むしろ無味無臭で無色透明な日々の方が多いかも。
それは何も感じていないわけじゃなく、眼の前の出来事に心を揺さぶられるほどの何かを感じないだけ。むしろ感じたくない=鈍感でありたいのかも?
裏を返せば安定した穏やかな日々を送りたいという思いがあるからなのかな?
平和で平穏で安心して過ごせる毎日を心の底では望んでいて、ザワザワするようなことを避けると同時に、キラキラと輝かしいことも避けてしまっている感じ。
とにかく心が動かないように固定化・パターン化・ルーティン化することを目指しているかのよう。
だから、何もない日があるし、輝いている日々ばかりではないし。その代わりに嫌なことや辛いこともないんです。
つい先日とある話を聞き、ざっくりとまとめたものです。
望んでいるのは安定。
でもその言葉には、「他者の干渉によって心を動かされたくない」という思いが見え隠れします。
それはどこから来るのか……
当事者が向き合えていないため、これ以上の展開はなかったそうです。
わたしだって毎日が輝いているわけじゃありません。むしろ暗い日の方が多いかも。でも楽しいことやうれしいことに心が踊り、それがあるから嫌なことも乗り越えられる―――そう感じるタイプです。
だからなのか、「ネガティブな思いを抱きたくないから、ポジティブな思いも捨てる」というのはいささか悲しく感じました。
そこまでして安定が欲しいのは、なにか相当傷つくような経験があったからなのでしょうか……
だから平和で平穏な日々を望んでいるのかな?
今日のお天気のせいもあり、ふとこのことが頭をよぎりました。太陽の輝きを求めているわたしがいるのかもしれませんね。
明日も佳き日でありますように
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