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「立憲君主制の現在」君塚直隆(著)

 SF小説の父であるH.G.ウェルスによる君主制批判の一節から始まるこの本は現在も存在する立憲君主制の歴史とその政治的重要性について論じた皇室を持つ日本においても大変興味深い一冊である。カール・レーヴェンシュタインの「君主制」とウォルター・バジョットの「イギリス憲政論」を引用しながら、立憲君主制の持つ特筆すべき点とその制度的な価値を様々な立憲君主を例にして紹介しており大変勉強になった。

 「君主」というものが近代において淘汰されてきたものでありその潮流は第二次世界大戦後の世界でも顕著に表れ、現在君主制を取っている国家は大変少ない。しかし、淘汰されずに現在まで君主制が維持されている国はその歴史が長ければ長いほどに極めて深い意味があるということを私は感じている。

筆者である君塚直隆氏は英国研究者であり、その長年にわたる研究生活の中で英国王室の持つ政治的重要性に気づいたと著書の中で語っている。「君主」が教科書でならうような絶対王政の「絶対君主」から「立憲君主」に代わり保持している権能は減ったとしても存在意義は減った権能とは別に存在しており、それが国家統治において果たす役目は極めて大きいということがこの本を通じて余すことなく感じることだ。

 著書の中でも多くの分量を割かれて解説されている英国王室の歴史はまさに平易で理解しやすく、また読みやすい。議会制民主主義と立憲君主の代表であるイギリス政治と王室がどのような関係を経て現在まで生き残ってきたのか。イギリス王室と国民のコミュニケーションの歴史を見て、日本でも参考になるのではないかという点を多々感じた。

 現在の立憲君主が果たす役目の中で最も大きくまた関心した点は国民の支えとなる瞬間だ。ナチスに支配された時代の君主と国民の関係性を北欧の君主を紹介する章で記していたが、君主が表象する「国家」「国民性」というものはやはり君主という存在だからこそ感じとることのできるものであり、それは他にはない神秘性を持っていると言っていい。ただ存在するのではなく、神秘性を持って有事には国民性を表象し、時に鼓舞するものである存在というのは貴重だ。またこのような神秘性は一朝一夕で身につくものではなく、君主が体現する歴史の重みや君主そのものの人柄も影響してくる。日本の皇室が震災時などの有事の際に被災地を見舞うというのもこのようなことを感じる一種の機会であり、そのような体験ができる国家であるということに少し特別さも個人的に感じた。

王室だからこそできる「政治」に焦点を当てるとより複雑ではあるが興味深い特別な政治関係が見えてくる。そういう視点を与えてくれる一冊だった。

余談ー日本の皇室についてー

 今の日本において他の王室程の大権を皇室が有しているかどうかは時の政権の憲法解釈などによるだろうし、かつての「典憲体制」とは全然顔色の違う立憲君主制となっている。それがいいか悪いかは当然今後議論されるべきだと思うが、立憲君主制という点だけで見れば私は戦前の方がはるかに西欧的な立憲君主制であったのではないかと考える。

 著者は現在の日本の皇室の状況についても言及し、皇位継承者の減少を鑑みて女帝や長子相続制などによる皇位の安定のための改革を提案している。ここに関していえば私は著者の提案も興味深いものではあり、西洋の改革に則った効果のある手法なのかもしれないが改革の必要性をまったく感じない。

日本の男系継承に対する不安はあるかもしれないが、現在は悠仁様がいらっしゃる。ゆえに皇位の継承に問題は感じない。悠仁様がいるにも関わらず先例を曲げる必要などどこにもないのではないだろうか。

著者はタイのチュラロンコーン大王の言葉を引用し、独自の「文化」「伝統」「慣習」に基づく君主制の維持を模索すべきと書いている。まさに日本の皇室においてもそうでこれまでの「男系継承」は日本の歴史伝統に基づいたものであり、そこに新たな制度を持ち込むのは時期尚早だろう。まずは過去皇位継承に関する皇室の危機があった時、先人はどのように対処したのかを考え、それに基づいてしかるべき対処をすればいい。最初から革新性を導入する必要は微塵もない。なぜなら日本の皇室は世界最大の歴史を持つがゆえに多くの難を越えてきているのだから。

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