生きる喜びと、生きる悲しみと
前回の記事で食中毒を乗り越えた矢先にまた体調を崩したと言いましたが、その後体調は回復するものの、こころのほうは全く追いつかない毎日を送っています。
体調不良後にやってきた「うつリターン」がとってもとってもつらい。
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少し遡ること10月中旬、うつ病の治療を始めて約2ヶ月がたった頃。抗うつ薬の効果が出てきたのか頭が軽くなったような気がして少しハッピーになってきていました。また、自分が生活していく中で「このことを考えるとしんどくなる」という壁を病院の先生や両親と話して取り払った後だったので、個人的にはとてもいい流れだと思っていました。もしかしたら寛解も夢じゃないかも、と(このnoteでいうとどうやってうつになったか後編を出していた頃)。
そんなときに食中毒と直後の体調不良がやってきて、メンタルも体もボロボロ。急激に奈落の底に落とされた気持ちになって、前回の記事の状態が生まれたのです。
結局2度目の体調不良の原因はまだわかっていませんが、食中毒での抗生物質が強過ぎて腸炎がおきたのではないかというのがお医者さんの見解らしい(意識朦朧としてたから詳しいことは覚えてないけど…)。病院に行った日の夜に熱が下がり、体調もだいぶよくなりましたが、病院に行く直前に「つらい、死にたい、消えたい」と電話したことで心配した父が、次の日に仕事を休んで迎えにきてくれました。そして「よく生きました。」と優しい笑顔で言ってくれて、温かい涙がでました。
実家に帰り、暖かいストーブとこたつ、お母さんの美味しいご飯に囲まれて安心していた頃に、もやっち(漠然とした不安の塊)はやってきました。
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もう全身の痛みはないのに、もう何度もトイレに行く必要もないのに。
もうお腹は痛くないのに、もう我慢せず好きなご飯を食べていいのに。
代わりに強烈な死への願望とうつゾーンに招かれた。
8畳の部屋を覆い埋め尽くす黒々しい雲のようなもやっちが自分に襲いかかってくるようで布団から出られない。動悸がして不安が助長される。無意識的にとめどなく涙が流れる。寒天に固められたような脳みそが精一杯「つらい、しんどい、死にたい、消えたい」というネガティブな気持ちを生産してくる。でもそれだけじゃなく、「どうやって死ぬか」を真剣にわたしの手や足に伝えてくる。
今までのわたしはネガティブな気持ちと対峙することはたくさんあっても、死ぬ方法を真剣に考えたことはありませんでした。希死念慮はあっても「わたしが死んだら悲しむ人はきっとたくさんいるし、なによりいろいろなところに迷惑をかけてしまう」と、本当の死をイメージをしても勇気のなさと周囲への影響を考えて思い留まっていたのです。しかし、少し体力と意識が戻った今、死を選ぼうとする意志も強くなってしまっているようで。どうやらうつ病がなおりつつあるときの”あるある”らしい。
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こうして今生きてはいるものの、希死念慮は消えることがありません。むしろ前より強まってしまったように思っています。無情にもあと何十年と続くであろう我が人生に日々絶望しています。
理由はよくわかりません。
そういう病気なんだと、受け止めるしかないのかな。
今までのわたしは知らない知識、知らない世界、まだ観ていない映画、まだ読んでいない本、これから行きたい国、これから出会いたい人に出会うまではまだまだ死ねないな、長生きしたいなと思って毎日過ごしていました。そして、生まれ育った故郷での震災体験や同じく甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市での豊かに生きる人との交流を通して、「自分の人生は自分でつくっていく。わたしの豊かさはわたしの歩みで手にしていく。」と信念にしていました。この信念が強いあまりに、気づかぬうちに自分に鞭を打ち続けて倒れてしまい、「休んでいてなにも生産していない自分に生きている資格はない」と思うようになったうつ初期。
今のわたしは少し違う気がする。
生きることにもう、疲れてしまった。
生きることにもう、飽きてしまった。
生きることにもう、つまらなくなってしまった。
なぜ生きているんだろう、という問いの意味が前より後退してしまった。
早く消えてしまいたい、という意志が前より前進してしまった。
わたしはいまこうしてnoteを書きながら、うつ病を本当に寛解したいと思う自分がここにいないことを認知しています。
わたしが死以外の選択をするにはどうしたらいいのでしょう。
2018.11.7(Wed) おかぴ
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