見出し画像

社会人の博士前期課程1年、前期が終わりました

自分が属しているところが「修士1年」なのか「博士前期課程1年」なのか未だに言い方が分からないまま、無事に大学院生として1年目の前期が終わりました。

一応、長期履修生の届けは出しているので、最長4年かけて修士論文を1本書いてもよい環境です。ただし15名ほどいる同期はみんな学部から進学した人ばかりなので、2年間で1本書くつもりで勉強している。

そのペースの中にいると「4年で」という気持ちにはあまりなれず、やっぱり2年で結果を出したくなってきました。

そうなると、1年目に取得すべき単位数もクリアしないといけないし、論文構成もそのつもりで考えないといけない。結局、想像していたよりも密度の濃い前半戦になりました。


20代に紛れる度胸がついた

最初の頃は教室前にたむろしている学生さんをかき分けていくのに勇気が要りましたが、毎日やっていると「普通」になります(笑)まあ、先生や職員の方もいるので、自分と同世代の人が珍しいわけではありません。自分の心持ち次第で慣れるのだなと思いました。

でもうっかりすると階段を昇りながら「よいしょー」などとつぶやいてしまうので、そこは気をつけています。誰もそんなこと言ってない。スタスタ世間話をしながら昇っていくし。

やっぱり学部4年の積み上げには負ける

同期のほとんどは内部進学生で、4年かけて歴史学や民俗学の授業を受けています。話を聞くとみんな「そんなやってないですよ」「全然ダメですよ」みたいな言い方をするのだけど、いや全然違うって。やっぱり4年かけてそういう授業を受けて、意識して考えたことがあるだけでも違うって。

授業で当てられて意見を述べるのを聞いただけでも「ああ、そういう本を読んできたのか」とか「学部の授業でそんな経験をしてきたのか」とか「その専門をずっと考えてきたのか」とか、積み上げの差を感じます。

でもみんな謙虚というか、奥ゆかしいというか。こちらは毎日「みんな強いなあ」と思いながら授業を受けています。

前より資料/史料を意識するように

分野によっても違うかもしれませんが、自分が所属しているところは「資料/史料」の扱いが不可欠です。それは古文書かもしれないし、文物かもしれないし、写真かもしれないし、音声かもしれない。ちょっとした紙切れも立派な材料です。文書だけに限らないので「資料」と書きます。

形があったりなかったりする資料をどう活用して自分の論文に反映させるか。もしくは、新しい資料をどうやって見つけ出すか。すでにある資料に新しい価値を付けられるか。

総論の授業ではどの先生も「資料を発見すること」「資料を作り出すこと」に言及します。もちろん捏造する意味ではなく、他の人が目を向けていなかった資料の役割についてちゃんと言明して、研究史上にどう位置づけるかという話です。

入学前は何となく「すでにあるものを使ってどうやって論を立てるか」という意識でいましたが、全く違いました。もっと広くて深いし、掘り方によってはどこまでも究めていける。だから面白いんだろうなあ。

足で稼ぐ、をやってみたい

歴史学でも民俗学でも、フィールドワークで現地調査をしたり、遠方の図書館や公文書館などで資料を探したりする必要があります。この点は「ああ、自分の研究分野でもそれをやっていいのか」と目からウロコが落ちました。大義名分を持ってどこにでも行ける(笑)

所属先があるのも強みです。フリーランスのライターのままでは行きにくいところも、研究科の学生証を持って「研究目的です!」というとかなりハードルが下がります。これは本当に入学してよかったところ。せっかくなので後半戦は使い倒していこうと思います。

* * *

指導教官の先生からは、1年目はとりあえず何でも資料を集めて見たり聞いたりしたほうがよい、とアドバイスをいただきました。他の社会人大学院生の先輩もその点は同じ様子。

ライター仕事だと、つい手持ちの材料から結論を急いでしまいがちです。そういう仕事なのだから仕方ないといえばそうなのですが、この感覚は切り替えないといけません。難しいけれどまだまだ挑戦する甲斐があります。

思っていたよりも登校頻度は高く、平日はほとんど通学しました。授業の時間帯は午後〜夕方が多いので、午前中に取材や執筆を入れています。後期も同じようなペースで続けていけそうです。がんばってこー。



いいなと思ったら応援しよう!

丘村奈央子
よろしければサポートお願いします!いただいたお金はnote内での記事購入やクリエイターとしての活動費にあてさせていただきます。