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大佛次郎『冬の紳士』を読んだ

先日、大佛次郎記念館へ行った。猫とカメラが好きな作家で、横浜を舞台にした小説も多く書いている。大正・昭和の時期に活躍、『鞍馬天狗』の名前は知っているけれどちゃんと読んだことはない。

昭和中期の作家の本はよく読んでいたけれど、もう2世代くらい前の人のはあまり手に取ってなかったな。そう思って帰り道にAmazonで本を探して、時代物ではない『冬の紳士』というタイトルに惹かれて読んでみた。

舞台は戦後だけれど

常連に支えられた小さなバー「エンジェル」から話は始まる。小説の主人公かと思った青木正人はどちらかというと狂言回しの役だ。幾人かの会話を経て、いつもバーの片隅で静かに話を聞いている初老の「冬の紳士」と呼ばれる人物に焦点が移っていく。

この「冬の紳士」は、恵まれたこれまでの生活から自分を引き離そうと試みていた。青木は彼に興味を持って近寄ったばかりに「冬の紳士」の人間関係や事件に巻き込まれていく。

サスペンスではない。どちらかというと地に足を着けよう着けようともがいている人の話だった。でも出来事が起こるたびに「次はどうなるんだろう」と気になって読み進めてしまう。

舞台は戦後すぐの東京。銀座や有楽町、まだ戦災の爪痕が残っている住宅地、外地から引き揚げた人々や若い大学生の会話、花街の女性とのやり取りなどいろんな情景が出てくる。でも遠い人たちとは思われない。

会話は少し古めかしいものの、地の文の描写が淡々としていて今もどこかに同じ景色がありそうな気がする。戦後だけれど戦争が「冬の紳士」には直接関係してこないからかもしれない。

あと「ここを掴みにしたんだな」とか「こうやってキャラ付けを盛っているんだな」とか、小説の技巧的なものを感じさせない文体なのもいい。淡々。どちらかというとドライ。客観的。事実が物語を動かしている。

自分にとって久しぶりに「ああ、読んでいて心地よい」と思える日本語だった。

「冬の紳士」が持つ強さ

読み進めるうち、謎に包まれていた「冬の紳士」の素性は明らかになっていく。冒頭から登場していた青木がその節目節目に立ち会うことになり、読者も彼と一緒に「冬の紳士」の中身を知っていく。

小説を通して印象づけられるのは、「冬の紳士」の意志の強さと決意の固さだ。なぜそんな意志を持つようになったのか、どうしてそれを通したいと思っているのか。当時としてもかなり無茶に近いことだけれど、彼は自分を諦めない。

どんなときも彼は激昂したりせず、相手に向けて言葉を使って、静かにきちんと話す。バーで渾名となった「冬の紳士」という例えは絶妙で、読み手にもま彼が纏う空気を伝える。ただ彼が起こそうとする行動は「紳士」的ではない。だからこそ小説内の人物たちも振り回されるのだけど、渦中の彼の達観した態度はちょっと憧れる。

彼が望んでいるものについては意見が分かれるかもしれない。私は似たような感覚を知っていると思った。逆に全くあり得ない人もいるだろう。

ただ彼と同じように行動できるかというと途端に自信がなくなる。だからこそ「冬の紳士」の生き方は羨ましく、小説としても心に残った。説得力のある説として迫ってくる。

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