麒麟がくる 「明智光秀の正義と現代の麒麟」
おはようございます。そろそろ令和にも麒麟が来ると感じているアルキメデス岡本です(^-^)
麒麟がくるとは
2018年4月19日の制作発表で池端俊策の脚本で明智光秀の生涯を描き、主人公の明智光秀役には長谷川博己が起用されることが公表された。長谷川の主演は池端のリクエストによるもので、2016年の同放送局のドラマ『夏目漱石の妻』に続く組み合わせである。また、長谷川は2018年度後期放送の連続テレビ小説『まんぷく』出演に続けてのオファー受諾であった。タイトルは仁政を行う王の元に現れるとされる伝説の動物「麒麟」が由来となっており、モチーフとしての麒麟が何者で、如何にして何れの英雄の前に現れるのかを問うていく物語となるという。
4Kでフル撮影し、最新の研究成果も踏まえ従来と異なる新たな解釈で戦国時代の物語を紡ぎ、光秀の謎に満ちた生い立ちにもスポットを当て、英傑たちの父親の時代をも描き斎藤道三、足利義昭、織田信長、徳川家康らの蠢動から活躍を見せてゆく群像劇として制作するとしている。2019年6月3日にクランクイン。当初、帰蝶役には沢尻エリカがキャスティングされていたが、配役の変更措置がとられて11月21日に川口春奈が帰蝶を演じることが発表された。
この大河ドラマの主人公、明智光秀の生涯は謎に包まれており、ドラマで描かれているシーンは制作側のフィクションの部分が多い。しかし、それよりも明智光秀の人格や思考など不明だった行動原理を、創作の中でどのように描いていくのかが注目されている。
時代背景
明智光秀が生きた戦国時代は、政治が混乱し各地で戦が起こっていた。世は乱れ人民は希望を失っていた。世を治める為には金や権力、時には暴力が勢いを増した。また、戦国時代を生き残る為には、暴虐無人なものも現れた。そんな時代を治めようと尾張から織田信長が突如、彗星の如く現れ、世の中を天下布武の元、次々と平定していく。織田信長の勢力は拡大し、天下統一も目前に迫っていた。
しかし、一人の武将の行動が流れを変えた。明智光秀が主君、織田信長を本能寺で討ったのである。1582年6月2日に起こった本能寺の変によって、織田信長の勢力は一気に弱体化しそれに代わって豊臣秀吉が天下人に名乗りを挙げた。この歴史的ターニングポイントを引き起こした明智光秀は、はたしてどのような行動原理で織田信長を討ったのだろうか?
明智光秀の正義
明智光秀は織田信長に自ら仕官し順調に功績を積み重ねて行った。本能寺の変の直前までは、織田信長の右腕として朝廷や四国の長宗我部らとの交渉で力を発揮した。しかし、次第に織田信長との関係は悪化し、四国の長宗我部との関係は反故になり、光秀の立場は危うくなっていった。それに加えて、織田信長の政治思想はこれまでよりも一層過激になり、自らを神とする新たな国家体制を築こうとしていた。そんな時代背景の中で明智光秀はどのように感じ何を考え本能寺の変に至ったのか、私独自の調査から分析したいと思います。
光秀の考えとしては、国家体制は天皇を中心にした今まで通りの政治システムを理想と考えていた。織田信長を武家の頭領として天下を統一し、世の中に平安をもたらす。その為には、ある程度の暴力は致し方ない。天下統一した暁には、自分も織田信長と共に政治システムの重要な役職に付き万事事なきを得たい。と思っていたのではないだろうか。
しかし、上司である織田信長の行き過ぎた政治思想と光秀の考えにズレが生じ、それに違和感を覚えていた。さらにその考えに疑問を持った光秀は、自らの手でこの世の中を平定していく事を考えはじめた。織田信長の一方的なパワハラによる影響もあり、その考えは次第に光秀の中で正義となっていった。
今まで織田信長の天下布武の元、戦乱の世を平定していくという大義名分が光秀の正義でもあったが、織田信長の政治思想が過激になるにつれこの男に天下を統一させるのは危険であると考えた。次第にこの男の暴走を止めるチャンスはないか考えるようになった光秀は、信長が本能寺に滞在している今こそが唯一の好機と考えた。
光秀の行動原理
光秀の天下は三日天下となってしまいましたが、光秀の正義からすれば色々な思惑が絡む中、信長の野望(暴走)を止める事が行動原理になったとみるのが有力な説だと思います。私はこの行動原理に突き動かされた光秀の心理状態は、現代にも通じている心理だと思います。社会人経験がある人ならば誰しもが一度は経験した事があるような出来事だと思います。
行動分析学では、「状況」がその人の行動を決定します。これは行動分析学において大前提となる考え方です。状況の変化で行動がどのように変わるのかは3種類に分類できます。すべての行動はこの3つの行動原理いずれか、あるいは複数の影響を受けることになり、その後に、その行動が習慣化するかしないかを決定するという実験結果があります。
その3種類とは、強化の原理、弱化の原理、消去の原理です。
光秀の場合は、信長によって自らの理想と平安が脅かされようとしていた状況でした。この状況に追い込まれた光秀は、自らの状況を好転させる為に今までの上下関係を破壊し活路を見出そうとしたのだと思います。つまり、理想を実現したいという強化の原理と自分を評価しなくなった信長を抹殺したいという消去の原理が同時に働いたと考えられます。
麒麟とは
麒麟とは、王が仁のある政治を行う時に必ず現れる獣神。つまり、戦国の世に現れた麒麟とは、明智光秀なのではないか。光秀は自らの理想と正義に則って仁のある政治を行う為に、麒麟となった。また一方、天下布武を掲げ天下統一を目指した織田信長もその可能性を秘めた一人であったが、その道は絶たれた。その後に続いた豊臣秀吉と徳川家康も、戦国時代に現れた英雄=麒麟と考えていいだろう。この時代に現れた戦国武将達は、自らの理想と正義に則って仁のある政治を目指した麒麟だったと思います。光秀はその中でも、この仁に対するこだわりが強かったのではないだろうか。私はその気がしてならないのです。
現代の麒麟
現代においては、新型コロナウイルスによる社会不安と経済低迷で世の中は乱れはじめています。この国の王が行っている政治は、仁のある政治とは程遠い状況です。果たしてこの不条理が支配した時代に麒麟は現れるのだろうか。。。大河ドラマ「麒麟が来る」の放送と共にその登場を待ちたいと思います。
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