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新世紀アフターコロナ-大恐慌と全体主義のメカニズム-

おはようございます。新型コロナウイルスが終息した後が本当の恐怖だと思っているアルキメデス岡本です。

前回、アフターコロナ以降の社会がどのように変化していくのか簡単にまとめましたが、今回はさらに突っ込んだテーマを考えたいと思います。


ゴールドマンサックスの試算によれば、7都府県を対象にした緊急事態宣言を前提とし、第1次補正予算の内容を加味したうえで、2020年4~6月期実質GDP成長率(前期比年率)は従来予測のマイナス7.2%からマイナス25%に修正される状況となった。これはGDPデータをさかのぼれる1955年以降で最大の落ち込みとされており、日本経済が未曽有の経済危機に突入しつつあることを示唆している。消費も設備投資も輸出入も壊滅的な打撃を被る予測となっている。

新型コロナウイルスによるコロナショックは、2008年のリーマンショックを遥かに超えた被害を我々人類にもたらしつつあります。歴史に照らして見た場合は、1929年の世界大恐慌以来の経済危機でコロナ終息後には実体経済が立ち行かない恐れがあります。また、そのようなパニック状態においては人間は、不安や不満から思考停止に陥りやすくなり、嘘や謝った思い込みを信じ込みやすくなり、全体主義へと向かってしまう可能性もあります。

そのような歴史の罠にハマらない為にも、世界大恐慌と全体主義について改めて考えたいと思います。

世界大恐慌とは

世界恐慌、大恐慌とは、1930年代にアメリカを皮切りに世界的に起こった深刻な経済恐慌のことである。大恐慌の時期は国によって異なり、ほとんどの国では1929年に始まり、1930年代後半まで続いた。それは20世紀の中で最も長く、最も深く、最も広範な不況であった。世界恐慌は、世界経済がいかに激しく衰退するかの例として一般的に使われている。

世界大恐慌は、1929年9月4日頃から始まったアメリカの株価の大暴落から始まり、1929年10月29日の株式市場の暴落(通称ブラックチューズデー)で世界的にニュースになった。1929年から1932年の間に、世界の国内総生産(GDP)は推定15%減少した。それに比べて、2008年から2009年にかけての大不況期では世界のGDPは1%未満の減少であった。一部の経済は1930年代半ばまでに回復し始めた。しかし、多くの国では、世界恐慌の悪影響は第二次世界大戦が始まるまで続いた。

世界恐慌は、豊かな国と貧しい国の両方に壊滅的な影響を与えた。個人所得、税収、利益、物価は下落し、国際貿易は50%以上減少した。米国の失業率は23%に上昇し、一部の国では33%にまで上昇した。世界中の都市、特に重工業に依存している都市は大きな打撃を受けた。多くの国で建設が事実上停止された。農村地域や農村地域は、農作物の価格が約65%下落したために苦しんだ。鉱業や伐採などの第一次産業に依存している地域が最も被害を受けたのであった。

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当時は比較的大きな富の格差があり、その大きな富の格差のために政治の分断があった。
富のパイをどう切り分けるかについて大きな議論が起こった。
歴史を通して、私たちはこのサイクルを繰り返している。

ナチスによる全体主義の誕生

世界大恐慌の影響で世界各国がブロック経済化し、第二次世界大戦へ繋がった話は有名です。

(1) 金融がマヒ、取り付け騒ぎが起きる
(2) 企業活動が停止、失業が急増
(3) 雇用を生むため大型の公共事業を展開(ニューディール政策)
(4) 輸出拡大を狙った通貨の切り下げ競争がブロック経済圏を生む
(5) 保護主義が横行し、自由貿易網が事実上崩壊。経済的苦境に
(6) 急進的な政権の成立につながり、第2次世界大戦へ
(出所)波乱の歴史 乗り越え成長

ドイツの社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、著書『自由からの逃走』の中でこう述べています。

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<ナチズムの心理>(『自由からの逃走』第6章~)
ナチズムが台頭してきたとき、一部の熱狂的な人びとは新しいイデオロギーに深く惹きつけられ、その主張者たちに狂信的に結びついていった。
しかしその他の多くの人びとは、なんら強力な抵抗を示すこともなくナチ政権に屈服していったのである。なんら抵抗も示さずにナチ政権に屈服していった人びとは、主に労働者階級や自由主義的な知識人であったが、彼らはナチズムに対して敵意を抱いていたものの、そのすぐれた組織にもかかわらず、当然期待してよいはずの内的な抵抗を示さなかった。ナチ政権に人びとが簡単に服従してしまったのは、心理的には主として「精神的に疲労していたこと」と「あきらめの状態にあったこと」によるものと思われる。
この状態は現代における個人の特徴であり、民主的な国の人びとの心理においてさえ例外ではない。大多数の人びとがナチ政府に対して忠誠を捧げるにいたったもう一つの誘因がある。
ひとたびヒットラーが権力を握った以上、彼に戦いを挑むことはドイツの共同体からみずからを閉めだすことを意味した。より大きな集団に属していないという感情ほど、普通の人びとにとって堪えがたいものはない。
もし祖国を捨ててでも孤独であることと、そのまま祖国に属しているという感情をもつことと、どちらかを選ばなければならないとすれば、多くの人びとは孤独より祖国に属していることを選ぶであろう。そしてどのような政党でも、ひとたび国家の権力を掌握すると、人びとの「孤独の恐怖」と「道徳的な原理の弱さ」が手伝って、大部分の民衆の忠誠を獲得することができるのである。ナチのイデオロギーは「下層中産階級」によって熱烈に歓迎された。
下層中産階級に属する人びとの社会的性格にはいくつかの特徴的な特性があった。
それは、
・強者を愛すること
・弱者を嫌悪すること
・小心なこと
・敵意を抑圧していること
・けちくさいこと
・禁欲主義であること

というようなことである。彼らの人生観は狭く貧しい。
未知の人間に対しては疑い深くて相手を嫌悪し、知人に対しては詮索好きで嫉妬深い。
しかもその嫉妬を「道徳的公憤」として合理化していた。
彼らの全生活は、心理的にも経済的にも「欠乏の原則」(不満の感情)に基づいていた。ドイツ革命の以前は、下層中産階級の経済的地位は低下しつつあったものの、それはまだ絶望的ではなく、地位を安定させる多くの因子があった。
しかし第一次大戦後に状態は大きく変化した。敗戦により経済的に衰退し、君主制の崩壊により彼らは心理的な支えも失った。
君主政治は彼らがそれに寄りかかり一体となることによって、安全感と自己満足的な誇りを獲得していたのである。
そして中産階級にとって安定の最後の要塞である「家族」もまた粉砕された。君主制や国家のような「権威」が衰退することは、個人的な権威である両親の役割にも影響を及ぼした。
若い世代にとって、両親から尊敬するようにと教えられた権威が弱体を暴露したとき、両親もまた威信と権威を失ったのである。社会的不満は増大し、それは外部へ向けられることになる。
人びとの不満が国家社会主義のエネルギーの源泉となった。
国家の敗北とヴェルサイユ条約は、現実の不満(社会的不満)がすりかえられるシンボルとなった。
そして「国家的公憤」は、社会的劣等感を国家的劣等感に投影する一つの合理化であった。

そしてヒットラーが登場する。社会的不満の投影はヒットラーの個人的発展において明らかとなる。
ヒットラーは下層中産階級の典型的な代表者であって、彼自身にはチャンスも未来も何一つない、とるにたらない人間であった。

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全体主義とは

個人の利益より全体の利益を優先し、個人が全体のために従属しなければならないとする思想。また、カリスマ的指導者が世界を一貫した世界観で語ろうとするのが特徴。

この事は特に、哲学者ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』で広く知られるようになりました。

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全体主義は、イタリアのファシズムやドイツのナチズム、冷戦中のロシアなどの国家を指す時に使われた言葉ですが、実は「何十年も昔にあった歴史的出来事」で割り切って良い概念ではありません。全体主義の本質を知ると、それは今でも別の形で起こりうるものだということが分かるはずです。そのため、全体主義について知ることは、日本という平和な国家で暮らす私たちにとっても、とても重要なことなのです。

全体主義とは、個人の利益より全体の利益を優先し、個人が全体のために従属しなければならないとする思想のことです。

「全体主義」という言葉を使い始めたのは、イタリアのファシズム政権やドイツのナチス寄り知識人達だったそうです。そして、全体主義的国家として代表的なのも、そのファシズム、ナチズムや戦時の日本のような国です。また、米ソ冷戦時にはロシアなどの社会主義国も全体主義国家と言われました。これらの国家は、「全体」の目的達成のために国民の自由や行動が制限され、国民は「全体」つまり国家のために力を尽くすことが求められたのです。

そして、個人の利益は「全体」の目的を達成することでしか得られないとされました。

全体主義のメカニズム

フランス革命を期にヨーロッパに続々と誕生した「国民国家」。文化的伝統を共有する共同体を基盤にした国民国家は、「共通の敵」を見出し排除することで自らの同質性・求心性を高めていった。敵に選ばれたのは「ユダヤ人」。かつては国家財政を支えていたユダヤ人たちは、その地位の低下とともに同化をはじめるが、国民国家への不平不満が高まると一身に憎悪を集めてしまう。「反ユダヤ主義」と呼ばれるこの思想は、民衆の支持を獲得する政治的な道具として利用され更に先鋭化していく。

つまり、全体主義のメカニズムとはこのような流れの中で起こる。

・社会に対する不安や不満が高まる
・カリスマ的リーダーが現れ独自の世界観で人々を扇動する
・根拠が曖昧な理論や善悪の二元論的な思考で洗脳する
・外部に共通の敵を作り自分達の思い込みを絶対視して快感に酔いしれる
・思考停止に陥り自分達の世界観を拡大していく

このような極端な思想が生まれるために、いかに「世界観」が重要な役割を果たしているかが分かります。ナチスには反ユダヤ主義、オウム真理教には輪廻がありました。その世界観が極端な行動に向かわせるためには民衆、信徒に不安感をもたらす理論がなければならない。それが陰謀論であったり、地獄の存在と終末論だった。誰も知らない「真実」を自分たちだけが知っている。それに向けて具体的な活動を起こしているのは自分たちだけだと思ったとき、自分たちには特別な使命があるのでないかと「信じたくなった」のだ。その思い込み・自負・正義感などの感情が強ければ強いほど、活動に積極的に関わっていった。

これらの反ユダヤ主義・陰謀論・終末論などは、具体的な根拠がないにもかかわらず、不安を感じながら生活している人々にとって、分かりやすく受け入れやすいものです。著者はこのような分かりやすすぎる話には気を付けろと警鐘を鳴らしている。ナチス親衛隊や麻原を始めとする実行犯たちは、その確信のために自分たちは正義だと思い込み活動を過激化した。それは外部から見れば明らかな暴走であり、身勝手な行為であるにも関わらず。

このようなメカニズムが働いている場合、全体主義に取り込まれた人々は、外部は敵として認識され自分達の言動が間違っている事に気づきません。いわゆるマインドコントロールされた状態で、客観的に現実を捉えられなくなってしまうのです。

日本に忍び寄る全体主義

現代の日本おいては、そのような全体主義に通じる活動は今はまだ表面化していませんが、今回の新型コロナウイルスによるコロナショックによって再び活動が活発化される可能性があります。

人々の不安と不満がさらに高まれば、上記で述べたような終末論や独自の世界観を語るカリスマ的リーダーに人々は集まっていくでしょう。既にオンラインサロンなど閉ざされたネットコミュニティなどでは、同じ思考で共通の目標に向かって活動するという全体主義的な思想活動が勢力を増しつつあります。それらの団体も自分達の活動が正義だと信じ混んでいる割合が高いので、いつどこで暴徒化するか分からない危険性があります。

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私自身もつい最近までそのようなオンラインサロンに入会していたので、全体主義的で二元論的な思考の罠に嵌まりかけました。自分は幸い途中で我に帰り、冷静な思考を取り戻し脱会する事が出来ましたが、一度その同質な世界観の中に入ってしまうと、その場独自の空気や教義に疑問を投げ掛ける事は、心理的圧力やいじめの対象になる恐れがあり中々難しかったです。

全体主義的思想を持つ国家や団体の特徴としては、以下のようなものがあります。

恣意的に作られた世界観・イデオロギー
全体主義の特徴の一つは、権力によって恣意的に作られた「世界観」「物語」「イデオロギー」が国民やメンバーに共有されているということです。

権力を独占する政府やカリスマ指導者
イタリア・ファシズムにはムッソリーニ、ナチスドイツにはヒトラーというカリスマ指導者がおり、戦時日本には権力を独占した軍部がありました。

国民の思想・行動のコントロール
全体主義国家は、異分子を徹底して排除する必要があります。なぜなら、国家に対して異を唱える勢力が大きな力を持ってしまうと、国民に世界観・イデオロギーを共有させることができず、権力を独占できなくなるからです。

そのため、全体主義国家は、

プロパガンダ(マスメディアなどを通じて特定の思想に誘導すること)
言論統制(国家への批判や敵国を肯定することなど、特定の言論を禁止すること)
暴力による支配(国家に刃向かう人間を捕らえ罰を与えるなど)

といった手段を使う傾向があります。

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また、社会不安が全体的に高まれば自国の保護主義が強まり、国家を導くリーダーにも同じような現象が現れてくる可能性もあります。既にその兆候は至るところで発生しています。

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恐怖に打ち勝つ

このような事から、大恐慌から全体主義までのメカニズムには一定の法則があるように思います。1929年に起こった世界大恐慌とそこから全体主義が誕生し、世界的な戦争に発展しました。今回は新型コロナウイルスのパンデミックを引き金に、長期的な経済危機が予測されます。また、アフターコロナ以降の社会では資金繰りが立ち行かなくなり、倒産する企業の数は予想以上に高くなると思います。その結果、社会に対する国民の不安と不満は高まり、そのはけ口を解放する動きが高まる事になるでしょう。この状況は大恐慌から全体主義が生まれた時と重なります。

冒頭でも述べたように、我々人類はこのような歴史の罠にハマらない為にも、世界大恐慌と全体主義について改めて考える事が必要になったように思います。

そして、アフターコロナ以降の日本はこの不安と恐怖を乗り越え、新しく生まれ変わる事が出来るのか!?

今日本は、新世紀を迎えようとしている。






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