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告白

 告白しよう。狼だぬきはこれまでの人生において、重大な勘違いをしていた。その勘違いによって、彼は自らを生きづらくさせたし、世界をつまらないものにさせた。

 その勘違いとは、「人々は閉じている」という偏屈な認識である。人々は閉じていて、冷たくて、やさしくない。
 そのため、彼は有事の際には自分の内側の深いところまで逃げなければならなかった。誰も入れないであろう暗部に身を潜めて、重厚な壁をもって繊細な自分を守らなければならなかった。それが信念だった。

 しかし、いま気づいた。本当は「人々は開かれている」ということに。

 有事の際には、力を尽くして支え、引っ張り出してくれる存在があった。どれだけ深く潜り込もうとも、光を当てようとする存在があった。暗部すら一部だと認めてくれる存在があった。陰りを超え希望へと導く存在があった。過ちを許し調律する存在があった。

 人々は、開かれていて、あたたかくて、やさしい。世界が閉じていたのはなかった。彼が閉じていたのだ。彼の信念の実態は、囚われだった。

 世界は、あくまで彼に呼応していた。あるがままの世界を知覚している、と狼だぬきは考えていた。しかし、違っていた。その誤解が彼を支配する内は、彼の世界は暗く陰ったモノトーンのままだった。あるいは、メランコリーな陰鬱さこそ美しいとさえ考えていた。

 事実はこうだ。自分があるがままに、世界が知覚されるのだ。彼のありようが、世界を構成するのだ。

 陰りは、美しさの一側面に過ぎない。暗闇の対極には、絵に描いたような希望の陽光が広がっていた。冬が終わると春が差し込むように。それはモノトーンの美とは違った、鮮やかに色づいた美だ。そして、春と冬は異なる理由で、同じくらい美しいはずだ。


 告白しよう。狼だぬきはこれまでの人生において、重大な勘違いをしていた。その勘違いによって、彼は自らを生きづらく感じさせてきたし、世界をつまらないものに見せてきた。

 彼は今、朝の太陽をじっくりと体に馴染ませるように、新しい可能性を、常識を、人生を、世界を、徐に身体に満たしている。手先や、足の指に至るまで、隅々に。そして確認する。世界は開かれていて、あたたかくて、やさしい。僕は開かれていて、あたたかくて、やさしい。

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