「生きづらさ」は明治時代からちっとも変わらない。(あと対処方とか)
「生きづらさ」が一種の社会問題になっているのでは、と思う。
今でも年間2万人ほどが自らを殺し、生を絶つ。
「死ぬ勇気」が持てなくてそれこそ「死ぬほど」苦しむ人々がいる。
インターネットやSNSの発展によって、世界中の情報がキャッチできるようになったぼくたちは、
相対化して生きづらさを感じてしまったり、「生きづらい」と嘆くタイムラインの文字列を見て自分を過度に重ねてしまったりする。「発達障害」の認知が増えるほど、その数が増えていっていることと似ている。
だから世界は、ファクトフルネスなんか無視して「物は豊かだけど、心はどんどん生きづらくなっている」と主張する空気が、漠然と流れている。
しかし、本当に社会は日々生きづらくなっているのだろうか?なんて、疑問に思ってきた。
生きづらさは誰の中にも部分的に存在している、あるいは個性が環境と摩擦を起こした時に現れるのが生きづらさだと考えいている信念があるからこそ、日々その気持ちは風船みたいに膨らみ、パンパンになっていた。
そして自宅のソファーで漱石を読んでいるときに、その風船は予告なく弾けた。
以前のnoteで取り上げた『草枕』だが
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 (『草枕』夏目漱石)
まあ漱石という人間はこんな感じで「かなりひねくれて」「こじらせて」生きていた人間だったらしい。
それは『草枕』冒頭からも見て取れるね。
そして今回ぼくの「生きづらさへの疑念」の風船を破裂させた針である文章は、『私の個人主義』という本に座っていた。
いくつか引用してみる。
私は大学で英文学という専門をやりました。その英文学というものはどんなものかとお尋たずねになるかも知れませんが、それを三年専攻した私にも何が何だかまあ夢中だったのです。その頃はジクソンという人が教師でした。私はその先生の前で詩を読ませられたり文章を読ませられたり、作文を作って、冠詞が落ちていると云って叱しかられたり、発音が間違っていると怒おこられたりしました。試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるかとか、あるいはスコットの書いた作物を年代順に並ならべてみろとかいう問題ばかり出たのです。年の若いあなた方にもほぼ想像ができるでしょう、はたしてこれが英文学かどうだかという事が。英文学はしばらくおいて第一文学とはどういうものだか、これではとうてい解わかるはずがありません。それなら自力でそれを窮きわめ得るかと云うと、まあ盲目めくらの垣覗かきのぞきといったようなもので、図書館に入って、どこをどううろついても手掛てがかりがないのです。これは自力の足りないばかりでなくその道に関した書物も乏とぼしかったのだろうと思います。とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまいだったのです。私の煩悶は第一ここに根ざしていたと申し上げても差支ないでしょう。
大学で英文学を学んでいるはずが、ついに「英文学とは何か」がよく分からないまま終わってしまった、と振る。
その後漱石は、飯を食い衣服を来て暮らして行くために仕方がなく教師に。
私はそんなあやふやな態度で世の中へ出てとうとう教師になったというより教師にされてしまったのです。幸に語学の方は怪あやしいにせよ、どうかこうかお茶を濁にごして行かれるから、その日その日はまあ無事に済んでいましたが、腹の中は常に空虚でした。空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、何だか不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪らないのです。しかも一方では自分の職業としている教師というものに少しの興味ももち得ないのです。教育者であるという素因の私に欠乏している事は始めから知っていましたが、ただ教場で英語を教える事がすでに面倒なのだから仕方がありません。私は始終中腰で隙すきがあったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。
あやふやな態度で保留的に、流されるように教師になるも、教師に適正がないことは気づきつつ日々やり過ごす自分に「空虚」だとか「不愉快な煮え切らない漠然としたものが至る所に潜んでいる」感覚を表現している。
もちろん、本領が見つかるならそこに飛び移る気持ちはあるが、ちっともその輪郭というか、軸のようなものが掴めないまま時間が過ぎて行く。
私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ちすくんでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射さして来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたったひとすじで好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢の中に詰つめられて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、あせり抜ぬいたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝な日を送ったのであります。
この世に生を受けたからには何かを成し遂げなければ、残さなければ、と漠然とした使命感にかられるも何のヒントもなく人生は茫漠と広がり、流れる。
行き先に光がないせいか、霧の中で孤独に閉じ込められたかのような感覚がさらに足を止める。希望を見ようと光を探すも見つからず、袋に穴をあけたくてもキリも見つからず、ただただ陰鬱に生きる。
「何者かになりたい」と思いながらも、何者にもなれずに生きるオープンソース時代、つまり<平成から令和>の生きづらさは、明治から変わっちゃいない。ぼくらが抱える陰鬱さは、ずっと重たく冷たく湿っている。
この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟さとったのです。今までは全く他人本位で、根のないうきぐさのように、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。
ロンドンでの留学生活、神経衰弱になるほど自分を精神的に追い詰めながらも、こう思ったそうだ。
「自分は他人本位なうきぐさだ」「でたらめに漂っていた」という、今までの人生に対する批判的で創造的な捉え方をした。
そして「文学とはどんなものであるか」の概念自体を自力で作り上げるよりほかに、自分を救えないのだ、と言う。それこそが自分自身の課題であり、使命であり、事業であり、こだわりであり、欲求であったらしい。
だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々皆是なりと云いたいくらいごろごろしていました。ひとの悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔わがものがおにしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞ほめるのです。
これは漱石に限った話ではなく、当時は西洋の正解が唯一の正解であるかのように、批判的な検討なく触れ回っていた、カタカナ語が溢れかえっていた、だなんて言う。腑に落ちようが落ちまいが。
しかも、時代が時代だからみんながそれを褒める。あれ?もしかして2019年のこと言ってない?<平成や令和>の話?<明治や大正>の話だよ。
ぼく達の抱える生きづらさの輪郭は、この100年ではさほど変わっていない。あるいは、向こう100年も変わらないのかもしれない。
私のようにどこかで突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴みたくってもやかん頭を掴むようにつるつるして焦ったくなったりする人が多分あるだろうと思うのです。
まるで、<平成から令和>に跋扈するある種の生きづらさを描写するかのような一説。やかん頭掴むようにつるつるしていないかな?これは<明治や大正>の話さ、何度でも言おう。
このような文章の中で、漱石が言う有名な「自己本位」という言葉が出てくる。
うきぐさのような他人本位では駄目で、自己本位にならねばらならないと言う。明治から現代の生きづらさに対する、文学的な処方箋。
それは、顔色を伺って誰かとか匿名の不特定多数の意見に合わせた自己の欠落した「他人本位」を脱した生き方。
自己のこだわりや欲求、個性と言ったものをとことん追求し、「自分はこの道で生きて行くんだ!」という光脈を探し当てるかのような生き方であると。
そして「自己本位」には注釈がつく。
それで私は常からこう考えています。第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪けしからんというのは不都合じゃないかと思うのです。もっとも複雑な分子の寄って出来上った善悪とか邪正じゃせいとかいう問題になると、少々込み入った解剖かいぼうの力を借りなければ何とも申されませんが、そうした問題の関係して来ない場合もしくは関係しても面倒めんどうでない場合には、自分がひとから自由を享有している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱わなければならん事と信ずるよりほかに仕方がないのです。
つまり「自己本位」とは「自己中心的」とか「自己チュー」とは異なる概念であり、
自分の個性を受け入れてもらえる前に、まず相手の個性や自由を認め尊重する。その相互作用なしに「自己本位」は成立できない。
言い方を変えれば、「自己本位」とは「他者の中にある自己」も「自己の中にある自己」と同じくらいに尊重する生き方ということになる。
歴史は繰り返す、なんて表現は手垢まみれではある。しかし、手垢のついた表現は言い得て妙だ。明治期、「富国強兵」「文明開化」をスローガンに西洋文明をインストールしまくった。その時代に漱石は「本当の意味で自己本位な生き方」を提唱していたわけだ。
西洋的な当たり前、グローバリゼーションやテクノロジーの台頭といった風潮に過度に流されてはいけない。最も重要なのは、時代がどんなであろうが「どう生きたいか」という「自己本位」である。
それと同時に、協働して働き生きて行く他者の「自己本位」に尊厳を抱くことだ。
一億総フリーランス社会なんてキャンペーンに雑に流されてブログを始めてるようじゃ、起業を目指すようじゃ駄目だ。漱石が「文学とはなんであるかを根本的に打ち立てること」を人生の事業としたように、きっとあなたにも人生の事業があるはずだから。
さあ、「本当の自己」はどこにいるのだろうか?どんな顔色をしているだろうか?ちゃんと歓んでいるだろうか?
今一度、明治の大文豪からの文学的な処方箋『私の個人主義』を飲んでみるのがいいかもしれない。