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彼女のドタバタ女将日記④心のバランスを保つパラレルワーク生活


意地と見栄で女将になる決意をし、お金って銀行から簡単に借りるのってホントに大変!って経験をしながらなんとか開業資金の融資受け、人生初めての土下座も経験した彼女。

彼女のその後の開業までのドタバタ劇は、順にお伝えすることとして。少し話は進みます。

実は、彼女は開業して5年後、パラレルワーク(時にはトリプルワーク時期もあり!!)生活をスタートさせ、そして今でも続いています。

なぜ、飲食業の女将は、もう一つの職業を持ったのか。このパラレルワーク人生が、今の彼女の人生にどんな影響を与えたのか。先にお伝えしておきたくなったのです。

女将のパラレルワークはこうやって始まった。

大借金をして開業した1年後。待望の妊娠、そして出産!となるわけですが、妊娠中も女将の仕事にお休みなんてありません。出産当日も、車を運転して買い出しに行っていましたし、お店の厨房とフロアーをドタバタ走り回って女将業をしていましたから。出産1週間後に退院。その翌日から、生まれたばかりの赤ん坊をつれて、短時間ではありましたが、お店にもでていました。

「女将という職業には変わりがいない!!」

ですから、妊娠中だろうが出産直後だろうが、休むという選択はありませんでした。出産後は、赤ん坊をつれての女将業でしたが、当時のお客様は、みんな協力してくれましたので、今ではとても感謝しています。

なんだかんだ、あれこれと、そしていろいろとありましたが、子供というものはなんとかすくすくと育つもので、いつの間にか幼稚園に入る年齢に育っていきました。

幼稚園の入園資料をみて、びっくりの彼女。案外かかるものなんですね、幼稚園って。

売上がまだまだ安定していなかった当時、事業借金も地代の支払いもあったので、これからの子供の教育資金のことを考えると、悩んでしまいました。

「売り上げの低い月であろうがなんだろうが、払うものは払わねばならんのだ!!」

「平日だけでも、開店時間まで何か仕事をしなくては・・・」

そう考えるようになり、パラレルワークを決意したのです。

放課後指導・女将のもう一つの顔

そこで、平日の日中、夜の開店時間に間に合うように、何か職を探すことにしたのです。

残業がなく、
コマ数で仕事ができ、
業務をこなしたら必ず対価がもらえる・・・

そんな仕事を探しました。案外ないもんです。そこで、元外資系企業に勤めていた彼女は、いいアイディアを思いつきます。

そうだ、英会話講師になろう。働ける時間に制限があるので、子供英語講師はどうだろうか・・・

そこですぐにJ-SHINE小学校英語指導者資格(現在はJ-SHINE小学校上級英語指導資格保持)を取得し、大手英語スクールの子供クラスの講師に応募し、午前中の幼児クラスの副担任として勤務を始めたのです。また、友人が経営する英語センターにも登録し、午後は小学生向けのクラスを担当。

夕方5時半すぎには、確実に仕事が終えることができるよう、コマを組んで指導に当たりました。


激務は体調不調となり、体調不良は心の不調へつながった!

数年間、子供対象の英語講師をしていましたが、縁があって小学校放課後こ育て支援事業の方からお声をかけていただきました。こちらも残業がないことと、そのころは夜間の子育て支援事業のお仕事がありませんでしたので、話を聞いてみると、ある程度の安定収入が得られるようでした。開店時間までにお店にもどれるということもあり、このお仕事に従事させていただき、ある一時の期間、トリプルワークとなりました。

このころから、体に不調を覚えるようになりました。首すじと肩の異常なほどの凝りと、のどから首にかけての圧迫感、さらには、呼吸困難に。結局、英語指導のお仕事を一旦お休みさせていただき、放課後子育て支援事業と女将業とのパラレルワークを選択しました。(その10年後、また小学生英語指導者に復帰、再度英語指導者と女将業のパラレルワークに復帰するのですが!)

隣町の総合病院でへの治療を続けながらも、パラレルワーク生活が続きます。ドクターの勧めでコーチングを受けたり、カウンセリングを受けていくと、自分の睡眠環境と食環境に乱れがあることに気づいたのです。

睡眠環境・食環境について専門的に学ぶ!

気づきは、学びへとつながります。まずは食生活アドバイザー資格を取得。飲食業の女将でもありますので、食を通して健康的な生活を考えるためにも、まずは食生活アドバイザー資格を取得。女子栄養大学の通信教育で、食生活指導士を取得し、さらに栄養睡眠改善トレーナーの資格を取得し、専門的に学んでいきました。

その後、「なにをどれだけ、いつどのように食べたらよいか」を学ぶため、女子栄養大学の通信教育で、食生活指導士を取得しました。


さらには、睡眠の質の悪さから、栄養と睡眠の関係と良い睡眠をとるための栄養を学ぶため、専門的に学び、栄養睡眠改善トレーナーの資格を取得しました。

学んだことを実践しながら、徐々に体調は回復していきました。パラレルワーク生活を続けている今も、時々再発したりしますが、これはもう、付き合いながら生きていくことを覚悟しています。これもひとつのwithですね。

パラレルワーク人生は、案外捨てたもんじゃない。

パラレルワークは、時には激務となりますので、体や心が崩れかけてしまうこともあります。

しかし、続けていたおかげで得たものもたくさんあるのです。

まずは、経済的安心感。

飲食業は水物。売り上げが著しく低迷するときもあるのです。そんな時でも、家族にはきちんとご飯を食べさせなければいけないし、一人娘の学習の応援もできるかぎりしたい・・・。例えば、彼女の場合、一人娘がどうしても浪人して慶應大学を目指したい!!と涙ながらに訴えてきた時、周りのほとんどの人から猛反対されました。しかし、それでも誰にも頼らず思いっきり予備校で勉強させてあげられたのは、お店の利益からいただくお金を当てにせず、お店の外で外貨稼ぎをして得たお金で、一人娘を予備校にも入れてあげることができた・・・。そう思っています。

贅沢な生活はさせてはあげられなかったけど、目指した大学でのゼミ活動を120%支援できたし、必要なテキストや副教材も買ってあげられた。これは、パラレルワークのおかげだと、今でも思っています。

お金だけじゃない!!パラレルワークは心のバランスを保つためのライフスタイル!

その一人娘もすでに独立し、事業借金も完済したいま、なぜ彼女はいまだにパラレルワークを続けているのか。

”もう、若くないのだから、そろそろパラレルワークはやめたら?””

そう言われますが、彼女は全くやめる気はありません。なぜなら

理由その1.
飲食の女将業という思い重圧やストレスからの精神的疲れは、平日の放課後一緒に過ごす子供たちの無邪気な行動によって癒され、薬効となるから。

理由その2.
女将業でない職業をもつことで、飲食の女将業を客観的にとらえることができ、結果、女将業に誇りをもてるようになったから。

この二つの理由があるからです。

初めは外貨稼ぎが目的で始めたパラレルワーク。でも今の彼女にとっては、心のバランスを保つためになくてはならないワークスタイルとなっています。

もちろん、無償で・・といわれたら、おそらくやらないでしょう。でも、今は、お金を稼ぐ!!という以外の理由も大事な要素になっています。

副業ではなく複業!

最近の女性は、二つの職業を持つ方も増えていると聞いています。実際に、彼女の経営するお店に野菜を納品している起業農業家のYさんは、薬剤師兼農業家です。ほかにも、会社員兼パティシエの女性、看護師兼モデル、ヨガ講師兼ビジネス書のライターなどなど・・・

女性ばかりではありません。男性もそう!会社員兼週末サッカーコーチ、士業兼スポーツインストラクターなどなどの男性を知っています。また、複数の会社を経営したり、大学で研究をつづけながら執筆活動をしたり。

もう、副業ではなく、両方が本業・・・つまり複業なんですね。

きっとみなさん、心地よいのでしょうね、その働き方が。

20年以上前、パラレルワークという言葉も複業という言葉もなかったあのころ。二つ、三つと仕事を持って今に至る彼女。あの頃は、なんとなくみじめな思いもありましたが、今となっては、この働き方がとても心地よいのです。

このコロナ禍の生活の中、今のお仕事以外になにかできること、したいこと、得意なことがあれば、挑戦してみてもいいかもしれませんね。

きっと、心地よいワークバランス生活がまっているかもしれませんよ。



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