第331話 深読み『千と千尋の神隠し』vol.30「銀河鉄道の夜⑬時計屋の星座盤」
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
それじゃあ第四幕「ケンタウル祭の夜」に行きましょ。
まだまだ先は長いわ(笑)
「ケンタウル祭の夜」は、こんな風に始まります。
四、ケンタウル祭の夜
ジョバンニは、口笛を吹いているようなさびしい口付きで、檜(ひのき)のまっ黒にならんだ町の坂を下りて来たのでした。
坂の下に大きな一つの街燈が、青白く立派に光って立っていました。ジョバンニが、どんどん電燈の方へ下りて行きますと、いままでばけもののように、長くぼんやり、うしろへ引いていたジョバンニの影ぼうしは、だんだん濃く黒くはっきりなって、足をあげたり手を振ったり、ジョバンニの横の方へまわって来るのでした。
暗い町の中にうごめく、化け物のような黒い影って…
なんか『千と千尋の神隠し』の夜の街のシーンみたい…
「みたい」じゃなくて「そのもの」じゃ。
宮崎駿は明らかに宮沢賢治の描写を意識しとる。
このシーンは『ヨハネ伝福音書』第3章の続きを再現したもの。
モーセが長い竿で掲げた「火の蛇」は、十字架に掛けられる「人の子」である、という預言のあとの部分…
「光と影」について。
17 神の其(その)子を世に遣(つかは)し給(たま)へるは 世を審判(さばか)んとに非ず 彼に由(より)て世を救(すくは)んが爲(ため)なり
18 彼を信ずる者は審判(さばか)れず 信ぜざる者は既に審判れたり 蓋(そは)神の生(うみ)たまへる獨子(ひとりご)の名を信ぜざるに因(よる)
19 罪の定まる所以(ゆゑ)は 光 世に臨(きたり)しに 人その行(おこなひ)の惡(あしき)に因(より)て光を愛せず 反(かへり)て暗(くらき)を愛すれば也
20 凡(すべ)て惡(あく)をなす者は 光を惡(にく)み其(その)行(おこなひ)を責(とがめ)られざらんが爲(ため)に光に就(きた)らず
21 眞理(まこと)を行(おこな)ふ者は 其(その)行(おこなひ)の顯(あらは)れんが爲に光に就きたる 蓋(そは)神に遵(より)て行(おこな)へば也
ジョバンニは「影」を愛しちゃってるじゃん…
だってジョバンニは、というか宮沢賢治は、クリスチャンではないからね。
だからこう続くんだよ。
(ぼくは立派な機関車だ。ここは勾配だから速いぞ。ぼくはいまその電燈を通り越こす。そうら、こんどはぼくの影法師はコムパスだ。あんなにくるっとまわって、前の方へ来た。)
どういうこと?
「ぼくは立派な機関車だ」そして「ぼくはいまその電燈を通り越す」とあるでしょ?
これは後の銀河鉄道のシーンに対応している。
ジョバンニとカムパネルラ以外の乗客が降りた駅には「電気栗鼠」が輝いていた。
「電気栗鼠」は「電キリス」、キリストのことだったよね。
ジョバンニはキリスト教徒ではなかったので「電燈」つまり「電気栗鼠」を通り越したというわけだ。
そして「電」という字は「雨が申す」という意味…
「雨」は降臨する救世主キリストのシンボルで、「あめ」は「天」でもある。
なるほどね…
現実世界で意味不明なものは、夢の中の世界で説明されている…
そして、ジョバンニの目の前に、突然「ザネリ」が現れます。
とジョバンニが思いながら、大股にその街燈の下を通り過ぎたとき、いきなりひるまのザネリが、新らしいえりの尖ったシャツを着て電燈の向う側の暗い小路から出て来て、ひらっとジョバンニとすれちがいました。
「ザネリ、烏瓜ながしに行くの。」ジョバンニがまだそう云ってしまわないうちに、
「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」その子が投げつけるようにうしろから叫さけびました。
ジョバンニは、ばっと胸がつめたくなり、そこら中きぃんと鳴るように思いました。
ジョバンニはザネリに「川へカラスウリを流しに行くの?」と聞いたのに…
ザネリは何の脈略もなく「お父さんから、らっこの上着が来るよ」と言う…
訳が分かりませんね…
いや。ちゃんと筋が通っているんだ。
これは『ヨハネ伝福音書』第3章の続きを再現したものだから。
22 此(この)後(のち)イエス 弟子とユダヤの地に至り 偕(とも)に彼處(かしこ)に留りてバプテスマを施す
23 ヨハネも亦(また)サリムに近きアイノムに在(をり)てバプテスマを施す 彼處(かしこ)は水おほきが故なり 人々來(きた)りてバプテスマを受(うけ)たり
24 此(この)時ヨハネは未だ獄(ひとや)に入られざりき
何この第24節は…
この時ヨハネはまだ監獄に入っていなかった?
わざわざこんなこと説明しなくてもよくない?
ち、違いますよ、深代ママ…
「川へカラスウリを流しに行く」は、川での洗礼「バプテスマ」のこと…
そして、何の脈略もなく発せられる「お父さんから、らっこの上着が来るよ」は…
何の脈略もなく登場する「ヨハネはまだ監獄に入ってなかった」という文言…
なぜなら、ジョバンニ(イタリア語でヨハネ)のお父さんは、監獄に入れられたと噂されていたから…
あっ、そっか!
だからジョバンニは、こう思ったのよ。
「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう」
ザネリとは北イタリア方言でヨハネのことだったわね。
つまり…
「福音記者ヨハネは、どうして洗礼者ヨハネが何もしていないのに、あんなことを言うのだろう?」
ということ(笑)
やられた…
ここで一旦ザネリは姿を消し、ジョバンニは「時計屋」を覗く。
そして「妄想」を膨らませます。
ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの灯(あかり)や木の枝で、すっかりきれいに飾られた街を通って行きました。時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子(ガラス)の盤に載って星のようにゆっくり循(めぐ)ったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。そのまん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。
やけに細かい描写ね。
「せわしくいろいろのことを考えながら」というところ…
何やら意味深な…
ですね。
わざわざ賢治は、ジョバンニが「いろいろのこと」を考えたと書きました。
しかも「せわしく」と。
これまでのパターンからしても…
こういう細かい説明文章は、何か「別のこと」を言っている可能性が高い…
うふふ。まだ気付かない?
ジョバンニは「星座盤」に表示されている「その日」の「時刻」を変えて「違う図」にするのよ。
ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。
それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時間に合せて盤をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形のなかにめぐってあらわれるようになって居り やはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげているように見えるのでした。またそのうしろには三本の脚のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っていましたしいちばんうしろの壁には空じゅうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がかかっていました。
時刻を変えたら、帯状の「銀河」が現れた…
なぜでしょう?
なぜ賢治は最初から銀河のある図にしなかったのでしょうか?
そうよね。
わざわざ図を動かして銀河を出すなんて面倒なことしなくてもいいのに。
賢治はここで重要なことを行っている。
え?
天の川銀河が夜空にハッキリと見えるのは、初夏から秋にかけての間だけ…
それ以外の季節は、うっすらとしか見えないんだよね…
つまり、ジョバンニが最初に時計屋を覗いた時…
あの「星座盤」は「夏の夜空の図」ではなかった…
だけど、この日は「星祭」でしょ?
お店に飾ってあるものなら、普通その日に合わせてあるんじゃない?
だから前にも言っただろう。
『銀河鉄道の夜』の季節は「7~9月」ではないと。
『ヨハネ伝福音書』がベースになっているから「春」の物語なんだよ。
時計屋の「星座盤」は、春の夜空になってたということ?
「また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした」
これが動かぬ証拠じゃ。
どういうこと?
人馬、つまり「いて座」は、6~9月の夜空に一晩中クッキリと見える…
だけど賢治は「向う側から、ゆっくりまわって来る」と書いた…
つまり、地平線の向こう側を、ゆっくりとまわって来ると…
いて座が地平線の向こう側をゆっくりとまわって来る?
何ですか、それ?
いて座は、初夏から秋にかけての季節だと、一晩中見ることが出来る…
だけど3月から4月にかけての春先は、そうではない…
夜明け前になって、ようやく地平線の向こう側から姿を現すの…
つまり賢治は「3月25日」のことを言っているのね。
3月25日?
なぜそんなにピンポイントな日付なのですか?
受胎告知日だ。
西方教会では「受胎告知」が「3月25日」とされている。
受胎告知の日!?
つまり、ジョバンニが時計屋で見た「星座盤」とは…
これのことじゃ。
『受胎告知』
フラ・アンジェリコ
なんと…
「向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりする」とは…
銅色に近い色の服を着た天使ガブリエルのことだったのか…
賢治は、フラ・アンジェリコの『受胎告知』に描かれている天使ガブリエルを「人馬」に喩えたのです…
天使ガブリエルの前方、三方向に広がって伸びる「言葉」が、人馬のひく弓矢のように見えるから…
そ、そっくりです…
人馬のマントは、天使の翼だ…
嘘でしょ…
そして「そのまん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました」とは…
受胎告知をしている部屋と、奥の丘の間にあるスペースのこと…
天井が丸みを帯びた星空になっていて、アスパラガスみたいな葉で飾ってある…
確かに!
「石でこさえたふくろう」は、石に彫られた髭もじゃの老人のことね。
そしてジョバンニは「時刻」を変える…
すると、それまでよく見えなかった「銀河」が姿を現した…
あの絵では、薄っすらとしか見えなかった銀河が、時刻を変えたら、よく見えるようになった?
遠くの空に、波打つように描かれていた光の帯のことですよね?
なぜだろう?
賢治は、こう書いている。
「そのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげているように見えるのでした」
上から下へかけて流れる、煙ったような銀河の帯?
下の方では、かすかに爆発して湯気をあげているように見える?
やけに具体的よね…
まるで何かを見ながら説明してるみたい…
「時刻」を変えた「受胎告知の絵」だよ。
今度は、こちらのことを言ってるんだ。
『受胎告知』
フラ・アンジェリコ
ああっ!
確かに「上から下へかけて流れる煙ったような帯」で「下の方では、かすかに爆発して湯気をあげている」ように見える!
宮沢賢治といい、宮崎駿といい、中島みゆきといい…
なぜ天才作家は「あの部分」に着目するわけ?!
うふふ(笑)
賢治はこんな説明もしてるわ。
「そのうしろには三本の脚のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っていました」
この意味わかる?
三本足の望遠鏡?
いて座の隣にある「ぼうえんきょう座」のことでしょうか?
『いて座・みなみのかんむり座・ぼうえんきょう座』
シドニー・ホール
「上から下へかけて流れる銀河」のうしろには…
「三本の脚がついた望遠鏡」がある…
そのまんまよね…
どこに「三本の脚がついた望遠鏡」があるの?
楽園を追放されるアダムとイブよ。
脚が3本でしょ?
ええっ!?
しかも星座図と同じように並んでるの。
「人馬」「枝葉で作った輪」そして「三本脚の望遠鏡」が…
げえっ!
確かにアダムとイヴは「三本脚」に描かれていますが…
なぜこれが「望遠鏡」なのでしょう?
「望遠鏡」とは何かな?
望遠鏡ですか?
遠くにある対象物を、近くにあるかのように見せるための装置ですけど…
そうだね。
では、よく考えてみよう…
フラ・アンジェリコの『受胎告知』では、マリアの家の庭に何が描かれている?
「エデンの園」から追放されるアダムとイヴです。
それは、あの場所で起きた出来事?
いいえ、違います。
チグリス川やユーフラテス川の上流とされていますから、マリアの家からはかなり遠く離れた場所です。
それは、あの絵の中における「今その瞬間」に起こってること?
まさか。
「受胎告知」よりも何千年も前の出来事に決まってるじゃないですか。
『創世記』の中の事件なんですから。
その通り。
あそこから遠く離れた場所で、何千年も前に起きた出来事「アダムとイブの失楽園」…
それがなぜか、まるで「今そこで行われている」かのように、見えているんだよね…
あっ…
望遠鏡で見える星の姿は、今現在の姿ではなく、遥か昔の星の姿。
賢治は「時空を超えて目の前に映し出されている失楽園の光景」を「まるで望遠鏡で見た遠い星の光景のようだ」と思ったんだろう。
なぜなら賢治は、当時最新の宇宙物理学だった相対性理論に感動し、関連書を読み漁っていた。
アルベルト・アインシュタイン博士に憧れ、1922年の来日講演に行く予定も立てていたんだ。
講演でアインシュタインが語る一言一句を、日本語通訳を介さずに完璧に理解したくて、わざわざドイツ語まで勉強していたほどの熱の入れようだったという…
そうだったんですか…
科学マニアだった賢治は、フラ・アンジェリコの絵の中の「時空のズレ」が気になった…
なぜ「受胎告知」が行われている建物の外に「失楽園」が見えるのか…
言われてみれば確かに奇妙…
「失楽園」のアダムとイブは、人間の「原罪」を作った張本人で…
「受胎告知」でマリアに宿ったイエスは、その「原罪」をひとりで背負う、つまり「贖罪」を行う神の子羊…
つまり「罪の変遷」を裏テーマに描いた絵だからですよね?
その通り。
宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』の中でフラ・アンジェリコの『受胎告知』を元ネタに使っているのも、これが理由だ。
賢治は「罪の変遷」というテーマに強い関心を抱いていた。
そして宮崎駿も。
え? 宮崎駿監督も?
『千と千尋の神隠し』には、不思議な「時計塔」が出て来る。
現実世界と不思議な世界をつなぐトンネルの出口にもなっている「時計塔」が…
あれは『銀河鉄道の夜』の「時計屋」と、もう少し後に出て来る「天気輪」を足したものだ。
確かに時計はたくさんついてるけど…
ただそれだけで「時計屋」って…
ようこそここへ…
遊ぼうよパラダイス…
は?
続きは何じゃ?
胸のリンゴむいて?
その先じゃ。
天才飛鳥涼はこう喝破した…
しゃかりきコロンブスは…
大人には見えぬと!
は?
大人は見えない、しゃかりきコロンブス…
この歌詞を書いた飛鳥涼という人、本当に言葉の性質をよく知ってる…
感動しちゃった。
「しゃかりきコロンブス」が?
つづく
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