日の名残り第61話1

「ロンドンって、どこ?」~『夜想曲集』#2~カズオ・イシグロ徹底解剖・第61話

じゃあ第2話『Come Rain or Come Shine/降っても晴れても』の解説を始めよう。

登場人物は、この三人。こんな役割になっていた。

前回を未読の人はコチラからどうぞ!

しかし衝撃的だったな…

せやな…

まだサブイボ立っとるわ。

冒頭に提示された4曲の「出だしのフレーズ」によって、この小説が「新旧聖書」を元ネタにしたものであることが暗示されたということは話したね。

続けて語り部の「ぼく(イシグロ)」は「今どきの若者」と「自分たち世代」の「音楽への向き合い方」の違いを語る。

イマドキの若者は「特定の色が無く雑食」で、オジサン世代は「わかりやすく分かれていた」んだったね。

そう。

2002年に47歳だった1950年代生まれの「ぼく」世代の若い頃は、音楽の趣味で「ビジュアル的」にも「性格的」にも分かれていたというんだ。

「プログレッシブロック」を聞く人は、引きずるような長い服と長髪で、ヒッピーを気取っていた。

「クラシック」を聞く人は、きちんとツイードの服を着ていて、他の音楽を「雑音」だと決めつけていた。

「クロスオーバージャズ」を聞く人は、音楽の本質なんかには興味が無く、ただ目新しいことをやりたいだけ…

なんか臭うな…

きっと音楽じゃないことを言ってるね!

その通り。

これは「宗派」のことなんだ。しかもユダヤ教のね。

クラシックが「超正統派」で、プログレが「改革派」。クロスオーバージャズは「新興宗派」のことなんだろうな。

やっぱり!

そして「ぼく」ことレイモンドとエミリが好きだという「ブロードウェイやハリウッドのミュージカル音楽」とは、『トーラー(モーセ五書)』や『詩篇』のことだ。

声に出して朗誦するものだからな。

なるほど!

レイモンドがエミリと知り合った時、彼女はキャンパス内に住んでいて、部屋には「大きな帽子ケース」みたいなポータブルのレコードプレーヤーがあった。

昔よくあった、こういう箱型のやつだね。

「スピーカー」が内蔵されていて、蓋を開けると「ターンテーブル」が現れるタイプのやつで、二人はこの「プレーヤー」の周りに座り、「トラックからトラックへ」と針を落とし、何時間でもうっとり聴きほれていた。

そして歌のいろんな「バージョン」を聴き比べて、「歌詞のあれこれ」や、歌手による「解釈のあれこれ」などを議論して楽しんでいたんだ…

めっちゃ臭うな(笑)

「player」は「prayer」やさかい、「トラック」は旧約聖書の「○○書・○○記」のことやな。

そんで「歌詞や歌唱の解釈について議論する」っちゅうのは、まさに聖書の解釈のことや。ユダヤ人は解釈について議論するのが三度の飯より好きやさかい。

「ユダヤ人が二人いたらシナゴーグが三つできる」っちゅうジョークもあるくらいや。

じゃあ「蓋を開けると現れるターンテーブル」って…

もしや「スクロール」のことでは…

スクロール?

ユダヤ教の集会所であるシナゴーグには聖櫃(アーク)があって、その中にモーセ五書の巻物(スクロール)が保管されているんだ。

アークからスクロールを出し入れする役に選ばれるのは、ユダヤ教徒にとって非常に名誉なことらしく、様々な作法を身に着けていなければならない。

だから子供用のアークとスクロールの「おもちゃ」なんかもあって、小さい頃から家で練習するそうだ。

こんな風にね…

かわいいな!

しかしあの「子供用アーク」って、さっきの「ポータブルプレーヤー」そっくりじゃんか!

そりゃそうだ。

イシグロは「アークとスクロール」のことを言っているのだからな。

レコードプレーヤーのことを説明してるフリをして。

そしてレイ・チャールズの『わが心のジョージア』を引き合いに出して、この短編の表題でもある『Come Rain or Come Shine/降っても晴れても』が「全く違う意味」をもつ歌であることを紹介する。

これも以前解説したね。

あの曲は「信仰心と人種差別」を歌ったものだった…

オイラ、今まで「雨=不幸、晴れ=幸」だと思ってたけど、実は逆なんだもんね。

『降っても晴れても』っていう邦題にすっかり騙されちゃってた…

歌詞のニュアンスを正しく訳せば『恵の雨が降っても、日照り続きでも』なんやな。

聖書の舞台になったパレスチナは乾燥地帯だから、雨は天の恵みなのだ。

雨が降らないとマジで「死活問題」だからな。

だから預言者は「雨・水をもたらす者」でもあった。

モーセは民衆を率いて「出エジプト」をした後、シナイ山で神に「約束の地」を提示され、そこへ辿り着くまで荒野を延々と彷徨ったよね。

乾燥地帯における大集団の旅だから、飲料水の確保は常に死活問題だったんだ。

ある時、雨がまったく降らず、人々は渇きに苦しんでいた。そこで神はモーセに「例の杖で岩を一度叩け」と告げた。モーセが岩を突くと、岩から泉が噴き出した…

「メリバの泉」だな。

《Moses Drawing Water from the Rock》Jacopo Tintoretto

この時モーセは「ちょっとした間違い」を犯した。

神は岩を「一度叩け」と言ったのに「二度」叩いてしまったんだ。

そしてモーセはこれを「自分の手柄」のように振る舞ってしまった。

怒った神は、モーセたちが「約束の地」の手前まで来た時に、モーセだけ「約束の地」へ入ることを許可しなかった。せっかくここまで民を率いてきたのに、ゴール目前でリタイアを命じたんだ。

こうしてモーセは「約束の地」を踏むことなく、その生涯を終えた。

フランスW杯直前のスイス合宿でのカズみたいなもんだね…

カズは今もなお現役だけどな。

あと「預言者と雨」といえば「エリヤ」も忘れちゃいけない。

紀元前9世紀頃、イスラエル王国の宮廷には異教バアル信仰がはびこっていた。王妃イゼベルがヤハウェの預言者たちを追放して、バアルの預言者たちを雇い入れていたからだ。

神は怒り、三年間も雨を降らせなかった。エリヤも迫害を逃れ、ヨルダン川東岸に身を潜めていた。

ある時、王とイゼベルは大掛かりな「雨乞い」の儀式を行った。何百人ものバアル神の預言者を使ってね。

そこにエリヤが単身乗り込み、異教の預言者たちとの勝負を挑んだ。

こうして、バアルとヤハウェどちらの神が本物かを競うことになったんだ。

それぞれが祭壇に生の捧げ物を祀って、それを神が炎で焼いてくれたほうの勝ちだ。

おお!クッキング対決!

そして「エリヤ&ヤハウェ」チームが勝った。

エリヤはバアルの預言者たちを皆殺しにし、怒りを鎮めた神は三年ぶりの雨を降らせ、大地を潤した。

だけど面目を潰された王妃イゼベルは怒り狂い、エリヤの殺害を命じる。こうしてエリヤは再び荒野で潜伏生活に入ることになった。

その潜伏期間に、エリヤに食料を運ぶなどして助けてくれてたのが、一羽のカラスだったな。

八咫烏みたい!

さて、「ぼく」ことレイモンドとエミリの二人は、古いミュージカル音楽を愛していた。

だけどエミリは「浮気」もしていて、レイモンドはそれにショックを覚える。

エミリはレイモンドが嫌う「仰々しいだけのロックバンド」や「薄っぺらいカリフォルニアのシンガーソングライター」の音楽も聴いていたんだね。

笑える(笑)

「ぼく」は若い頃にプログレにハマったり、カリフォルニアのシンガーソングライターの代表格ジミー・ウェッブに憧れて、長髪ヒッピー風だったじゃんか!

軽薄な一面もあったエミリに「ぎょっとした」というのは、かつての自分自身に対する自虐ネタなんだな。

レイモンドは、エミリが自分と「ガーシュインやハロルド・アーレン」について語るのと同じような熱っぽさで、他の学生と「コンセプトアルバム」について語っているところを偶然目撃し、その光景に苛立つ。

臭いますな!

ガーシュインもハロルド・アーレンも「ユダヤ人」の偉大な作曲家だった。

ジュディ・ガーランドの代表作『スタア誕生』も、この二人をはじめとした「オール・ユダヤ人」チームによって作られたんだったな。

つまり、レイモンドがいう「ガーシュインやハロルド・アーレン」というのは、旧約聖書の預言者のことなんだよね。

ユダヤの歴史書でもある旧約聖書に登場する預言者たちは、基本的に皆ユダヤ人だから。

いっぽう「コンセプトアルバム」というのは「新約聖書」のことだ。

こちらは「イエス・キリスト」という人物を絶対的中心テーマにして編纂された「コンセプトアルバム」だからね。

様々な時代と、様々な主人公と、様々なテーマを寄せ集めた旧約とは、成り立ちも構造も全く異なる。

なるへそ!

そうか…

太宰治の『駆込み訴え』でもそうだったが、「イスカリオテのユダ」は師イエスに「旧約の教えに忠実」であって欲しいと願っていた。

神と「親子」だなんて畏れ多いことは言わないで欲しいと…

だからユダは、師の「暴走」を止めるために役人のもとへ走ったんだ…

だね。

他の小説や映画でも、ユダはそういう風に描かれることがある。

世間一般の「裏切り者」イメージとは違って、ユダの行為を称える宗派や学派もあるくらいなんだ。

イシグロは太宰の『駆込み訴え』のユダ像を踏襲しているわけだな。

エミリは、レイモンドの親友チャーリーの彼女だった。

チャーリーはジャズギターの開祖「チャーリー・クリスチャン」から付けられた名前で、この短編では「イエス・キリスト」の役割を演じている。

当時スリムで可愛かったエミリは、他の男子学生に言い寄られるのを面倒に思っていたらしく、レイモンドにこんなことを言った。

「チャーリーをキープしている理由はそれよ」

その言葉にレイモンドがショックを受けているのを見て、エミリは笑いながらこう続ける。

「冗談よ。ばかね。チャーリーはわたしのダーリン。愛しい愛しいダーリン…」

うぶなレイモンドと違って、エミリは何枚も上手やな。

レイモンドも自分に気があることを知っとるもんやさかい、わざとそうゆうこと言ったんや。

「あなたはチャーリーの親友なんだから、私に変な気を起こさないでね」っちゅう意味やろ。

いくら親友の彼女とはいえ、部屋で何時間も2人っきりだもんな…

この年頃の男女だったら、何が起きてもおかしくない…

いや、たぶん「何か」起きたんだ…

でしょうね。

きっとレイモンドが「何か」を起こそうとして、それを諭したエミリのセリフがさっきのものだったんじゃないかな。

だからチャーリーとエミリは二年目から同棲を始めた。

そこからレイモンドとエミリは疎遠になっていく。古いミュージカル音楽談義が出来なくなってしまったんだ。

チャーリーとエミリの「愛の巣」には「高級なステレオシステム」が置かれ、大音量で「ロック」が流れ、いつも「大勢の学生たち」がたむろしていた。

また臭いますな!

今度は何だろう?

チャーリーとエミリは「神ヤハウェと子イエス」だから…

二人の「愛の巣」といえば…

わかった!バチカンだ!

っちゅうことは…

「ロック」は「バロック」のことやな!

そうだろうね。イシグロは駄洒落好きだから

ヨーロッパに宗教改革の嵐が巻き起こり、カトリックの総本山であるバチカンは16世紀中頃にトリエント公会議を開く。

ここで「バロック」がカトリシズムの芸術と定められ、大いに奨励されることになった。

「愛の巣」にたむろしてた「学生たち」というのは、枢機卿や司祭、そしてイエズス会士のことだろうな。

でしょうね

そして大学卒業後、レイモンドは「語学教師」として「イタリア・ポルトガル・スペイン」と渡り歩く。

給料はそんなに良くないけど、英語教師は世界のどこに行ってもすぐに働けた。レイモンドは、自分が語学教師という「世界的ネットワーク」の一部になっていることが嬉しかったと語る…

ここも臭いまくり!

ユダヤ人の離散「ディアスポラ」のことだな。

ローマ人によってエルサレムを破壊され「約束の地」を追われたユダヤ人たちは、世界中に散らばった。

そのグループは大きく分けて、ドイツ・東欧系の「アシュケナジム」と、地中海・イベリア半島系の「セファルディム」に分けられる。

レイモンドが住んだ「イタリア・ポルトガル・スペイン」という場所は、ユダヤ民族集団「セファルディム」を意味していたわけだ。

そしてチャーリーとエミリは結婚する。

二人はレイモンドに「子供が出来たら名付け親になってくれ」と頼んでいたが、結局子供は生まれず、レイモンドは名付け親にはなれなかった。

そのことを思い出すとレイモンドは「少し裏切られたような気持になる」と語る…

「裏切り者」のユダが、イエスのことを「嘘つき」呼ばわりしてるよ(笑)

しかしこの夫婦は「父と子」カップルなんやさかい、どだい無理なハナシやな。

だね。イシグロのジョークなんだ。

さて、レイモンドは、ロンドンにあるチャーリーとエミリの「愛の巣」を説明を始める。

割と「ゴミゴミした地域」にある「4階建て」の建物の「ツーフロア」を占有してる部屋で、窓には「スイス製のブラインド」が付けられていた。

怪しい!

でも、何のことだろう?

もしかして…

「ロンドン」にも意味があるのかな?

その通り。

「イギリス」にあって「スイス製」なのだ。

へ?

チャーリーとエミリの家とは…

「エルサレム旧市街地」のことなんだよ。

ええ~~~!?

「4階建て」というのはエルサレム旧市街地が「4つ」のエリアに分けられていることを意味しているんだ。

そのうちの「2つ」がキリスト教徒のエリアになっている。「キリスト教徒地区」と「アルメニア人地区」だね。

だから「4階建てのツーフロア」っていうのは、旧市街地の4つの地区のうち2つがキリスト教徒エリアになっていることの喩えだったんだよ。

でも、なんで「イギリス」にあって「スイス製」なんだ!?

わけワカメ!

・・・・・

あ…

カヅオさんの妹さんのことじゃないよ…

言葉の綾ってやつだから気にしないで…

ち、違う…

もしや「イギリス」にあって「スイス製」というのは…

英領パレスチナとシオニスト会議のことじゃ…

そうなんですよ、カワ

イソグロだ。

現在のパレスチナの在り様は、19世紀末にスイスのバーゼルで開かれた「シオニスト会議」から始まったといっていい。

ポグロム(ユダヤ人迫害)により土地を追いだされ、新天地を求めていたヨーロッパのユダヤ人たちは、長い間オスマントルコの支配下にあったパレスチナに移住することを考え始めた。キリスト教徒の下でここまで迫害されるなら、イスラム教徒の下で生きるのと変わらないって考え始めたんだね。

そして第一次世界大戦が勃発し、ユダヤ人たちはイギリスの勝利に大きく貢献する。お家芸の金融で戦費を調達し、優秀な科学者たちは武器弾薬の製造でイギリス軍を支えたんだ。

この協力体制は、英国政府とユダヤ人の間に交わされた「密約」が大きな原動力となった。いわるゆ『バルフォア宣言』だね。

イギリスは第一次世界大戦後にオスマントルコからパレスチナを獲得しようと画策していたからな。そして戦後に作られるであろう「英領パレスチナ」の中に、ユダヤ人悲願の「National home(民族郷土)」を建設しようと約束したのだ。

予定通り大戦後に「英領パレスチナ」が誕生し、植民地政府のもと、ユダヤ人の入植が始まる。

当初イギリスは「アラブとユダヤ」の共存国家を目指していた。だけどシオニスト会議は「ユダヤ人単独国家」の樹立を目指した。

そして第二次世界大戦を経て、ユダヤとアラブの対立が激化する。

イギリスは統治を国連に委ねたが、イスラエルが一方的に独立を宣言。以後、アラブ諸国と戦争を繰り返し、今に至る。

なるほど…

家が「ロンドン」なのは、エルサレムが「英領パレスチナ」の中にあったからなんだ…

そして「スイス製のブラインド」で外の景色が見えないのは、スイスで宣言された「ユダヤ人による単独国家」のことなんだね…

深いな、イシグロ…

っちゅうか『日の名残り』と同じネタやんけ。

『日の名残り』でも、旅の目的地「コーンウォールのローズガーデン・ホテル」がエルサレム旧市街地だったもんな…

そんで、いつもはレイモンドが泊まる時は、まるでそれが「至上命令」かのように、隅々まで完璧に部屋が整えられていたけど、今回は全然違ってたんだよね…

しっちゃかめっちゃかだったんだ…

だね。

そしてそれを見て呆然としてるレイモンドにチャーリーはこう言う。

「支配人を呼べ、とでも言いたげだな」

エルサレム旧市街地の「支配人」っていったら、4つの地区で共通の「神」の人だよね。

そうだね。

だからチャーリーは昼飯に出かける前に、エミリに清掃を頼む置手紙を書く。

レイモンドは「これを全部エミリに片付けさせるのか?」と驚き、チャーリーは「エミリは清掃会社に電話するだけだ。俺は清掃会社の電話番号すら知らない」と言う…

これも意味深やな。

「片付け」っちゅうのは、血を見ることもある「汚れ仕事」っちゅうことやろ?

じゃあ「清掃会社」というのは…

「外部」の「専門業者」ってことですよね…

愛の人「イエス・キリスト」であるチャーリーが、あまり関わりたくない感じの…

『日の名残り』でいうと、アメリカ人の新主人みたいな人だな!

中東戦争の裏で糸を引く、おっかない世界の人たちだ!

さて、チャーリーとレイモンドは昼飯を食べにイタリアンレストランへ行った。

そこはスーツ姿のビジネスマンだらけで、ラフな格好だったレイモンドは場違いに感じ、気後れする。

そんなレイモンドに対し、チャーリーは周りに聞こえるような大声で言った。

「おれやおまえみたいなのが成功者に見えるんだ。ここにいるほかの客はまさに中間管理職よ」

「イタリアンレストラン」って、「神殿の丘&嘆きの壁」のことでしょ?

エルサレム神殿はローマ人に破壊され、そこにローマ神殿が建てられてたから!

それに、あそこはビジネスマンみたいな黒いスーツ姿の人だらけ!

確かにイエスやユダに比べたら「中間管理職」ともいえる…

しかしチャーリーは嫌な奴やな!

「汚れ仕事」は他人任せのくせに、中間管理職を小馬鹿にしよって!

ええかっこしいにも程があるわ!

口を慎め。

相手が誰だか忘れたのか?

そしてチャーリーはレイモンドに「頼みたいこと」があると告げる。

その言葉にレイモンドは「チャーリーがぼくに頼みごと?いつ以来だろう?」と興奮するが、それを気取られないよう平静を保とうとする…

そりゃドキっとするよね!

「裏切って死刑に追い込む」という、究極の「汚れ役」を頼まれて以来だから!

2000年ぶりの「頼まれごと」やな。

胸がザワつくのも無理ない。

チャーリーはエミリと上手くいってないことを告白する。

だから今回は「どちらかひとりとしか会えない」と言うんだ。

「一人二役の芝居みたいに、両方と同じ場所で同時に会うことは出来ない」とね。

そりゃそうや。同時に存在したら一大事やで。

「おれがあいつであいつがおれで」状態や。

だからイエスが十字架で神へ呼び掛けた時に返事がなかったんだもんね。

あそこで返事があったらイエスは「主」じゃないことになって、預言成就にならなかった。

チャーリーの「頼みごと」とは、こんなものだった…

今日中に仕事でフランクフルトへ飛ばなければならない。戻るのはたぶん二日後。それまで家に居てエミリの世話になっていてほしい。

ちょー臭う!

「二日後に戻る」って「イエスの復活」のことだよな。

日曜夜6時半に放送される『サザエさん』が、かつて火曜夜7時に再放送されていたのも「主の二日後の復活」を再現させるためのものだった。

まさにちょうど48時間後、「丸二日」経ってからの再放送だったからな。

あの回、なにげに面白かった!

「フランクフルト」にも意味があったよね。

「Frankfurt」の「furt」はドイツ語で「川の浅瀬」という意味だ。「フランク族が住む川の浅瀬」という意味なんだね。

ユダヤやキリスト教で「川」は重要な意味をもっている。「出エジプト」のラストはヨルダン川を渡るシーンだし、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのも川だった。

『日の名残り』で主人公スティーブンスが「フォード」に乗っていたのも、これに由来する。英語の「ford」はドイツ語の「furt」にあたるからね。

それは何遍も聞いた。

「フランク」は何っちゅうハナシや。

そこはまだちょっとわからないんだよね…

あれじゃない?

フランクフルトといえば『アンネの日記』のアンネ・フランク!

確か彼女はフランクフルト出身だった!

アンネ・フランクはこの話に関係ないやろ。

「この話」にはな。

へ?

何でもない。気にするな。

さて、チャーリーはレイモンドのスペインでの暮らしぶりを尋ねた。

のんきなレイモンド(47歳・派遣の語学教師)は、のんきに自慢話をし始める…

「聞いてよチャーリー、ぼくはこの前クリスマスの立食パーティーで、生徒と教師40人以上の料理をほとんど独りで準備したんだよ!」

もうわかったもんね!

これのことでしょ!

《五つのパンと2匹の魚》by Kenta

せやけど、この奇跡を起こしたのはイエスやろ。

なんでユダがドヤ顔するんや?

ほら、太宰の『駆込み訴え』では、ユダが涙ながらに「本当の話」を訴えていたじゃんか!

教団や様々な「奇跡」を陰で支えていたのは自分だったって!

青空文庫版はこちら

太宰治『駆込み訴え』 朗読:西村俊彦

呆れたチャーリーは、いい加減に仕事を辞めろと勧める。

そしてすぐさま「転職&引っ越し計画」を考えだし、レイモンドに順を追って指示をする。

「片手を上げ」段階ごとに「指を一本ずつ」押さえながら…

そして「指がまだ二本ほど残ってる時」に料理が運ばれてくる…

ムムム…

今度は何だ?

きっと何かのポーズだよな…

片手を上げて何かを数えるポーズ…

指が二本…

ヒントは「イシグロの故郷長崎」にもゆかりのある有名なポーズだ…

長崎?

ぜんぜんわかりませ~ん!

お前らの無い知恵をしぼっても時間の無駄だ。

答えを言うぞ。

「山上の垂訓」だ。

《The Sermon on the Mount》Carl Heinrich Bloch

ああ!確かに片手を上げて、指が二本残ってる!

けど、なんで長崎?

長崎市の平和公園にある「平和祈念像」だよ。

「山上の垂訓」のイエスと同じように岩に座って右手を上げ、指を二本伸ばしている…

げなパネェ!

チャーリーはレイモンドに計画を説明した後に「だけどおまえはきっとどれもやらない」と言う。

レイモンドが反論すると「スペインに帰ったら話をすっかり忘れて、一年後にここに来てまた同じことを嘆く」と決めつける。

一年後に同じことで嘆くって「嘆きの壁」のことだね。

そしてレイモンドはチャーリーに「頼みごと」の詳細を尋ねた。

するとチャーリーはパスタを食べながら下を向いてすすり泣きを始める。

なんであのタイミングで泣いたんや?

チャーリーの言う「二三日エミリと一緒に過ごしてくれ」という「頼みごと」には、暗に「裏切り」が示唆されているからだろう。

恐らくチャーリーは、同棲前、エミリとレイモンドの間に「何か」があったことを疑っていた。

当時、エミリの部屋にレイモンドが入り浸っていたからね…

へ?

つまり、こういうことだ…

チャーリーは自分の浮気がバレたので、エミリも「同罪」にしたかったんだと思う。

自分の留守中にレイモンドを使って、ね。

そうしたらエミリの怒りも収まって、何事も無かったようになるんじゃないかと考えたわけだ。

他の男だとエミリが本気になってしまうリスクがあるけど、レイモンドなら大丈夫だと踏んだんだね…

ハァ!?

この「チャーリーの男泣き」のシーンには「最後の晩餐」のワンシーンが重ねられているのだよ。

ええ!?

「頼みごと」を話そうとしたチャーリーは下を向いてすすり泣きを始める…

レイモンドは驚いて、チャーリーの肩をつついて揺する…

そこにウェイターが来て「料理はどうでしたか?」と尋ねる…

この三者の行動は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の一部分を切り取ってアレンジしたものなんだ。

イエスとその左側に描かれる「ユダ、ペトロ、ヨハネ」の三人をね。

《La última cena》Leonardo da Vinci

どゆこと!?

ほら、イエスにとって「裏切り」とは、メシアの預言を成就させるためにどうしても必要なことだったでしょ?

弟子の誰かがその「汚れ役」をやらなければいけなかったんだ。

イエスは最後の晩餐で突然「あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている」と言った。

弟子たちは騒然とする。そしてイエスはこう続けた。

「私と一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、私を裏切る」

そしてイスカリオテのユダが「先生、まさかわたしのことでは?」と言う。

イエスはこう答えた。

「それはあなたの言ったことだ」

こうしてユダが「裏切り者」に決まった…

つまり、チャーリーはレイモンドに「あの時エミリの部屋でやったみたいに、もう一回おれを裏切ってくれ」と「頼みごと」をしようとしたんだけど、さすがに罪悪感があって、すすり泣きをしてしまったというわけなんだ…

えええええ!?

のちにチャーリーが電話でレイモンドに指示する「ブーツを鍋に浸して煮込む」という作業が、「私と一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、私を裏切る」というイエスの言葉にあたるわけだな。

第2話『降っても晴れても』とは、妻と親友に「裏切り行為」をさせる夫の物語なのだ。

ま、マジですか!

間違いないよ。

さて、イタリアンレストランを後にした二人は、再び「愛の巣」へ戻る。

そこにはエミリが待っていた…


——つづく——




『夜想曲集』(@Amazon)
カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳



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