「深読み LIFE OF PI（ライフ・オブ・パイ）＆読みたいことを、書けばいい。」志賀直哉『小僧の神様』篇⑭（第281話）
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
それでは、ここで少し新渡戸稲造の祖父「新渡戸傳」（にとべ つとう）について語ろうか。
『約翰傳（ヨハネ伝）』が下敷きになっている志賀直哉の『小僧の神様』を語る上で、避けては通れない人物だから。
新渡戸傳（1793-1871）
稲造と傳の物語…
まさしく新渡戸伝じゃな。
新渡戸伝か…
そういえば「新渡戸」って苗字は、なぜ「にとべ」と読むんだろう？
普通なら「にとど」ですよね？
やだ、あんた。そんなことも知らないの？
「戸」は「へ」と読むのよ。
へ？
旧南部領の北部、岩手県から青森下北にかけてのエリアには、九つの「へ」がある…
一戸、二戸、三戸と始まって、八戸、九戸まで…
あっ、そういえばそうですね。
だけどなぜナンバリングされたんだろう？
奥州藤原氏四代、清衡、基衡、秀衡、泰衡の時代…
陸奥の北部に「ぬかのぶ」という郡が置かれ、それが９つの地域に分けられた。
新渡戸傳が開拓した三本木原台地は、六戸周辺の地域にあたる。
あれ？ 四戸は？
縁起が悪いから飛ばしたんじゃない？
「四」は「死」を連想させるでしょ？
４階のないホテルや、○○４号室のない病院じゃないんですから…
「四条」とか「四谷」とか「四日市」とか「四国」とか、地名では「四」を飛ばしません。
「四戸」の場所は諸説ある。
だけど、あの配置図を見れば、考えられる場所は二ヶ所…
一戸二戸三戸ラインの延長線上、つまり三戸の左上か…
五戸六戸七戸ラインの起点になる場所、つまり三戸の右横あたり…
そのどちらかよね。
ちなみに、そこには何があると思う？
え？ 何って？
そういえば「新渡戸」って「新しい・渡る・戸」と書くわよね。
もしかして、ナンバリングされた「九つの戸」や、失われた「四戸」と関係あるとか？
「九つの戸」と、失われた「四戸」の謎…
そして「新しい・渡る・戸」と書く「新渡戸」の苗字…
この両者、残念ながら関連性はない。
じゃあ、なぜ四戸が無いの？
新渡戸という苗字の意味は？
それは後程たっぷりと解説する。
まずは志賀直哉にインスピレーションを与えた新渡戸傳と稲造の物語から話そう。
すべては１８２０年（文政３年）の年の瀬、１２月２５日に起きた、ある重大な出来事から始まった…
１８２０年１２月２５日の出来事？ 何ですか、それは？
この日、新渡戸傳をはじめ新渡戸家の者たちは、２００年以上住んでいた花巻の地を離れ、下北半島へと旅立った…
流刑という、長い長い旅へ…
流刑？ なぜ？
傳の父、新渡戸家の第40代当主 維民（これたみ）が、藩議に背いたという罪だ。
国土が広大なわりに肥沃な土地が少なく、数年おきに飢饉に襲われる南部盛岡藩は、慢性的な赤字を解消するために、１８２０年、固定費のかかる支城 花巻の縮小を決めた。
しかし、秀吉の奥州仕置き以来２３０年近く盛岡藩の支城 花巻で南部家に仕えてきた新渡戸家の当主であり、上杉謙信流の兵法家としても名高かった維民は、花巻の軍事的重要性を説いた。
それが藩の重臣たちの怒りを買ってしまい、維民は家禄を没収され、新渡戸家に下北への流刑が言い渡される。
そして１２月２５日、当主の維民、その息子 傳、この時にまだ生まれたばかりだった傳の息子 十次郎（じゅうじろう）ら新渡戸家の一族郎党は、遠い下北・川内を目指して雪の中を徒歩で旅立った…
盛岡の近くにある花巻から下北半島の川内までって、かなりの距離ですね…
陸奥湾を横断すれば、少しは近道になりますけど…
生まれたばかりの赤ちゃんも？
傳の息子 十次郎って、もしかして新渡戸稲造のお父さんになる人？
そう。
この赤ちゃん十次郎が、のちに稲造の父となり、新渡戸家の第42代当主となる人物だ。
新渡戸十次郎（1820-1868）
なぜ「十次郎」なんでしょう？
「十」も「次」も、あまり長男っぽくないですよね。
長男は生まれてすぐに亡くなってしまったらしい。十次郎は次男にあたる。
では「十」は？ 新渡戸傳が開拓した十和田の十？
新渡戸家が十和田に関わるのは先のこと。十次郎が生まれた時は、まだ知る由もない。
ではなぜ傳は息子に「十次郎」と名付けたのでしょう？
その子が新渡戸家の第「４２」代だからじゃない？
えっ？
さて、一族郎党を率いて下北・川内の流刑地に辿り着いた新渡戸維民は、藩からの赦しが出るまで、同地で謹慎生活を続けた。
しかし、家禄は没収されているので収入はゼロ…
そこで息子の傳は、新渡戸家存続のために武士の身分を捨て、商人となる。
のちに江戸で「川内の海商」と呼ばれた材木商「安野屋素六」の誕生だ。
材木商？ 新渡戸傳は武士から商人になったの？
そう。材木商「安野屋素六」に。
なぜ「安野屋素六」という名前？
「安野」とは、新渡戸家が代々治めていた知行地 花巻・高松村の、新渡戸屋敷があった集落 安野のことじゃ。
あら。宮沢賢治とご近所さんなのね。
なるほど。安野屋の安野は先祖伝来の土地、つまり新渡戸の代名詞ということか…
では「素六」は？
おそらく…
「素（ゼロ）の禄（ろく）」や「陸奥（むつ）の素人（しろうと）」の駄洒落であると同時に…
傳の号「太素（たいそ）」をもじったもの…
号？ たいそ？
新渡戸維民も傳も、上杉謙信流兵法の師範。つまり先生だから「号」を名乗っていたの。
武士や学者を本名である諱（いみな）で呼ぶことは失礼にあたる。
適塾で有名な緒方惟章も「洪庵」や「適々斎」の号で呼ばれていたし、松下村塾で有名な吉田矩方も「松陰」や「二十一回猛士」を名乗っていた。
二十一回猛士？ 何が２１回なの？
生家の苗字「杉」と養子縁組先の苗字「吉田」で「二十一回」じゃ。
本人もこう言っとる。
杉は二十一の象あり。吉田の字も亦二十一回の象あり。
は？
「杉」の左側「木」を分解すると「十」と「八」、右側が「三」だから計２１。
「吉田」の「吉」の上は「士」だから１１、「田」の中は「十」だから、こちらも計２１。
そして「吉田」から「士」と「十」を引いた残り「ロ口」で「回」…
漢字のトリック…
落語『こんにゃく問答』の「魚」や、太宰治『猿が島』の「否と申で十」や、『ライフ・オブ・パイ』の「日田（十字）の木」みたいですね…
だけど「二十一と二十一と回」なら「四十二回」でしょ？
たぶん「死に」を連想させるから半分の「二十一」にしたんじゃないかな。
では「二十一回猛士」の「猛士」は？
幼名の寅次郎からだ。松陰はこう述べている。
我が名は寅、寅は虎に属す。虎の特は猛なり。
我が名はトラ…
じゃあ新渡戸傳の号「太素」は、どういう意味なの？
「まっさらな状態」とか「手つかずの世界」という意味だよ。
いわゆる天地開闢以前の何もない状態のことで、『古事記』の序文にも登場する言葉だ。
古事記 上巻 序
臣安萬侶言。夫、混元既凝、氣象未效、無名無爲、誰知其形。然、乾坤初分、參神作造化之首、陰陽斯開、二靈爲群品之祖。所以、出入幽顯、日月彰於洗目、浮沈海水、神祇呈於滌身。故、太素杳冥、因本教而識孕土產嶋之時、元始綿邈、頼先聖而察生神立人之世。
なんて書いてあるの？
臣、安万侶（やすまろ）の言。それはすでに存在していましたが、何もない状態でした。まだ名もなく、その働きもない状態です。誰が知るでしょうか、その姿かたちを。しかし、天と地が初めて分かれた時、三神が物事の始まりとなられて、陰陽がここから始り、二霊が万物の始祖となられました。黄泉の国への往来、洗った目から現れた日月、海水への浮き沈み、水で清められて生まれた神など。これらの出来事が起こった所以です。太素の頃は知る由もありませんが、この教えにより、土壌を育み、国土を生み成した時の有様を知ることが出来ます。元始からここまで、偉大なる先人たちのおかげで、神の誕生や、地上世界に人が立つ様子を知ることが出来たのです。
なんだか新渡戸傳が何もなかった広大な荒野を開拓してゼロから田畑や十和田の町を作った話みたいに聞こえますね…
うふふ。他の話にも聞こえない？
他の話？
さて、安野屋素六となった傳は、下北へやって来る廻船との商いから始め、ついには大きな船を自前で建造し、下北の木材を江戸へ運ぶ事業を始めた。
そして下北よりも資源が豊富な十和田湖周辺に目をつけ、森林事業の拡大を図る。
その際、下北と十和田湖の間にある広大な荒れ地「三本木原台地」を何度も行き来しているうちに、傳は、この「無」の世界を「有」に出来ないかと考えるようになった。
度重なる飢饉で苦しい生活を強いられている陸奥の人々を救うため、そして新渡戸家が流刑になった原因でもある南部盛岡藩の深刻な財政危機を救うため、この不毛の地を希望の地に変えられないかと…
こうして傳は、藩の石高、つまりＧⅮＰを一気に1.5倍まで押し上げる「三本木 十万石計画」を構想するようになる。
三本木 十万石計画？
南部盛岡藩は、日本一大きな面積をもつ藩だけど、石高はたったの20万石…
総面積あたりのコメ生産高は断トツの最下位だった…
しかも、面積が広くて海岸線も長いので、管理維持費やら国防コストがどの藩よりもかかる…
つまり藩の財政赤字は構造的な問題であり、支城 花巻城の縮小のような小手先の改革では、どうにもならない状態だったの…
現状維持のために緊縮財政をするのではなく、手つかずの荒野を切り拓き、無から新たに10万石を創出する…
ほとんど新しい国を生み出すみたいなもんですね…
まさに太素、天地創造じゃ。
父 維民の流刑は６年後に赦され、花巻から盛岡城下へ移り、再び兵法指南役として南部家に仕えることになったが、傳はそのまま安野屋素六として活動することを選んだ。
武士の身分に戻ると、自由に行動できなくなるからね。
そして傳は商売の傍ら、関東や上方の豪商とパイプを築き、各地の開拓地を視察し、土木技術の専門家を訪ね歩いて様々な知識を吸収する。
こうして「三本木 十万石計画」は徐々に形作られていき、１８３７年（天保八年）、４５歳になった傳は満を持して南部盛岡藩へ戻った。
すぐに計画は実行されたの？
まさか。
木も生えぬ荒野に中堅大名レベルの十万石の国を一から作るなんて話は、あまりにも荒唐無稽すぎて、誰も真に受けてくれないからね。
まず傳は、商人時代に学んだ能力を活かし、小規模な開墾を次々と成功させ、重臣や若い藩士たちの信頼を得ることに励んだ。
その間、武家と商家両方の英才教育を施した息子 十次郎は、若き藩主の奥小姓をつとめ寵愛を受けるまでになり、三十代前半で家老・目付にまで出世。
そして１８４８年（嘉永元年）、傳は５６歳の時に、藩の財政を司る勘定奉行の地位に就く。
あの流刑の日１２月２５日には何も知らぬ赤子だった十次郎が、三十数年後には南部盛岡藩の家老・目付に？
いったい、どうなってるんですか？
うふふ。すべては安野屋素六、新渡戸傳の計画通りよ…
信じられない…
新渡戸傳、何て人なんだ…
そして、傳による長年の努力が実を結び、１８５４年（安政元年）、下級藩士の一族郎党を十年間も新田開発に総動員できる制度「十ヵ年士」がスタート…
これにより、最大の懸念材料だった人員の確保に目途が立ち、傳が夢見た「三本木 十万石計画」が、ついに現実として動き始める。
運命を変えた「あの日」１２月２５日から３４年…
新渡戸傳、６３歳の時だった…
不毛の大地が、十万石の穀倉地帯に…
なんだか『プロジェクトⅩ』みたい…
いったいどうなるのかしら…
つづく
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