見出し画像

深読み 米津玄師の『さよーならまたいつか!(『虎に翼』主題歌)』第19話


前回はこちら


2024年3月中旬
東京都渋谷区神南
NHK放送センター



NHK総合リスク管理室
情報解析センター




『奥飛騨慕情』の元ネタは、Fra Angelico(フラ・アンジェリコ)の絵『受胎告知』・・・

だけどなぜ竜鉄也は、こんなアイデアを思いついたんだろう?

「奥飛騨」と「受胎告知」は全く関係ないっすよね?


『Annunciation(Prado)』
『Annunciation(Cortona)』


なぜ「関係ない」と決めつける?

竜鉄也本人に確かめたのか?


いえ、確かめてません・・・


本人に確かめもせず適当なことを言うもんじゃない。

以後、慎むように。


はい・・・ すいませんでした教官・・・


それではこの私が竜鉄也本人に代わって解説しよう・・・

なぜ『奥飛騨慕情』の元ネタは『受胎告知』なのか・・・


あの・・・ ちょっと待ってください・・・


なんだね呉羽君?


教官は竜鉄也本人に確かめたんすか?


ああ。もちろんだとも。本人から直接聞いた。


半端ない行動力っすね・・・

何の面識もない人に会いに行って、ずっと内緒にしていた創作秘話を聞き出すとは・・・


私が会いに行ったわけではない。

向こうから来たのだ。この話を伝えに。


ほ、本人がわざわざ来て、教官に伝えたんすか?


そうだ。私の夢の中へ。


夢の中へ?



そうか・・・ 呉羽君にはまだ言っていなかったな・・・


何すか田木さん?


神南恭一郎の驚くべき深読み力の源・・・

それは昼夜を問わず見る「夢」にある・・・


は?


ここだけの話だが、私の話すことはすべて、当事者本人から聞いたもの・・・

私の夢の中へ現れた当事者本人から聞いた話を、こうして披露しているに過ぎない・・・

つまり私は依り代、ある種のメッセンジャーということだ・・・


つまり教官は、東北のイタコや、沖縄のユタみたいなもの?


故人のみならず存命中の人物も私の夢の中へやって来て、貴重な話を次々としてくれる。

いろいろ事情があって自分じゃ言えないから、代わりに私に言ってほしいと。


なんか・・・ 大川栄策みたいだ・・・


栄策は『さざんかの宿』、イタコは隆法。

あいにく私の場合は本にもお金にもならないが。


でも、それって本当に本人なんすか?


本人に決まってるだろう。

夢の中に現れた当人が「本人です」と言うのだから。


信じられない・・・


信じるも信じないも君次第だ。

私としては竜鉄也の願いに応えるだけのこと。


竜鉄也の願い? 何すかそれ?


彼が私の夢の中へやってきた理由は他でもない・・・

『奥飛騨慕情』を卑猥な意味に捉える不届き者を一掃すること・・・


「あゝ奥飛騨に雨が降る」を「あ・・・ああ・・・ヒダの奥が・・・濡れ濡れ・・・」と解釈することをやめさせるため?


その通り・・・

竜鉄也は、奥飛騨で出会った運命の女性(ひと)を聖母マリアに重ね、あの『奥飛騨慕情』の歌詞を書いた・・・

それなのに、そんな風に解釈されてしまい、ひどく胸を痛めていたのだ・・・


そうだったんですか・・・

奥飛騨で出会った運命の女性を聖母マリアに重ねるということは、竜鉄也はクリスチャンなんすかね?


いいや。違う。


それじゃあ、なぜ奥飛騨の女性を聖母マリアに?

なぜフラ・アンジェリコの『受胎告知』を元ネタに歌を作ろうと?


愛しても 愛しても・・・ あゝ ひとの妻・・・


へ?


若き日の竜鉄也が奥飛騨で出会った運命の女性には・・・

夫がいたのだよ・・・


えっ? 人妻?

それって不倫じゃないですか・・・


そう。だから竜鉄也は彼女を聖母マリアに重ねた。

『マタイによる福音書』第1章の「受胎告知」では、夫がいるのに他の男を受け入れたマリアを、夫ヨセフが離縁しようとする。

しかしヨセフの夢に天使ガブリエルが現れ、マリアの妊娠は不倫(姦淫)ではなく、神の御業、聖霊による奇跡であることを伝える。


1:18 イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
1:20 彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。」

マタイによる福音書


天使ガブリエルも焦ったんでしょう・・・

夫ヨセフに内緒でマリアの家に忍び込んだわけですからね・・・

翼が無かったら、ただの間男だ・・・



奥飛騨で出会った運命の女性には夫がいた・・・

だから竜鉄也は、彼女を受胎告知の聖母マリアを重ね、「谷間の白百合」と呼んだ・・・

バルザックの小説『Le Lys dans la Vallée(The Lily of the Valley)』の主人公フェリックスが出会った運命の女性アンリエットにも、夫がいたから・・・



なるほど・・・

フェリックスと人妻アンリエットの関係は、事情を知らない人から見ると不倫に見えるけど、実際は肉の交わりのない純潔の愛だった・・・


だから奥飛騨「慕情」なのだな。


は?


奥飛騨慕情の慕情は、名曲『慕情』から取られている。


名曲『慕情』? サザンか?



その『慕情』ではない。

『奥飛騨慕情』は1972年に作られて1980年に大ブレイクした歌だ。

サザンオールスターズの『慕情』は1992年だから時系列がおかしいだろう?


あ、そっか・・・


私が言う『慕情』とは、1955年の映画『慕情』の主題歌『慕情』だ。



あ、これか・・・

しかしなぜこの歌から「慕情」を?


映画と共に大ヒットした『慕情』は、原題を『Love is a Many-Splendored Thing』という。


直訳すると・・・「愛とは輝き多きもの」って感じっすかね?


そうだな。

しかし竜鉄也は原題を読み間違えた。

視力に難があったから仕方の無いことなのだが。


読み間違えた?


『Love is a Many-Splendored Thing』を・・・

『Love is a Mary-Splendored Thing』と・・・


Love is a Mary-Splendored Thing・・・

愛とはマリア、輝き多きもの・・・


だから運命の女性の歌は、奥飛騨「慕情」と名付けられた。


なるほど・・・


ちなみに『Love is a Many-Splendored Thing』の「the April rose that only grows in the early spring(早春だけに産する四月のバラ)」や「The golden crown that makes a man a king(男を王にする素晴らしい王冠)」や「Once on a high and windy hill(かつて風が吹いていた崇高なる丘)」とは・・・



神南恭一郎・・・

『慕情』の重要な場所「風が吹く崇高な丘」の話は、またにしましょう・・・

おそらく話が長くなるでしょうから・・・


うむ。そうだな。

『慕情』の話を始めたら『風立ちぬ』や『風の歌を聴け』や『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』や『わたしを離さないで』にも触れぬ訳にはいかなくなるだろう。

田木君の言うとおり、今はそんなことをしている場合ではない。


しかし解せねえ・・・


何がだね?


「奥飛騨で出会った運命の女性に夫がいた」という出来事から、いきなり「受胎告知の聖母マリア」を想起するもんすかね?

四六時中マリア様のことを考えてるわけじゃないでしょうに・・・


いい質問だ。

竜鉄也が「奥飛騨で出会った運命の女性に夫がいた」ことから「受胎告知の聖母マリア」を想起したことには理由がある。


理由が?


君は奥飛騨へ行ったことがあるかね?


奥飛騨? ありませんけど・・・


竜鉄也が『奥飛騨慕情』を書いたのは、岐阜県の飛騨地方、カミタカラ村(現在は高山市)にある奥飛騨温泉郷の、新平湯温泉という場所・・・

それを記念して新平湯温泉のバス停には歌碑が建てられている・・・



カミタカラの新平湯温泉?

ということは旧平湯温泉もあるんすか?


旧平湯温泉なんて言ったら平湯温泉の人たちに失礼だ。

ユダヤ教徒の聖書を旧約聖書と呼ぶのが失礼なのと同じくらい失礼。


なるほど。元々の平湯温泉があって、それとは別のところに新平湯温泉が作られたわけっすね。

横浜駅と新横浜駅、神戸駅と新神戸駅みたいに。


そして『奥飛騨慕情』が生まれた新平湯温泉には「はじまり」の物語がある。

竜鉄也は、新平湯温泉の「はじまり」の物語と「運命の女性(夫あり)」を結びつけたのだな。


はじまりの物語? 何すか、それは?


それは記紀に描かれる神代から人代へ移り変わる時代のこと・・・

東国から故郷へ向かう旅の出雲衆が偶然この地へ辿り着いた・・・


出雲衆?


出雲のオオクニヌシ(大国主)に使えた神アメノホヒ(天之菩卑)の末裔とされる人々だ・・・

深い山の中で道に迷い、生死の境を彷徨い命辛々この地へ辿り着いた彼らは、世にも奇妙な湧き水を発見し、渇きを潤すことができた・・・


世にも奇妙な湧き水?


どんな日照り続きでも干ばつでも乾くことのない泉だ。

他の場所の水が涸れてしまっても、その泉だけは永遠に水が湧き出ているという。


決して乾くことのない、永遠の泉ですか?

そんなもの、あるのかなあ・・・


その水によって出雲衆は命を取り留めたが、極度の疲労で体が冷え切っていて旅を続けることが出来なかった・・・

すると彼らの目の前を、一匹の「蜻蛉」が横切って行った・・・


セイレイ?


トンボのことだ・・・

トンボは漢字で蜻蛉(セイレイ)と書く・・・

おそらく彼らが見たのは、水辺に棲むハグロトンボ、通称「神様トンボ」だろう・・・



セイレイは神様トンボ?


そのセイレイの幽玄さに見とれた彼らは、フラフラとセイレイの後についていった・・・

するとそのセイレイは、ある場所で忽然と姿を消した・・・

湯気のようなものが立ちこめている場所で・・・


セイレイが消えた? 湯気の中に?


そこは温かい湯が湧き出ている場所、温泉だった・・・

出雲衆がその湯へ入ってみると、あれだけ冷え切っていた体がみるみるうちに温まり、癒やされてきた・・・

まるで、大いなる母に抱かれているかのように・・・

これが新平湯温泉の「はじまり」の物語だ・・・


絶対に涸れることのない泉があり、おそらく神様トンボだと思われる一匹のセイレイに導かれて未知の新しい温泉を発見し、冷え切った体を温めて癒やした・・・

おもしろい話っすね・・・


やれやれ。まだわからぬのか?


え?


新平湯温泉の「はじまり」の物語は、新約聖書の「はじまり」の物語と酷似している・・・

絶対に涸れない水場があり、一匹のセイレイ(神様トンボ)が横切り、温泉の湯気の中へ消えて行った・・・


あっ!蜻蛉(セイレイ)と聖霊(セイレイ)!


その通り・・・

長渕剛の歌にも使われたネタだな・・・

幸せの「とんぼ(セイレイ)」とは「聖霊」のことに他ならない・・・

だからドラマの中で長渕剛は死に、その後に復活する・・・



マジか・・・


キリスト教の三位一体説によると、空を飛ぶ鳥の姿で描かれる聖霊は神そのもの・・・

竜鉄也は新平湯温泉の「はじまり」の物語を聞いて、フラ・アンジェリコの絵『受胎告知』を思い浮かべたのだよ・・・



確かに天使ガブリエルと聖母マリアは「温泉に入る人」に見える・・・

ポーズもそれっぽい・・・

というか・・・ もう、そうとしか思えない・・・



そして、セイレイが姿を消した場所に立ちこめていた湯気・・・

これは夜明け前の『受胎告知』だな・・・



聖霊が姿を消した聖母マリアの下腹部近くから立ちのぼる湯気・・・


ちなみにフラ・アンジェリコの『受胎告知』から「風呂」を想起したのは竜鉄也だけではない・・・

大林宣彦の『転校生』もそうだな・・・



ああ・・・ 風呂場で同じポーズしてる・・・


『転校生』の原作小説は題名を『おれがあいつで あいつがおれで』という・・・

これを大林宣彦はアダムとイヴに重ねたのだな・・・

イヴはアダムの肋骨から作られたので、アダムから見ればイヴは自分自身であり、イヴから見ればアダムは自分自身・・・

だから小林聡美と尾美としのりは「赤い缶」を蹴って階段を「転落」した・・・

「赤い缶」は「赤い禁断の果実」、「転落」は「THE FALL(失楽園)」の投影だ・・・



なんてこった・・・


そして『転校生』の元ネタがフラ・アンジェリコの絵『受胎告知』であることを知っていた中島みゆきは、サントリーの缶コーヒーBOSSのCM「ヘッドライト・テールライト トラックドライバー編」で・・・



神南恭一郎・・・

その話は長くなるので、またの機会に・・・


おっと失礼。また脱線するところだった。


温泉とセイレイはわかったんですが、涸れることのない不思議な泉は?

フラ・アンジェリコの絵の中にはありませんよね?


そうだな。この絵では木々が生い茂っていて見えない・・・

しかしフラ・アンジェリコの別の絵『最後の審判』では、楽園の中にある「決して涸れることのない命の泉」が描かれている・・・

天使たちが手をつないで囲んでいる泉のほとりに『受胎告知』と同じ木が描かれているのがわかるだろう・・・



なるほど・・・ 確かに・・・


これで納得して頂けたかな、呉羽君?

竜鉄也の『奥飛騨慕情』は、奥飛騨で出会った運命の女性を、フラ・アンジェリコの絵『受胎告知』の聖母マリアに重ねて歌ったもの・・・


歌詞の読み解きも、新平湯温泉の「はじまり」の物語も、確かにそれっぽかった・・・

だけど、やっぱりまだスッキリしねえ・・・

なぜ「奥飛騨」と「受胎告知の聖母マリア」なんだ・・・


く、呉羽っ!

神南恭一郎が竜鉄也本人から聞いた話だというのに、疑うとは何事だ・・・


だって田木さん・・・ 

「奥飛騨」と「受胎告知の聖母マリア」は、どうしても結びつかねえ・・・


それは君が「奥飛騨」を知らないからだ。


え?


奥飛騨温泉郷 新平湯温泉のある上宝村の北には神岡町がある・・・

今は市町村合併で高岡市(上宝)と飛騨市(神岡)で別々になっているが、元々は同じ吉城郡だった・・・



神岡町?

どっかで聞いたことあるような、ないような・・・


お前はそんなことも知らんのか・・・

神岡といえば、陽子崩壊とニュートリノを観測するために作られた「カミオカンデ」があるところ・・・

三井の鉱山跡に東京大学と高エネルギー物理学研究所が作った施設で、小柴昌俊がノーベル物理学賞を受賞して有名になっただろう・・・



あっ、あれか・・・


神岡だからカミオカン・・・

カミオカンは神のオカン、つまり聖母マリア・・・


は?


もう一度言う・・・

カミオカンは神のオカン、つまり聖母マリア・・・



神のオカンって・・・ しょーもな・・・


しょーもな?


そんなアホらしい親父ギャグ、俺が信じると思ってるんすか?(笑)


奥飛騨神岡のカミオカンデは神のオカン、つまり聖母マリア・・・

それを「しょーもない」と?


しょーもないっしょ(笑)


神岡鉱山跡には、カミオカンデの他にも東大の施設がある・・・

その名も「XMASS」・・・



XMASS?


説明するまでもないが、聖母マリアが神の子イエス・キリストを産んだ日「Xmas(クリスマス)」をもじったものだな・・・


マ、マジか・・・


これで「奥飛騨」と「聖母マリア」の結びつきに納得して頂けたかな?


はい・・・ 納得しました・・・


それでは本題に入ろう・・・

朝の連続テレビ小説『虎に翼』主題歌、米津玄師の『さよーならまたいつか!』の歌詞とミュージックビデオの意味について・・・



つづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?