第328話 深読み『千と千尋の神隠し』vol.27「銀河鉄道の夜⑩サソリの火」
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
まだ分かりませんか?
大切なものがすり替わったのに(笑)
え? ハク?
宮沢賢治だよ。
賢治は大切なものをすり替えたんだ…
「蛇」を「蝎(さそり)」に。
蛇をサソリに? どういうこと?
賢治は『ヨハネ伝福音書』第3章のキーワード「モーセが荒野でヘビを上げたように、人の子も上げられる」に着目した。
ここでは「ヘビ」が「人の子」にすり替えられている。
だから賢治も「ヘビ」を「サソリ」にすり替えたというわけだ。
物語の終盤、銀河鉄道の中で語られるサソリのことでしょうか?
その通り。
賢治は、タイタニック号の沈没事故とそっくりな事故で亡くなった少女かおるに「天に輝くサソリの由来」を語らせた。
「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云いました。
「蝎(さそり)の火だな。」カムパネルラが又(また)地図と首っ引きして答えました。
「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」
「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。
「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」
「蝎って、虫だろう。」
「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」
「蝎いい虫じゃないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあってそれで螫(さ)されると死ぬって先生が云ったよ。」
人々が危険視するサソリを「いい虫」だと主張する少女かおるって、少女時代のナウシカっぽくない?
あっ、確かに。
宮崎駿は宮沢賢治が大好き。
人間によって虐待された王蟲の子の悲痛な叫びを感知した大人の王蟲の群れは、怒り狂って暴走し、壮絶な破壊がもたらされる…
王蟲が「いい虫」だと知っていたナウシカは、その場から逃げず、酸の海に入ろうとする王蟲の子を押しとどめた…
『オツベルと象』のラストシーンにクリソツじゃ。
ジュウ…
それにしても、あの王蟲の子は、なぜ酸の中に入ろうとしたのでしょう?
慣用句「虫酸が走る」が元ネタね。
昔、人々は、ムカムカした時に出て来る酸っぱい唾を、体内に潜んでいる虫が出す液体だと考えていたの。
ああ、それ知ってる。
向田邦子『蛇蠍のごとく』の虫のことだわ。
だかつのごとく? 「ヘビやサソリのように嫌われる」ってことですか?
すべての男の身体の中に棲んでる「浮気の虫」のことよ。
どんなにいい人ぶったり聖人ぶっていても、本心は違う…
結局オスという生き物は「自分の種をまき散らすこと」しか考えていなくて、それを行動に出すか妄想にとどめるかの違いしかないってこと。
そういえば、ハクの身体の中にも「悪い虫」が潜んでいましたね…
あの虫のせいでハクは時々別人のようになり、千尋はハクが二人いるのかと思った…
さて、少女かおるは、サソリが人間をも殺すほどの毒で獲物をとる虫であることを認めた上で、こんな話をする。
「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さん斯(こ)う云ったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎(さそり)がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見附(みつ)かって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命遁(に)げて遁げたけどとうとういたちに押(おさ)えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺(おぼれ)はじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、
ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰(おっしゃ)ったわ。ほんとうにあの火それだわ。」
身を捧げたいと願ったサソリは、尊い炎になった…
なんだか『炎のたからもの』を思い出します。
これが「さそり座」の由来なんでしょ?
いや。これは真っ赤な嘘だ。
まるでデタラメの神話なんだよ。
ええっ? 嘘なの!?
そういえば「さそり座」は…
ギリシャ神話の最高神ゼウスの妻ヘラが、地上の王を自称する傲慢な英雄オリオンを罰するために送り込まれた刺客のサソリ…
猛毒によって見事オリオンを死に至らしめたサソリが、ミッション成功の褒美で天に上げられ星座になったという神話だったはず…
全然「いい虫」じゃないじゃん。ただ権力者にとって都合の「いい虫」よ。
なぜ賢治は美化された嘘の神話を語ったのでしょう?
自然界の食物連鎖や自己犠牲の美徳を描くためですかね?
しかし、そうだとしてもオカシナ話でしょう?
おかしい? 何がですか?
この「サソリの話」は破綻しています。
食物連鎖の喩えとしても、自己犠牲の喩えとしても…
え?
その通り。
この「サソリの話」は、食物連鎖の喩えとしても、自己犠牲の喩えとしても、適切ではない。
どういうこと?
この「サソリの話」では、イタチに追われて逃げていたサソリが井戸に落ち、そこで死ぬことを「犬死」だと考える。
誰の役にも立たないで無駄に死ぬなら、イタチに我が身を食べさせてやればよかったと後悔するんだね。
しかし、ちょっと考えれば、これが「食物連鎖」の観点でも「自己犠牲」の観点でも矛盾していることに気付くはずだ。
まず、自然界の食物連鎖のバランスは、それぞれの生き物たちが「意識的に作り上げている」ものではなく、人間が全体像を見て「うまく出来ていると感じる」だけのことに過ぎない。
なぜなら、ひとつひとつの生き物の基本は「死なないこと」つまり「ギリギリまで精一杯生きること」だから。
捕食者に襲われたら全力で逃げる。運が悪ければ食われるし、運が良ければ生き延びる。その積み重ねが「バランスのとれた食物連鎖」として見えるだけのことに過ぎない。
そしてあのサソリはたまたま井戸に落ちただけ。
そもそもサソリにとって「井戸の中で死ぬこと」は事前にわからないことなので、この死は決して犬死なんかではない。
「こんなことになるんだったら」なんて考えは、所詮は後付け、井戸に捕まったから生まれたものであり、自己犠牲の精神とは何の関係もない。
捕食者に狙われて逃げもせず「はい、どうぞ」なんて我が身を捧げていたら、それこそ食物連鎖なんて成り立たないし、もはやそれは自己犠牲ではなく自暴自棄や自己満足だよね。
確かにそうだわ…
自分の命を狙うものに、わざわざ喜んで命を差し出す生き物なんていない…
「サソリの後悔」が成立するのは…
予め井戸に落ちて死ぬことがわかっていた場合だけね。
だけど、そんなこと誰も知らないわ。
自分が、いつ、どう死ぬかなんて、絶対に誰にもわからない。
そうかしら?
え?
いったい賢治は何のために、こんな矛盾した話をしたのでしょう?
わからんか?
愛じゃよ、愛。
愛?
人間には到底理解できない神の愛を示すために自ら十字架に掛けられたイエス・キリストってことですか?
NO!おぬしの目は節穴か!
え?
イエスは命を狙われても逃げなかった。
処刑を企てとる連中がおることを承知でエルサレムに入城したわけじゃからな。
そして水の中に落ちて溺れることもなかった。
なにせ、水面に浮けるからのう。
確かにそうですね。では「サソリ」とはいったい…
まだわからない?
あのサソリは「バルドラの野原」で「小さな虫やなんか」を獲っていたのよ。
尻尾についた「かぎ」を使って、小さな虫や「なんか」をね。
「なんか」って何?
サソリは小さな虫の他に何を獲るの?
そういえば「バルドラ」って、どこでしょう?
ギリシャ神話に出て来る地名ですか?
ギリシャ語ではない。
「バルドラ」とは「パードレ」のことじゃ。
パードレ?
賢治は「サソリ」の正体のヒントをちゃんと用意していた。
「サソリの火の話」は、こんなふうに始まったよね。
何か気付くことはないかな?
まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗(ききょう)いろのつめたそうな天をも焦がしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えているのでした。
「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云いました。
「蝎(さそり)の火だな。」カムパネルラが又(また)地図と首っ引きして答えました。
正体のヒント? 何だろう…
「サソリ」が赤い炎を出して燃えていた時…
天をも焦がすような、ものすごい黒煙が上がっていたのよ…
赤い炎と、天をも焦がす黒煙?
炎が赤くて黒煙が出るってことは、不完全燃焼だったということですよね。
まだわからぬか?
わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば…
天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか…
ヨハネ第3章、第12節?
『銀河鉄道の夜』という物語は、地上世界で語られる話が、そのまま天上世界のストーリーに対応している。
第三幕「家」の中には、天を真っ黒に焦がす「サソリの火」とそっくりな話が出て来たよね?
あっ…
釜が真っ黒に煤けてしまった蒸気機関車の鉄道模型…
その通り。カムパネルラの家にあったアルコールランプで走る鉄道模型だ。
ジョバンニは、お母さんにこう説明していた。
アルコールの代わりに別の燃料を使ったら、不完全燃焼を起こし…
機関車の釜が真っ黒に煤けてしまったと…
さて、ジョバンニとカムパネルラは、アルコールの代わりに何を燃やした?
石油でしょ?
そう。それが「サソリ」の正体(笑)
石油がサソリの正体?
いったいどういう意味なのでしょう?
石油は英語で何と言う?
そんなことくらい知ってるわよ。オイルでしょ?
オイル・ショック!
やだなあ、深代ママ…
石油は英語で「Petroleum」ですよ。
あっ! ペトロ!
ペトロ?
もしかして…
黒煙をあげて燃えた「サソリ」って、使徒ペテロのことなの?
その通り。
あの「サソリ」とは「ペトロ」のことだ。
ペトロは泳げなかった。ガリラヤの海に落ちて溺れそうになり、イエスに助けられたことがあるからね。
『水の上のイエスと溺れたペテロ』
「パードレ」とは神父のこと。
ペトロは神父の元祖、初代ローマ教皇とされる。
だから「キリスト教徒」である少女かおるが、よく知っていたのじゃ。
そういうことだったのか…
『ヨハネ伝福音書』は、他の福音書とは大きく内容が異なっている…
特に特徴的なのがラストシーン…
ペトロに関する記述がたくさんあったわよね?
ペトロは年をとってから、行きたくない所へ連れて行かれ…
そこで最期を迎える…
「サソリの話」に無理があるように思えたのは、そういうことだったんです。
賢治は別に食物連鎖や自己犠牲の話をしようとしていたのではなく、「ペトロの話」をしたかったわけですから。
それでは…
「イタチから逃げていたら井戸に落ち、後悔したサソリ」というのは…
Quo Vadis(クォ・ヴァディス)…
「ローマ皇帝ネロの迫害から逃げていたらイエスとすれ違い、後悔したペトロ」だね。
『主よ、どこへいかれるのですか?』
アンニーバレ・カラッチ
イエスと言えば井戸…
自分を「命の渇きを癒す水」だと喩えていました…
では、ローマ皇帝ネロは?
なぜネロが「イタチ」なのでしょう?
イタチはネコ科だからネロ?
ネロは、ローマの街に火をつけ、全焼させたと言われている…
そして、それをキリスト教徒の仕業だとし、激しい弾圧を行った…
『燃えるローマとネロ』
マックス・デ・リップマン
その時ローマにいたペトロは、イエスの十字架刑の日の「鶏が鳴く前に三度否認するだろう」の再現のように命が惜しくなり逃走…
しかしアッピア街道でイエスとすれ違った際に悔い改め、ヨハネ最終章の預言どおり、ローマで殉教する…
ネロがキリスト教徒のせいにしたローマの大火が「イタチに追われたサソリの火」に置き換えられたってわけ?
そもそも日本で「鼬(イタチ)」といえば「火・炎」じゃ。
古来からイタチは大火事を引き起こすと信じられていた。
だからイタチの絵には「火・炎」が描かれる。
『画図百鬼夜行』より「鼬」
鳥山石燕
燃えてる…
そしてイタチと言えば「縁切り」…
道を歩いている時にイタチが目の前を横切ると、交際や音信が途絶えると信じられていた…
突然、誰かとの別れが訪れたり、結ばれていた縁が切れるとね…
これを「イタチの道切り」という…
イタチの道キリ…
もしかして釜爺の「えんがちょ」って、これのことだったの?
宮崎駿は気付いておった。「サソリの話」の本当の意味に。
そして「黒焦げのサソリ」の代わりに「黒焦げのイモリ」を出した。
賢治は本来忌み嫌われるはずのサソリを「いい虫」として描いた…
だから宮崎駿も、気持ち悪いイモリを「美味しい虫」として描いた…
そして賢治は、サソリの尾に「かぎ」がある、と書いていたよね?
ペトロの尻尾に「かぎ」は付いてないでしょ?
よく見ろ。ついておるじゃろ。
ペトロの尻には「鍵」が。
やられた…
ペトロの天国の鍵か…
だから、小さな虫や「なにか」を獲る、だったのですね…
ペトロはイエスから「人を獲る漁師になる」と言われた…
「なにか」とは「人間」のことだったんだ…
そういうこと。
だけど賢治はなぜ「サソリ」にしたの?
別に「ヘビ」のままでもよかったじゃん。
大切なものを「すり替える」ことが重要だったんだよ。
だから賢治は「ヘビ」を「サソリ」にすり替えたわけだ。
ヘビとサソリは「蛇蠍(だかつ)」、どちらも嫌われ者の代名詞になっているからね。
だけど変じゃない?
「モーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」でしょ?
なぜ忌み嫌われるヘビと、人の子イエスが同列に語られるの?
そこに『ヨハネ伝福音書』の神髄があるんだ。
賢治はそれを『銀河鉄道の夜』で再現しようと考えたんだね。
どういうこと?
では解説しよう。
賢治が着目した『ヨハネ伝福音書』の神髄と、それをそのまま『千と千尋の神隠し』に引き継いだ宮崎駿の話を…
つづく
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