「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)&読みたいことを、書けばいい。」志賀直哉『小僧の神様』篇⑬(第280話)
前回はコチラ
2020年 ✕月✕日
南の島
とある施設の中
じたばたするなよ?いなりさまが来るぜ?
そう。稲荷様。
「いなりさま」って、あの黄金色した甘いお寿司のこと?
ちがうよ。
「稲荷様」とは、彼らの神…
か、神?
遠い昔、あの島に稲荷様は現れた…
それ以来、島の猿たちは、世紀末に稲荷様が再び現れると信じていた…
それじゃあ…
君があの島で最後に見たという「稲荷の祠」というのは…
そう。彼らの神が祀られている祠だ。
だけど稲荷様って日本の神様なんでしょ?
なぜ太平洋の孤島に?
彼らの伝承によると…
古代、稲荷様は、広い太平洋の架け橋になろうとして、海を渡ったという…
そして、ひどい嵐に遭った稲荷様は、荒れ狂う海を鎮めるため…
逆巻く水に我が身を投じ、あの島に流れ着いた…
太平洋の架け橋に? 逆巻く水に我が身を投げた?
その通り。稲荷様はとても使命感の強い神様だったらしい。
なんだか…
ポール・サイモンの、この歌みたいね…
Bridge Over Troubled Water
まさにこの歌詞の通りなんだよ。
稲荷様は、困難にある者、前途輝ける者のために、自分の身を捧げ、捨て石になろうと決意した。
もしかしたらポール・サイモンは、稲荷様のことを歌にしたのかもしれないな…
稲荷様が大好きすぎて…
ポール・サイモンが稲荷様のことを大好きだった?
そんな馬鹿な…
ポール・サイモンがあの白いキツネのお面を被っていたとでも言うの?
100%そうかもね、とは言い切れない…
だけど阪神タイガースの帽子は被ってたから、ひょっとしたら稲荷の面も…
はんしんタイガース?
これってNYヤンキースの帽子じゃないの?
まあ、その話はどうでもいい。
大事なのは稲荷様だ。
そうだったわ…
SGTが言った「稲荷様が来るぜ」って、どういうことなの?
世紀末、世界の終わりが来るってこと?
そうじゃない。
「来る」という言葉は「行く」という意味なんだ。
つまり「稲荷様のところへ行け」という意味。
「来る」は「行く」? なぜ?
なぜって言われても、彼らの言葉はそうなっているんだよ。
「It' coming」は「I'm going」という意味。
「来るよ」は「行くよ」で、「行くよ」は「来るよ」…
ややこしいわね…
とにかく、彼らは僕に「稲荷様のところへ行け」と言った。
途中まで書いた「すべての記録」を、稲荷様の祠に奉納しろと言ったんだ…
それだけ? 簡単じゃん。
そして彼らは、最後に、みんなで歌い始めた。
あの木の周りで輪になって、あの木を称える歌を。
最初に歌ってた「TKN TKN TKN~」って歌?
いや。あれは木になる実を歌ったもの。
最後の歌は「木そのもの」を歌ったものだ。
木そのものを歌った歌?
どういうこと?
気になる?
うん。教えて。
OK。これは説明するより、実際に歌った方が早い。
こんな歌だった…
2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
すべての話が、つながった…
それでは、小説『小僧の神様』のオチ、起承転結の結にあたる第九場と第十場を見ていこう。
最後に志賀は、興味深いことを書いている…
まず第九場…
全十場の中で最も短い場面ですね。
小僧仙吉に御馳走したことに関するAの淋しい変な気持ちは、Y夫人の独唱を聴いたあと、跡形もなく消えてしまった…
だけどAは、神田の小僧の店にも、そしてあの鮨屋にも、行く気分にはならなかった…
するとAの妻が、こんなことを言う…
「ちょうどようござんすわ。自家(うち)へ取り寄せれば、皆もお相伴(しょうばん)出来て」と細君は笑った。
Aは、妻の発言を笑えなかった…
するとAは笑いもせずに、
「俺のような気の小さい人間は全く軽々しくそんな事をするものじゃあ、ないよ」と云った。
これで第九場は、お終いです…
笑顔で妻が「鮨」を取り寄せようと提案する…
その「鮨」を皆で相伴しようと…
Aは笑えなかった…
志賀直哉が何を言わんとしているのか、わかるかな?
またこれもオスカー・ワイルドの『サロメ』ですね。
ヘロデ・アンティパスの妻へロディアは…
皆の前に「ヨハネの生首」を取り寄せた…
『サロメ』
ルーカス・クラナッハ
確かにこれは笑えないわ。
「俺のような気の小さい人間は」という発言もヨハネのことですね。
現世では最も大きな存在だったヨハネも、天国では最も小さい人間だとイエスは言いました。
では、第九場のAを「新渡戸稲造」として見た場合、どういう意味になっているかな?
えっ? この短い会話にも新渡戸稲造が落とし込まれているのですか?
新渡戸稲造(1862-1933)
もちろんだとも。
”小説の神様”と呼ばれた志賀直哉を甘く見てもらっちゃ困る。
それに志賀は、明確な意図をもって、この第九場を最も短いものにしたんだ。
志賀直哉(1883-1971)
第九場が短いことも新渡戸に関係するんですか?
小説『小僧の神様』は、新渡戸の著書『一日一言』へのアンサーソング…
すべての答えは『一日一言』の中にある…
序文を思い出してごらん…
また序文ですか?
あっ!これよ!
また短い点については、一日分を声高らかに読んでみても一分以上を必要としない。これは読者が朝食後にそれぞれの仕事に就く前、すなわち食膳を離れる間際に、単独で読み、あるいは家族一同とともに読まれんことを期待したからである。
「短い点」と…
「食膳で家族一同とともに」…
まさに第九場だ…
新渡戸は、心の糧となる「一日一言」を、毎日食卓で、家族みんなで詠唱しなさい、と書いた…
だから志賀は、こう思った…
「ホントに新渡戸家でも、そうしてるんですか?」
おもしろいわよね、志賀って。
おでこにハエをとめたままクールにポーズをキメるのも伊達じゃないわ。
ホントそう…
「京橋の屋台鮨屋で、一度つかんだ鮨を手放して恥をかいた小僧を見て着想を得た」なんて大嘘も、しれっと…
その「小僧」とは、京橋区にあった東京朝日新聞で「連載のドタキャン」という大失態をした自分のことで、それを「見た」のは新渡戸だった…
ちなみに…
『小僧の神様』が『ヨハネ伝』の再現になっとるのも、「新渡戸」からの着想かもしれぬな…
えっ?
おそらく間違いないでしょう。
『ヨハネ伝』も新渡戸って、どういうこと?
うふふ。
志賀が再現していたのは、明治元訳新約聖書『新約 約翰傳』だったでしょ?
つまり「新渡戸」の「新」が「新約」の「新」で…
「新渡戸」の「渡戸(とべ)」が「約翰(ヨハネ)」の「翰(はね)」…
「渡戸(とべ)」が「翰(はね)」?
「翰」という字は「とぶ」とも読むのよ。
羽だから飛ぶ?
そう。
それ以外にも「翰」という字は、「文書」とか「書き手・ライター」という意味にも使われた。
「書簡」という言葉は昔「書翰」と書いたし、「翰林」は「文士の集まり」という意味ね。
「新渡戸」だから「新約 約翰傳」…
そんな馬鹿な…
ちなみに「約翰傳」の「傳」も、新渡戸に関係する。
伝の旧字「傳」も? どうして?
「新渡戸傳」だ。
にとべでん?
「新渡戸傳」と書いて「にとべ つとう」と読む。
新渡戸稲造の祖父、おじいちゃんだ。
新渡戸傳(1793-1871)
新渡戸稲造のおじいちゃんが、なぜここで?
稲造が有名になる前は、「新渡戸」といえば「新渡戸傳」のことを指していた。
とんでもなく偉大な人物で、あの明治天皇は、傳の大ファンだった。
傳の死から10年がたった1881年、東北巡幸の際に新渡戸邸を訪れ、傳が寝起きしていた部屋に泊まったほどだ。
今でいう「聖地巡礼」だよね。
明治天皇が大ファン? わざわざ部屋に泊まった?
いったいどういうことですか?
新渡戸傳は、見渡す限りの荒野だった十和田湖東部の台地を開拓し、日本有数の穀倉地帯を作り上げた。
そして、新たに街を作り、全国各地から人を呼び込み、諸産業を育成し、今の十和田市を築き上げた。
明治天皇は、この偉業に感銘を受けたんだ。
十和田市を作った? さすがに大袈裟では?
本当だ。新渡戸傳はゼロから十和田の田畑や町を作った。
新渡戸傳がいなければ、今の十和田は影も形もないだろう。
美味しい食べ物も、りんごちゃんも存在していなかったんだ…
江戸時代には町が無かったの?
本当に見渡す限りの荒野だったんだよ。
約1200平方キロメートル、つまり東京23区や淡路島の2個分にあたる広大な土地が、手つかずの荒れ地だった。
1852年にこの地を訪れた吉田松陰の日記にも、ただ一言「何も無い所」としか書かれていない。
堆積した火山灰の台地で、流れる河川もなく、樹木すら育たない不毛の土地だったんだ。
当時、だだっ広い荒野の中に、たった1本の木しか生えていなかったので、その地域は「三本木」と呼ばれていた…
今の十和田市東部にあたる三本木地区ね…
1本しか木が生えていなかったから三本木?
それなら「一本木」なのでは?
もしかして「いっぽんでもニンジン」みたいな駄洒落なんじゃない?
なるほど。三本だけど一本の木か…
「やるき、げんき、いわき」ってことかなあ…
「やるき、げんき、いのき」でしょ?
そういう駄洒落ではない。
その木は不思議な木で、のちに地域の御神木になったという…
根本は「1つ」の木なのに、「3つ」に見える木だったんだ…
1つなのに3つに見える?
それって…
おそらく、こんな感じの木だったと思われる…
なるほど… キングギドラみたいな木ってことね…
それでは、ここで少し新渡戸傳について語ろうか。
『小僧の神様』の「A」のモデル新渡戸稲造を語る上で、避けては通れない人物だから。
稲造と傳の物語…
まさしく新渡戸伝じゃな。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?