第327話 深読み『千と千尋の神隠し』vol.26「銀河鉄道の夜⑨カムパネルラの鉄道模型」
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
では、解説しよう…
ジョバンニのお父さんの情報が錯綜している理由を…
「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっと間もなく帰ってくると思うよ。」
「あああたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの。」
「だって今朝の新聞に今年は北の方の漁は大へんよかったと書いてあったよ。」
「ああだけどねえ、お父さんは漁へ出ていないかもしれない。」
「きっと出ているよ。お父さんが監獄へ入るようなそんな悪いことをした筈がないんだ。」
いつも話が長いから、先に答えを教えてよ。
結論として、どっちなの?
監獄に入ってるの? それとも北の海で漁をしているの?
答えは、「どちらも」だ。
はァ? どちらも?
いったいどういうことでしょうか?
囚人船に乗せられて、北の海で漁をしているということですか?
そうじゃない。
「ジョバンニのお父さん」とは「ヨハネのお父さん」という意味だ。
ヨハネの父親は、何をしていた人だったかな?
あっ…
福音記者ヨハネの父ゼベダイは、ガリラヤの海の漁師…
ガリラヤの海は「北の海」ね。
淡水だから「北の湖」とも言うけど。
そして洗礼者ヨハネの父は?
エルサレム神殿で神に仕えていた…
祭司ザカリア…
イエスが生まれた時、東方の三博士は「新しい王の誕生」という預言を残した。
これを恐れたヘロデ大王は、国内の2歳未満の赤ん坊を皆殺しにする命令を出す。
祭司ザカリアは、生後半年だった息子ヨハネが「キリストの前駆」であることを神から告げられていたので、ヘロデの命令に背き、ヨハネを隠した。
そのことでザカリアは逮捕され、処刑されたという。
息子のヨハネと同じ結末だったのね…
ヨハネは、ヘロデの息子アンティパスの違法な結婚を批判したために、逮捕されて牢獄に入れられ…
最期はサロメの計略で斬首された…
「ジョバンニのお父さん」の情報が「二通り」あったのは、こういうことだ。
以前、学校に「大きなカニの甲羅」と「トナカイの角」を寄贈したというのも、ここから来ている。
「大きなカニの甲羅」は漁師としての寄贈品…
そして「トナカイの角」というのは、神殿の祭司としての寄贈品…
なんで「祭司」と「トナカイの角」が関係あるの?
「トナカイの角」とは、祭司が使う燭台のこと。
形が似てるでしょ?
メノーラー!?
そしてお母さんは突然「ラッコの上着」の話をする。
「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもってくるといったねえ。」
「みんながぼくにあうとそれを云うよ。ひやかすように云うんだ。」
もうわかりました…
お父さんのお土産「ラッコの上着」とは…
洗礼者ヨハネが着ていた「ラクダの毛皮」のこと…
『ジョヴァンニ・バッティスタ』
サンドロ・ボッティチェリ
もしかして、あのラクダの毛皮、父ザカリアの形見ってこと?
そうではないけど、賢治はそんな風に空想したんだろう。
洗礼者ヨハネは、なぜか「ラクダの毛皮」を着て、人々に説法をしていた。
わざわざそんなものを着るということは、きっと何か大切なものだったに違いないとね。
そしてカムパネルラの話になる。
「おまえに悪口を云うの。」
「うん、けれどもカムパネルラなんか決して云わない。カムパネルラはみんながそんなことを云うときは気の毒そうにしているよ。」
「あの人はうちのお父さんとはちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達だったそうだよ。」
カムパネルラは、神の子イエス…
福音書に記述はありませんが、ヨハネとイエスは幼い頃によく会っていたとされます。
ヨハネがイエスの家を訪れた時の様子を描いた、こんな絵もありました。
中央で母マリアとキスしているのがイエスで、右端で丸い容器を覗き込んでいるのがヨハネ…
『両親の家の中のキリスト』
ジョン・エヴァレット・ミレイ
そして次はカムパネルラと鉄道模型で遊んだ話ね。
それからカムパネルラの犬の話も…
ちょっと待ってください…
どうしたの、ジョー?
カムパネルラに対するお母さんのコメント、変じゃありませんか?
変? どこが?
あっ!確かに!
ジョバンニのお母さんは、カムパネルラについて、こう言ったんですよ…
「あの人はうちのお父さんとはちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達だったそうだよ。」
これっておかしくないですか?
あの人は… つまりカムパネルラは…
うちのお父さんとはちょうどお前たちのように小さいときからのお友達だった…
ん? ホントだ。変ね。
カムパネルラとジョバンニのお父さんが、昔から友達だったみたいだわ。
「あの人のお父さんは」と書くべきところを「あの人は」にしてしまったのでしょうか…
たぶんそうじゃない? 賢治が書き間違えたのよ。
いや。賢治は書き間違えてなんかいない。
ちゃんと意図的に、そう書いているんだよ。
え?
ヨハネの父ザカリアは祭司の家系に生まれた。
つまり、生まれながらにして、神に仕える身だったわけだ。
そしてカムパネルラは「神の子」であると同時に「父なる神」でもある…
だからカムパネルラは、ジョバンニのお父さんが小さい時から「お友達」だったというわけ。
なるほど…
だから「あの人は」のままで、特に訂正も注釈も付けられていなかったのか…
賢治、おそるべし…
そしてジョバンニは、カムパネルラの家で遊んだ鉄道模型のことを説明する。
「ああだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中たびたびカムパネルラのうちに寄った。カムパネルラのうちにはアルコールラムプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や信号標もついていて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつかったら、罐(かま)がすっかり煤(すす)けたよ。」
「そうかねえ。」
あれだけジョバンニが熱く説明したのに、一言「そうかねえ」って…
なんでお母さんは半信半疑なの?
「石油入れたら煤けた? どうせ話を盛ってんだろ」みたいな態度じゃん…
確かにそうとも取れますが…
おそらく最初から興味なかったんですよ、お母さんは鉄道模型に。
ところで昔の鉄道模型はアルコールランプで走ったのですか?
そうだよ。
賢治が言っているのは、鉄道模型界のパイオニア、ドイツ・メルクリン社のO(オー)ゲージのことだね。
最初に作られた1890年代はゼンマイ式だったんだけど、それが1900年代に入るとアルコールランプの熱で動くようになり長時間走行が可能になった。
昔はデフォルメされたデザインだったのね。いかにも子供向けって感じ。
子供向けのデザインじゃないんだよ。
リアルな形、つまり長細い車両にしてしまうと、当時の技術ではカーブを曲がれなかった。
だから寸胴型のデザインになったというわけ。
なるほど。
カムパネルラとジョバンニは7つのレールを組み合わせた円の上を走らせていたわけですもんね。
ちなみに、メルクリン社の鉄道模型は「コウノトリの脚」という名前だった。
なぜか「白い鳥」がシンボルだったんだよね…
白い鳥の脚って… それは…
だけど「アルコールランプで走る」って、どういうことなの?
理科の実験で使ってた、こういうやつでしょ?
うわっ、古っ。「ザ・昭和」ですね。
今はこんな風にお洒落なデザインなんですよ。
賢治の頃はこんなの無かったの。
この動画を見るとイメージが掴めると思う。
まさに機関車のボディとエンジンを分けた状態だからね。
あの勢いよく回る輪が、機関車の車輪になるというわけだ。
なるほどね…
だけどコレ、何だか既視感があるわ…
『紅の豚』のエンジン・テスト(笑)
これだ…
それにしても、なぜ、鉄道模型の動力源にアルコールランプが使われたのでしょう?
元々メルクリン社は、アルコールランプで動く蒸気機関の模型、つまりミニチュア・ボイラーエンジンのシリーズが主力商品だったんだよ。
当時の男子にとって、ボイラーエンジンはロマン、憧れの的だった。
その技術を、そのまま鉄道模型に取り入れたんだね。
これ、動くの?
もちろん。こんなふうに。
釜爺のボイラーみたいだ…
メルクリン社は蒸気機関や鉄道など、男のロマンを次々と商品化してきた…
話をし出したらキリがないのう…
興味がある者は、ざっくりと歴史を紹介した動画を見るがよい。
うわあ、楽しそう…
ロッド・スチュワートの気持ちもわかりますね…
ロッド・スチュワートは「鉄道」が大好き。
うふふ。
『PEOPLE GET READY』なんて、モロだし。
その他にも…
もういいです。今は宮沢賢治と宮崎駿の話なんですから。
宮沢賢治がメルクリン社の鉄道模型を使ったから…
宮崎駿はアウディ社の自動車を使ったのか…
なんてこった…
ほんと男子ってメカ好きよね。
じゃあ次、行きましょ。
次はカムパネルラの犬の話。
ちょっと待って。
ジョバンニの鉄道模型の話に、お母さんが「そうかねえ」と半信半疑な返事をした理由を、まだ解説してないでしょ?
えっ? やっぱりあれって何か意味があったの?
もちろん。
『銀河鉄道の夜』は何年もかけて推敲に推敲を重ねた作品よ。
無駄なことなど一切書かれていない。
すべての描写に何かしらの意味が隠されてるの。
ジョバンニが熱く鉄道模型を語ったのに、お母さんは半信半疑な返事をした…
ここにいったいどんな意味が?
『ヨハネ伝福音書』は、どこまで再現されていた?
えーと…
「カナの婚礼」があって「ローマに破壊される都の話」があって…
第2章が終わったところまでです。
じゃあ次は第3章だよね。
第3章といえば?
イエスの話を半信半疑で聞くニコデモ…
その通り。
ヨハネ第3章「イエスの話を半信半疑で聞くニコデモ」を、賢治は「ジョバンニの話を半信半疑で聞くお母さん」に置き換えたんだ。
イエスとニコデモの会話って、どんな話だったっけ?
こんな感じ。
ニコデモ「神が一緒でなければ、あなたが行ったような奇跡は誰にもできません」
イエス「誰でも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」
ニコデモ「人はもう一度、母の胎に入って生れることができましょうか?」
イエス「誰でも、水と霊とから生れなければ、神の国に入ることはできない」
水と霊とから生まれ… 神の国に入る…
森さん?
違いますよ!
「水と霊とから生れ、神の国に入る」とは、まさに蒸気機関のことであり、カムパネルラのことじゃないですか!
あっ、そっか。
そして『千と千尋の神隠し』が「胎内巡り」の物語になっていたのも、ここから来ている…
参道のトンネルとは「産道」のこと。
そしてイエスは続ける。
イエス「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。あなたがたは新しく生れなければならないと私が言ったからとて、不思議に思うには及ばない」
肉の世界にとどまっている者は、神の国へ行くことは出来ない…
神の国へ行くには、肉への執着を絶ち、霊に、つまりスピリットにならなければならないのじゃ…
だから『千と千尋の神隠し』の英語タイトルは『SPIRITED AWAY』なのね。
「spirit」になって「away」するってこと。
肉を絶って、清らかな霊に…
そういえば賢治は、肉食や肉欲など、肉のつくものを忌避していました…
だから『ヨハネ伝福音書』にシンパシーを感じたのかも…
そしてイエスは、ヨハネたちによる「あかし」の意味、救世主キリストの核心を説明する。
イエス「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」
ニコデモ「どうして、そんなことがあり得ましょうか」
イエス「そんなこともわからないのか? よくよく言っておく。私たちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたは私たちのあかしを受けいれない。私が地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。
わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか…
これはまさに『銀河鉄道の夜』そのものじゃないですか…
その通りです。
『銀河鉄道の夜』は、地上世界で語られることが、そのまま天上で銀河鉄道の旅として再現される物語。
地上での話、つまり神話や宗教を信じなければ、天上での話、つまり神の国も信じることは出来ない…
賢治はそれを伝えたかったわけです。
そしてイエスは、ニコデモとの会話を、こう締めくくる。
イエス「天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」
モーセが荒野でヘビを上げたように、人の子も上げられる?
まだ分かりませんか?
大切なものがすり替わったのに(笑)
え? ハク?
宮沢賢治だよ。
賢治は大切なものをすり替えたんだ…
「蛇」を「蝎(さそり)」に。
蛇をサソリに? どういうこと?
つづく
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