「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)完結篇㉔&読みたいことを、書けばいい。」(第250話)
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2020年 ✕月✕日
南の島
とある施設の中
本当のことを隠している?
そう。人間というのは本当のことを隠す。
大事なことほど隠すんだよね。己の姿を隠すカメレオンみたいに。
確かにそういう部分はあるかも。
そして人間は、立場や信条を曖昧にすることで世を渡っていく。
まるでコウモリみたいにね。
それも否定できないわ。
いちいち違いを指摘したり対立してたら疲れちゃうもんね。
だけど、いったい何の話をしているの?
何って「猿ヶ島」の話に決まってるじゃんか。
でも今、人間の話をしてたでしょ?
サルのことを説明するのは難しいんだよ。
サルのことはサル語じゃないと完璧には伝えられない。
彼らの言葉で「バイバイする」は何て言うか知ってる?「乾杯」は?
知らない…
でしょ? だから人間に喩えて話してるの。
なるほど、そういうことだったのね。
それにしても、言葉って面倒だよね。
いろいろ説明するのにホント骨が折れる。
そうね。言葉って難しい。
自分が見聞きしたことや感じたことを誰かに伝えるのって大変。いろいろ誤解されたりもするし。
というか、自分の中で正確に言葉に出来てるかどうかすらアヤシイかも…
だからそんな時、人は歌を歌うんだよ。
思いのすべてを歌にして。
歌にして?
歌にしだ、じゃないよ。
そんなこと言ってないけど。
ねえねえ。
そこのギター、使っていい?
ギター? いいけど…
君、ギター弾けるの?
言葉にするのは難しいから、歌にすることにした。
それじゃあ歌うよ。
よーく聴いてね…
びっくりした…
もしかして君、ミュージシャンだったんじゃない?
えへへ。そうかも。
確かに動物を人間に例えるとわかりやすいわね。
だけど「そっくりなサルが僕を指さしてる」って?
僕がサルたちを観察してたのかと思ったら、そうじゃなかったんだよね。
サルたちが僕を観察してたんだ。
猿ヶ島に迷い込んだ僕は、彼らのいい見世物だったんだよ。
なんだか、そんな映画あったわよね…
ジム・キャリーの映画で…
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』も、絵の下の方に舞台が描かれてるらしいよ。
あれは舞台の上で演じられてるお芝居のワンシーンを絵にしたものなんだってさ。
知ってた?
『The Last Supper』
Leonardo da Vinci
そうなんだ。知らなかったわ…
だけど… もしかしたら…
私たちも、そうなのかもしれないわよね…
ん?
だって、こう言うでしょ?
人生は、からくり、夢芝居…
セリフひとつ、忘れもしない、って…
ふーん。おもしろいこと言うね。
じゃあ、これも全部お芝居ってこと?
あの窓の向こうからお客さんたちが僕らを見てるってこと?
喩えよ、喩え。
いったい誰が筋書きを書いてるんだろう?
そうね。きっと神様かな(笑)
みんなの一生分のセリフが書いてあったら、すごい量になるよね。
77億人分、いや、人類誕生から全員の分だから、何百億人分の台本だ。
とてもじゃないけど、収めきれない…
もうその話は忘れて。
猿ヶ島で見たことの続きを聴かせてくれないかしら?
そっくりな猿が君のことを指さしていたんでしょ?
「そっくりな猿」って、どういうこと?
そうそう! あれには驚いたね。
ああいうのを「ビックリ ドッキリ」って言うんだろうな。
びっくり、どっきり?
2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
さあさあ。無駄話はこれくらいにしましょ。
『猿ヶ島』最大のトリックであるオチを解説してもらわなくちゃ。
よろしく、深読み探偵さん(笑)
ええ。わかりました…
「彼」が饒舌に語る人物評をうわの空で聴いていた「私」は、ぼんやりと「あるもの」を眺めていた…
この朗読動画では14分30秒あたりからの部分…
「私」が見ていたのは「二人の子供」でした。
先刻よりこの二人の子供は、島の外廓に築かれた胡麻石の塀からやっと顔だけを覗きこませ、むさぼるように島を眺めまわしているのだ。二人ながら男の子であろう。短い金髪が、朝風にぱさぱさ踊っている。ひとりは、そばかすで鼻がまっくろである。もうひとりの子は、桃の花のような頬をしている。
二人の子供?
それまで太宰は「彼」と「私」の周囲にいる人間たちを一人ずつ説明していたのに、なぜ急に「二人セット」で語ったのかしら?
簡単だよ。ちゃんと答えは書かれている。
その「二人の子供」は…
島の外廓に築かれた胡麻石の塀から、やっと顔を出していて…
ひとりはソバカスで鼻が黒くて…
もうひとりは「桃の花」のような頬をしていた…
これが答え?
そうだよ。
太宰はまたアンドレア・マンテーニャ『磔刑図』の説明をしているんだ。
「ふたりの子供」も、この絵の中にいる。
『Crucifixion』Andrea Mantegna
えっ?どこに?
島の外廓に築かれた胡麻石の塀から…
やっと顔をのぞかせてる二人がいるでしょ?
あっ!確かに!
深いところで左を向いてる人物は、鼻の周りが黒くなってます!
だけど、もうひとりの方の「桃の花」は?
全然「桃の花」じゃないでしょ。
「桃の花」というのはね…
「穴から出てくる」という意味なのよ(笑)
え?
啓蟄のことじゃ。
けいちつ?
「桃の花」は春の季語。特に「啓蟄」の頃を指す。
これは、二十四節気や、それをさらに三分割した七十二候から来ている。
二十四節気? 七十二候?
古の暦では、「桃始華」つまり「桃の花が咲き始める」季節を、「蟄虫啓戸」と呼んだ…
「地下に潜っていた生き物が地上に出てくる」季節という意味だね…
なるほど…
確かにもうひとりの方は、地下から地上に出て来ようとしています…
それを太宰は「啓蟄」と見て、「桃の花」と表現したのか…
なんと…
「二人の子供」は、ひそひそと何かを話し合っていた。
それを見た「私」は漠然とした不安に襲われ、「彼」にその意味を尋ねる…
私は彼のからだを両手でゆすぶって叫んだ。
「何を言っているのだ。教えて呉れ。あの子供たちは何を言っているのだ。」
彼はぎょっとしたらしく、ふっとおしゃべりを止し、私の顔と向うの子供たちとを見較べた。そうして、口をもぐもぐ動かしつつ暫く思いに沈んだのだ。私は彼のそういう困却にただならぬ気配を見てとったのである。
槍を片手に地中から出て来ようとしている男はロンギヌス…
イエスの脇腹を槍で刺したローマ兵…
そりゃあ「彼」としては気まずいわよね…
「もうしばらくしたら君は、あの桃の花の人に槍で刺されるんだ」なんて言えない…
だから「彼」は遠回しに言った…
彼は額に片手をあてたり尻を掻きむしったりしながら、ひどく躊躇をしていたが、やがて、口角に意地わるげな笑いをさえ含めてのろのろと言いだした。
「いつ来て見ても変らない、とほざいたのだよ。」
ロンギヌスは、最後にイエスの死を確認する役割…
だけどここは「マンテーニャの『磔刑図』の世界」なので、彼の出番は訪れない…
そういうこと。
そして「私」はすべてを悟る。
変らない。私には一切がわかった。私の疑惑が、まんまと的中していたのだ。変らない。これは批評の言葉である。見せ物は私たちなのだ。
イエスの十字架刑も「見せ物」だったわ…
多くの人々が熱狂し、見物していた…
そして「彼」は「木の札」について語る…
あの二人の子供がいる場所、石塀の向こう側からしか読めない「木の札」について…
「私」は何も答えず、黙って「木」に登った…
「あの石塀の上に細長い木の札が立てられているだろう? おれたちには裏の薄汚く赤ちゃけた木目だけを見せているが、あのおもてには、なんと書かれてあるか。人間たちはそれを読むのだよ。耳の光るのが日本の猿だ、と書かれてあるのさ。いや、もしかしたら、もっとひどい侮辱が書かれてあるのかも知れないよ。」
私は聞きたくもなかった。彼の腕からのがれ、枯木のもとへ飛んで行った。のぼった。
「木の札」には、とても侮辱的な文言が書かれているという…
さて、何て書かれていたのかしら?
INRI…
IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM…
ユダヤ人の王、ナザレのイエスです…
自分が誰なのかを理解した「私」は、木の上から「彼」に語りかける…
「みんな知らないのか。」
彼は私の顔を見ずに下から答えてよこした。
「知るものか。知っているのは、おそらく、おれと君とだけだよ。」
「なぜ逃げないのだ。」
「君は逃げるつもりか。」
「逃げる。」
青葉。砂利道。人の流れ。
「こわくないか。」
私はぐっと眼をつぶった。言っていけない言葉を彼は言ったのだ。
言ってはいけない言葉?「こわくないか」が?
どうして?
「こわくないか」は、駄洒落だ。
ダジャレ?
「怖くないか?」であると同時に…
「子は苦ないか?」でもある…
えっ?
イエスという存在は…
深淵なる「神の愛」を、人間たちにわかりやすく伝えるために…
父によって殺された子…
あっ… なるほど…
そして「私」は、またあの歌を聴く…
最初に木に登った時に聴いた、あの歌を…
ふぶきのこえ われをよぶ
とらわれの われをよぶ
いのちともしき われをよぶ
そして「私」は、なぜか遠くのほうから聞こえる「彼」の声を耳にしました…
「よせ、よせ。降りて来いよ。ここはいいところだよ。日が当るし、木があるし、水の音が聞えるし、それにだいいち、めしの心配がいらないのだよ。」
彼のそう呼ぶ声を遠くからのように聞いた。それからひくい笑い声も。
また「彼は笑った」わ。
父に生贄にされた子「イサク」のことを言ってる。
「めしの心配はいらない」は「メシアの心配はいらない」ね。
そしてクライマックス…
「私」は真実という誘惑に抗い、最後に、こう叫ぶ…
ああ。この誘惑は真実に似ている。あるいは真実かも知れぬ。私は心のなかで大きくよろめくものを覚えたのである。けれども、けれども血は、山で育った私の馬鹿な血は、やはり執拗に叫ぶのだ。
――否!
魅惑的だけど恐ろしい真実…
『ライフ・オブ・パイ』では、この「truth(真実)」を「tooth(歯)」のダジャレにしてました…
そしてパイも「NO!」と叫ぶ…
だけど「私」は「イエス」なんだから、最後は肯定の「YES!」のほうがビシッと決まらない?
なんで否定形の「否!」なの?
それがこの小説のオチなんだよ。
オチ?
あっ!わかりました!
「INRI」の文字が「INA!」に見えるから「否!」です!
確かにそう見えないこともない…
だけど、そうじゃないのよね。
と、言いますと?
太宰はこの物語にエピローグをつけているよね。
ええ。
『ライフ・オブ・パイ』のラストシーンそっくりなエピローグです。
一八九六年、六月のなかば、ロンドン博物館附属動物園の事務所に、日本猿の遁走が報ぜられた。行方が知れぬのである。しかも、一匹でなかった。二匹である。
1896年6月の半ば、ロンドン博物館附属動物園…
これって実話をもとにして書かれた小説なのかしら?
いや。すべて真っ赤な嘘だ。『ライフ・オブ・パイ』と同じようにね。
そもそも「ロンドン博物館附属動物園」なんてものは存在しない。
パイの実家として語られるインドの動物園と同じように…
じゃあ、なぜこんなフェイクニュースを?
もしかして、夏目漱石のことでしょうか?
確か丁度この頃、漱石は英国留学していて、ロンドンで暮らしていましたよね?
そして猛烈な神経衰弱に陥り、発狂説まで流れました…
遁走した猿は漱石ってこと?
漱石がイギリスに渡ったのは1900年。
確かに太宰は、同じように聖書が元ネタである漱石の『吾輩は猫である』を意識して『猿ヶ島』を書いているが、残念ながら少し時代が合っていない。
じゃあ、なぜ…
「ナンバーなる」じゃ。
ランバ・ラル?
まったく…
「ナンバーなる」の歌も知らんとは…
これだから場末のスナックは困る。
「ナンバーなる」の歌? 数字の歌ってこと?
アホか、と言いたいところじゃが…
微妙にかすってるから全否定もできん...
どういうこと?
うふふ…
わびぬれば
今はた同じナンバーなる
澪標(みおつくし)ても
あはむとぞおもふ
えっ?
どうしました? またトラが喋ったんですか?
うん… トラが歌った…
ナンバーが… 澪標だって…
は? 数字が澪標?
「難波」と「ナンバー」は、よく似てる…
難波? ナンバー? 澪標?
なぜ太宰は最後に「1896」というナンバーを出したと思う?
なぜ?
「1896」という数字の中に、何か秘密が隠されているということですか?
意味もなく出すわけ無いでしょ。
わざわざエピローグで、あんな具体的な数字を…
いったいどういうことなの?
「タネ明かし」は専門家にお任せしましょ。
それじゃあよろしく。深読み探偵さん(笑)
ええ。わかりました。
太宰が『猿ヶ島』を発表してから八十余年…
もう、すべてを明らかにしてもいいでしょう…
つづく
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