シン・日曜美術館『ボッカチオのデカメロン』ⅩⅦ
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1989年5月某日(日曜)
深読み探偵学校
ゴジラVS… ビオランテ?
新しいゴジラ映画には、巨大なバラの花の化け物が出て来るのですか?
ダンテも『神曲』天国篇で「究極の愛」の形態を、天に咲く「巨大なバラの花」だと説明しています。
『神曲』天国篇 第31曲 1~3節
クリストの己が血をもて新婦(はなよめ)となしたまへる聖軍は、かく純白の薔薇の形となりて我に現はれき
『The Empyrean(至高天)』
ギュスターブ・ドレ
あっ…
この2つの絵は、よく似ている…
白いバラを赤いバラに変えただけだ…
ということは、新ゴジラの「ビオランテ」は、神曲の「ベアトリーチェ」がモデルなのかな…
名前も何となく似てるし…
ですね…
沢口靖子演じる「白神英理加」は、死後に父の手でバラと一体化し「ビオランテ」になるのですが、その死は「24歳」という若さ…
「24歳」といえば…
至高天で神の力によって巨大バラと一体化するベアトリーチェ、つまりダンテ・アリギエーリが愛した女性ベアトリーチェ・ポルティナリが亡くなった年齢…
『Beata Beatrix』
Dante Gabriel Rossetti
そしてダンテが考えた「究極の愛」の形態とは…
天空のバラでもあり、神の子キリストそのものでもある…
白神英理加も、そんなふうに描かれます…
『神曲』天国篇 第三十二曲 85~87節
いざいとよくクリストに似たる顏をみよ、その輝のみ汝をしてクリストを見るをえしむればなり
なるほど…
つまり「白神英理加」の「白」は「白薔薇」の白…
そして「神英理加」は「神が英理を加えた」という意味…
「ELIか!」というツッコミかもしれんぞ…
エリか?
「神か!」だよ。「ELI」はヘブライ語で「神」という意味だ。
ああ。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」の「エリ」か。
まさに「名は体を表す」ですね…
しかし、それだけではありません。
え?
「ビオランテ」とは、『デカメロン』第99話の舞台Pavia(パヴィーア)に、深いゆかりのある女性の名前でもあるのです。
ちょうどボッカチオが『デカメロン』を書き終えた頃に生まれ、パヴィーアでボッカチオの盟友ペトラルカから英才教育を受け、数奇な運命に翻弄されながら若くして悲劇的な死を迎えた、ある女性の名前…
悲劇の女性ビオランテ?
その件については、また後程…
まずは『デカメロン』第99話の元ネタ「故郷から遠く離れた地で殉教して、肉体がサン・ピエトロ・イン・チェル・ドーロ教会に移されたボエティウス」が登場する『神曲』天国篇 第10曲「第四天 太陽天」について深読みしましょう。
クリス君、この「第四天国」は、ざっくり言うと、どんな内容ですか?
智を愛し、神に選ばれた12人の哲学者と神学者…
天才ダンテが尊敬する12人の聖なる賢者が、眩い光を放つ炎となって存在するところ…
その通り。
光の1つであるトマス・アクィナスが代表して、ダンテに「人類史上最も優れた12人の賢者」を紹介する場面ですね。
ちなみに、ボエティウスは何番目に登場しますか?
第8番目です。
ボエティウスは賢者ランキング第8位ってこと?
以外と低いんだな。
紹介される順番と知力の順位は関係ありません。
12人の中でナンバーワンの賢者は「第五の光」であり、それに次ぐ存在として紹介されるのが「第八の光」ことボエティウスですから。
クリス君、「第五の光」から「第八の光」までを読んでください…
はい…
La quinta luce, ch'è tra noi più bella,
spira di tale amor, che tutto 'l mondo
là giù ne gola di saper novella:
entro v'è l'alta mente u' sì profondo
saver fu messo, che, se 'l vero è vero,
a veder tanto non surse il secondo.
Appresso vedi il lume di quel cero
che giù in carne più a dentro vide
l'angelica natura e 'l ministero.
Ne l'altra piccioletta luce ride
quello avvocato de' tempi cristiani
del cui latino Augustin si provide.
Or se tu l'occhio de la mente trani
di luce in luce dietro a le mie lode,
già de l'ottava con sete rimani.
Per vedere ogne ben dentro vi gode
l'anima santa che 'l mondo fallace
fa manifesto a chi di lei ben ode.
Lo corpo ond' ella fu cacciata giace
giuso in Cieldauro; ed essa da martiro
e da essilio venne a questa pace.
何て言ってるの?
われらの中の最美物(いとうつくしきもの)なる第五の光は
下界こぞりてその消息(おとづれ)に餓るほどなる戀(こひ)より吹出づ…
そがなかにはいと深き知慧を受けたる尊き心あり
眞(しん)もし眞ならば、智においてこれと並ぶべき者興りしことなし…
またその傍(かたへ)なるかの蝋燭の光を見よ
こは肉體の中にありて、天使の性(さが)とその役(つとめ)とをいと深く見し者なりき…
次の小さき光の中には、己が書(ふみ)をアウグスティーンの用ゐに供へし
かの信仰の保護者ほゝゑむ…
さてわが讚詞(ほめことば)を逐ひて汝の心の目を光より光に移さば
汝はついに渇望せし第八の光を見る…
そがなかには、己が言(ことば)を善く聽く人に
虚僞(いつはり)の世を現はす聖なる魂、一切の善を見るによりて悦ぶ…
このものゝ追はれて出でし肉體はいまチェルダウロにあり
己は殉教と流鼠(りゆうそ)とよりこの平安に來れるなりき…
なるほど。第八の光ボエティウスは、やっぱり特別な存在だったんだね。
だけど第五の次が第八って?
ダンテは第六と第七を飛ばしてるじゃんか。
岡江君、ちゃんと聞いていたのか?
第六と第七の光はナンバリングされてないだけで、ちゃんと紹介されている。
「傍(かたへ)なるかの蝋燭の光」と「次の小さき光」で始まる部分だ。
あ、なるほど…
「第六・第七」という数字を言わないから、思わず早トチリしちゃった…
やれやれ。まったく君って奴は本当にそそっかしい…
だけど早トチリしたのは、岡江君だけではないのです。
はい?
そそっかしい人間というのは、いつの時代にもいるものです…
そしてそれは、ある種のネタにもなっていた…
ネタに?
この「早トチリ」をパロディにした有名な作品が日本にはあります。
何だか、わかりますか?
あの「早トチリ」をパロディに?
そんなものがあるのですか?
まったくもって初耳です…
そんなことないでしょう。あなたはよく知っているはずですよ。
自分でも言ってたじゃないですか…
僕が?
その「詩集」を…
いえ、その「心象スケッチ」を、夏休みの自由研究のテーマにすると…
心象スケッチ?
まさか宮澤賢治の『春と修羅』ですか?
ボッカチオが「俺の神曲」として『デカメロン』を書いたように…
宮沢賢治は「俺の神曲」として『春と修羅』を書いた…
早トチリしてしまいそうな「第四天国」は、『春と修羅』第63詩『第四梯形』として再現されています…
ん? この写真は?
あら。なぜこんなものが…
すみません、こちらでした。
そういえば『第四梯形』でも、ナンバリングされた形態が紹介されている途中に…
まさか、そんな…
その「まさか」です…
先ほどの「飛ばされた」ように聞こえる「第六・第七」を、賢治は「第四・第五」にしていましたね…
『第四梯形』
青い抱擁衝動や
明るい雨の中のみたされない唇が
きれいにそらに溶けてゆく
日本の九月の気圏です
そらは霜の織物をつくり
萱(かや)の穂の満潮
(三角山はひかりにかすれ)
あやしいそらのバリカンは
白い雲からおりて来て
早くも七つ森第一梯形の
松と雑木を刈りおとし
野原がうめばちさうや山羊の乳や
沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき
汽車の進行ははやくなり
ぬれた赤い崖や何かといつしよに
七つ森第二梯形の
新鮮な地被(ちひ)が刈り払はれ
手帳のやうに青い卓状台地テーブルランドは
まひるの夢をくすぼらし
ラテライトのひどい崖から
梯形第三のすさまじい羊歯や
こならやさるとりいばらが滑り
(おお第一の紺青の寂寥)
縮れて雲はぎらぎら光り
とんぼは萱の花のやうに飛んでゐる
(萱の穂は満潮
萱の穂は満潮)
一本さびしく赤く燃える栗の木から
七つ森の第四伯林青(べるりんせい)スロープは
やまなしの匂の雲に起伏し
すこし日射しのくらむひまに
そらのバリカンがそれを刈る
(腐植土のみちと天の石墨)
夜風太郎の配下と子孫とは
大きな帽子を風にうねらせ
落葉松のせはしい足なみを
しきりに馬を急がせるうちに
早くも第六梯形の暗いリパライトは
ハツクニーのやうに刈られてしまひ
ななめに琥珀の陽も射して
⦅たうとうぼくは一つ勘定をまちがへた
第四か第五かをうまくそらからごまかされた⦆
どうして決して そんなことはない
いまきらめきだすその真鍮の畑の一片から
明暗交錯のむかふにひそむものは
まさしく第七梯形の
雲に浮んだその最後のものだ
緑青を吐く松のむさくるしさと
ちぢれて悼む 雲の羊毛
(三角やまはひかりにかすれ)
なんてこった…
確かにこれは『神曲』天国篇「第四天国」だ…
「一つ勘定を間違えた、第四か第五をうまく誤魔化された」と賢治は言ってるけど、前に「七つ森の第四伯林青スロープ」ってのがあるじゃん。
何テンパってるんだろ。間違えたのは「第五」だけでしょ?
「梯形」とは「台形」のこと…
「スロープ」とは「斜路・傾斜」のことで「台形」ではない…
え?
つまり賢治が「飛ばした」ように聞こえる梯形は「第四」と「第五」の2つなのです…
そんな… 「第四」と数字を出してるのに、紛らわしい…
紛らわしいのもダンテの真似だ…
え?
尊き父の第四の族(やから)かゝる姿にてかしこにありき
父は氣息(いき)を嘘(ふ)く状(さま)と子を生むさまとを示しつゝ
絶えずこれを飽かしめ給ふ…
ダンテは「12人の賢者」を紹介する際に、彼らをまとめて「第四のやから」と呼ぶのです。
賢者のナンバリングと同じような言い方なので、ちょっと紛らわしいですよね。
確かに…
「第四の輩(やから)」みたいに聞こえるから紛らわしいな…
それにしても、なぜ宮沢賢治はダンテの『神曲』を?
そうか、わかったぞ…
「24歳」だ…
24歳?
賢治にとって最愛の女性だった妹トシは…
24歳で亡くなっている…
ええっ!?
賢治にとって妹トシは、ダンテにとってのベアトリーチェと同じような存在…
トシが二十四歳でこの世を去った時、賢治は不思議な感覚に陥ったでしょうね…
だから『春と修羅』には『神曲』の影響が色濃く見られるのです…
なんてこった…
なぜ今まで気づかなかったんだろう…
この僕としたことが…
『神曲』『春と修羅』そして『ゴジラVSビオランテ』…
この三作品のミューズは皆、24歳の若さで亡くなっている…
というか、なぜ『ゴジラVSビオランテ』が『神曲』を?
宮沢賢治とダンテなら同じ詩人ですし、性格や趣味嗜好も似てそうなので納得ですが、ゴジラはさすがに…
あなたたち、ゴジラを何だと思っているのですか?
へ? ゴジラですか?
確か、大量の放射能よって突然変異した太古の恐竜で、名前はゴリラとクジラを合わせたもの…
いや、そうじゃない。「ゴジラ」は英語で「GOD+ZILLA」と書く。
つまり「神+クジラ」だ…
それは後のアメリカ公開時に考案されたタイトルだから、後付けじゃない?
確か「ゴリラ+クジラ」だったよ。
映画会社の東宝に「クジラ」が大好物で「ゴリラ」のような容貌をしている人がいて、その人のあだ名が「グジラ」だったからアレンジして「ゴジラ」にしたと何かの本で読んだもん。
やれやれ。お話になりませんね。
そんな「誘導」を真に受けているとは…
誘導?
ダンテやボッカチオをはじめ、数多くの芸術家にとてつもない影響を与えたボエティウスの『哲学の慰め』へ行く前に、「ゴジラ」について簡単に話しておきましょうか…
「ゴジラ」と『神曲』、そして『春と修羅』との深すぎる関係を…
つづく
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