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第354話 深読み『千と千尋の神隠し』vol.54「銀河鉄道の夜㉟賢者ナータンⅤ~ボッカッチョのデカメロン~」
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
サラディンの妹シッタは、悩める兄に入れ知恵する。
賢者ナータンに質問して答えさせよ…
ユダヤ教・イスラム教・キリスト教、この3つの教えのうち、本当の教えはどれか選べと…
この中から本当の教えを言い当てろってこと?
湯婆婆が千尋に出した質問「この中からお前の親を言い当てろ」みたいだわ。
その通り。宮崎駿は『賢者ナータン』のバージョンを選んだ。
バージョン? どういう意味?
宮崎駿は『銀河鉄道の夜』の宮沢賢治を踏襲したんだよ。
もちろん、『デカメロン』のバージョンを選んだ『クラバート』と差別化したかったこともあるだろう…
デカメロン?
深代ママ…
「デカメロン」とはジョヴァンニ・ボッカッチョの作品『DECAMERON』のことですよ…
冗談だってば、ジョー。それくらい知ってるって。
中世の女子会っていうか、超エロい、ぶっちゃけトークで盛り上がる物語でしょ?
映画化されたやつを観に行ったわ。シネマカリテで。
それにしても、この邦題、ちょっと酷過ぎませんか?
なぜ『The Little Hours』が『天使たちのビッチ・ナイト』に…
というか、そもそもなぜ『デカメロン』が『The Little Hours』になったのかも謎ですが…
「Little Hours」とは、敬虔なクリスチャンが毎日欠かさず行う「おつとめ」のこと。
賛美歌やダビデの『詩篇』を朗唱して祈りを捧げる時間だ。
おつとめ?
つまり、日課として行わなければならない「おつとめ」と、毎日やりたくて我慢できない「おつとめ」とのダブルミーニングなのですか?
そんな罰当たりな!
愚か者めが。
愛の歓喜「エクスタシー」とは、元々は哲学・宗教用語じゃ。
え?
かのソクラテスやプラトンも言っておる。
世界の本質を体感するためにはエクスタシーが必要じゃと。
そうなんですか?
『デカメロン』では、聖職者や女性たちが「おつとめ」の時間に、別の「おつとめ」をする話がたくさん語られる。
しかもそれは悪事や堕落としてではなく、生の喜び、人間の権利として肯定的に描かれるんだね。
『デカメロン』が書かれたのは、ペスト禍で大勢の人々が亡くなり、ヨーロッパ全体が絶望に打ちひしがれていた頃…
つまりボッカチオは、登場人物に生々しい話をさせることで、人々の生きる力、免疫力を向上させ、世の中を再び元気にしようとしたわけだ。
なるほど…
野坂昭如の『エロ事師たち』みたいなものね…
だけどやっぱりエロって隠すものなのでは…
千尋の「エロ」も隠されましたし…
まだあなたくらいの年じゃわからないかもね。
人間にとって「エロ」がどれくらい重要なことなのか。
そうなのかなあ…
悩め、青年!
みーんな悩んで大きくなった!
何の話をしてるんですか…
ところで『デカメロン』って、なぜ男3人と女7人なのかしら?
『デカメロン』
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
は?
だって、3対7って超バランス悪くない?
3対4で男女7人ならわかるんだけど。
うふふ。男女7人は恋愛ドラマの黄金比ね。
今野良介!Yes or No!
明石家さんまは今井良介でしょ。
『デカメロン』の男女比率は、キリスト教神学の数秘術によるものとされているけど、おそらくギリシャ神話から取られたものだろう。
前に『ヨブ記』と『地上の星』について深読みした時、ギリシャの詩人ヘーシオドスが書いた『仕事と日(労働と日々)』を紹介したけど、覚えてるかな?
その日その日に何をすべきか、星や星座を絡めながら書かれた詩集だったわね。
ヘーシオドスは、春の嵐の時期の過ごし方について、こう書いていた。
プレイアデスがオーリーオーンと共に
深い霧の奥に潜り、激しい風が荒れ狂うなら
汝の船を暗紅色の海に出してはならぬ
しかし我が言のとおり忘れずに地を耕すのだ
プレイアデスの乙女たちと、彼女らに付きまとうオリオンが、深い霧の奥に姿を消してしまう…
たとえ外の世界で嵐が吹き荒れていたとしても、大地を、つまり畑を耕すことを忘れてはならないと…
「大地」は「女性・母」の象徴…
「畑を耕す」は「子作り」の隠語でもある…
ペスト禍で避難した貴婦人が「畑を耕す話」に没頭する…
まさにプレイアデスの乙女たち…
だから「7人の貴婦人」なんだよ。
彼女たちのモデルはプレイアデスの7姉妹だから。
『プレイアデスの七姉妹』
エリュー・ヴェッダー
そしてプレイアデスの七姉妹にくっついて潜伏するオリオンが「3人の貴公子」になった…
もうわかるわよね?
オリオン座のシンボルは、オリオンのベルト…
3つの星…
ボッカッチョは「聖と性」が表裏一体で描かれるギリシャ神話が大好きだから、プレイアデスとオリオンを基に『デカメロン』の男女比率を決めたのだろう。
なんだか、プレイアデスの乙女たちに向けてマゼラン星雲の白濁液を発射させた宮沢賢治みたい…
古今東西、詩人や芸術家にとって「ラブ」と「エロス」は最大のテーマだから。
そして『デカメロン』というタイトルも、男女10人と同じように「十」を意味している。
「デカ(十)」の「メロン(日)」で「十日間」という意味だね。
十人が一日にそれぞれ一話ずつ、つまり一日十話を十日間くりかえすわけだ。
だけどなぜボッカチオは「10x10」の100話構成にしたのかしら?
ダンテ・アリギエーリの『神曲』を意識したと言われていますよね。
地獄篇、煉獄篇、天国篇が、それぞれ34歌、33歌、33歌の計100歌で構成されているからと。
そうだね。『デカメロン』には『Prince Galehaut(ガレオット公爵)』という副題がついている。
これはダンテも『神曲』で取り上げた人物で、アーサー王の妻を愛してしまった騎士ランスロットを助ける「友情話」で有名…
ちなみにガレオットのランスロットに対する友情は、はたから見るとほとんど恋愛に近いもので、まるで恋人同士のようだった…
お互いを「恋人」と呼び合っていた学生時代の賢治と保阪嘉内みたいだわ。
あと『デカメロン』は、『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』を意識したとも言われていますね。
『千夜一夜物語』に対抗するなら「10人x100日+1話」じゃないの?
確かにそうですが、さすがに100日間も籠ってエロ話をするのは…
『千夜一夜物語』は「全1001話」ではないんだよ。
えっ?そうなの?
『千夜一夜物語』というタイトルは、ちょっとした誤解から生まれたもの…
元々はアラビア語で『千の夜の物語』というタイトルだった…
千の夜? 全1000話だったってこと?
ここでの「千」というのは「たくさん・無数」という意味。
『千の風になって』と同じ「千」ね。
だけどサラディンがアイユーブ朝を興した12世紀後半あたりから、なぜか『千と一夜の物語』というタイトルのものが出回るようになっていた。
この誤題バージョンを十字軍がヨーロッパに持ち帰り、西洋人は「全1001話」の物語だと勘違いしたわけ。
そうなんだ…
まあ確かに1000話もあったら読むほうも大変よね…
では『デカメロン』の話に戻ろう。
レッシングの『賢者ナータン』で語られる「3つの指輪」の寓話は、『デカメロン』第1日目の第3話をアレンジしたものになっている。
つまり、レッシング版「3つの指輪」を読み解くためには、まずボッカッチョ版「3つの指輪」をしっかり押さえておく必要があるということだ。
そんなに内容が違うの?
大枠はよく似ている。
まず、エジプトのファーティマ朝を倒し、アイユーブ朝を打ち立てたサラディンが登場する。
イスラム世界の太守、最高指導者スルタンまで上り詰めたサラディンだったが、財政的には火の車で、軍資金は底をついていた。
金の切れ目は縁の切れ目の諺の通り、このままでは軍も民も忠誠心が下がってしまい、反旗を翻す者も現れる…
支払日が間近に迫り、サラディンは追い詰められた。
レッシング版とまったく同じですね。
その時サラディンは、ひとりの男の存在を思い出す。
その男の名はメルキゼデク…
ユダヤ人の商人でアレクサンドリアに住んでいた…
メルキゼデク? ボッカチオ版は「ナータン」じゃないのね。
しかも舞台がエルサレムではない…
エジプト北部、地中海沿岸にあるアレクサンドリア…
そう。ボッカッチョ版「3つの指輪」の舞台はエルサレムではない。
サラディンが聞いた噂では、アレクサンドリアの商人メルキゼデクは高利貸しをしているが、とてもケチで簡単には貸してくれないという。
頭を下げたり力づくで借りるのはプライドが許さないので、サラディンは一計を講じる。
いわば合法的にメルキゼデクを罠にハメて、手も名声を汚さずに資産を巻き上げようと考えたんだ。
この流れは同じ。レッシング版は妹シッタ姫の入れ知恵だったけど。
メルキゼデクを呼び出したサラディンは、こんな質問をする。
「多くの者たちが、お前を賢者だと噂している。そこで教えてほしいことがあるのだ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、この3つのうち、どれが本当の教えなのか?」
この中から本物を選べ…
出された問いも同じですね。
この質問を聞いたメルキゼデクは直感した。
質問の回答に誤れば、ただでは済まないだろうと…
隣にいるサラディンに悟られぬよう頭をフル回転させたメルキゼデクは、ついに答える方法を思いつく。
それが「3つの指輪」の寓話だった。
とっても大事な話だから、全文よーく読んでみて。
「陛下、私が頂戴した質問は、すばらしくて意味深いものです。それについて私の回答をお求めですが、私としましてはぜひ、小さなお話をこれから披露させていただきたいと思います。私は何度も聞いたことがある話なのですが。昔、金持ちで身分の高い人がおりました。選りすぐりの宝石を宝物として持っていたのですが、なかでも格別に美しくて高価なひとつの指輪を大事にしていました。その指輪の価値と美しさゆえにその指輪に敬意を払い、その指輪を永遠に自分の子孫のものにしておくため、彼はこんな指図をしました。自分の息子たちのうち、この指輪を父から譲られた者は、この指輪を示して、われこそは父の相続人であり、残りのすべての息子たちより権利をもつ者として尊敬されるべきである、と。その指輪を最初に受け取った息子は、自分の子どもたちにも同じような指図をして、父親のやったことにならったのです。要するにその指輪は、手から手へ、何代にもわたって、子孫に引き継がれていきました。そうやって、とうとうその指輪が、3人の息子の父親の手にわたったわけですが、3人の息子はみんなそろって、美しく、徳もあり、父親には絶対服従をしていたので、3人とも父親から同じように優しく愛されていました。そして指輪の由来を知った3人の若者は、誰もが、指輪を譲り受ける権利を手にしたいと願っていたので、すでに年老いた父親に、めいめい、指輪は自分に遺してもらい たいと切望したのです。人の好い父親は、3人の息子を同じように愛していたので、どの息子を選べばいいのか、自分で決めることができず、どの息子にも指輪を与えると約束してしまっていたので、3人ともを満足させる手口はないものか、思案しました。その結果、父親はこっそり腕のいい宝石職人の親方に、別に指輪を2つ作ってもらったのです。その2つの指輪は、最初の指輪ととてもよく似ていたので、注文した父親自身、どれが本物の指輪なのか、ほとんど見分けることができませんでした。父親が死の床に就いたとき、3人の息子をひとりずつこっそり呼んで、指輪をひとつずつ渡しました。父親の死後、3人の息子はそれぞれが自分に相続権と優先権があると主張したのです。誰もが、他の2人の権利を否定して、自分の権利を証明するため、自分の持っている指輪を示したのです。ところが3つの指輪はおたがいにとてもよく似ていたので、どれが本物の指輪なのか、誰ひとりとして見分けることができず、3人の息子のうち誰が父親の本当の相続人なのか、という問題は決着がつかず、今日でもそのままなのです。というわけで、陛下。陛下は3つの宗教についておたずねになりましたが、父なる神が3つの民族にあたえた3つの宗教について 私としましては、同じように答えたいと思います。どの民族も、それぞれの遺産をもち、それぞれ本物の宗教をもち、それぞれの掟をもっていると思っており、それらを守っているわけです。どの宗教が本物であるか。その問題は、指輪の問題と同じように、まだ決着がついておりません」
これを聞いたサラディンは、メルキゼデクが罠を見抜いて答えたことに心から感服する…
「答えはない」という答えですね。
『千と千尋の神隠し』と同じじゃないですか。
てゆうか、全然「下ネタ」じゃないし。
『デカメロン』って、こういうエログロナンセンス無しの真面目な話もあったんだ。
それが、そうじゃないのよね(笑)
は?
ボッカッチョを甘く見てはいけない。
この寓話には、とんでもないトリックが隠されている。
トリック?
よく考えてみてほしい。
「寓話」というのは、伝えたいことを直接表現せず、間接的に伝えるための手法、作者が本当に伝えたいことを隠すための「隠れ蓑」だ。
つまり「寓話」として語られること「そのもの」には特に意味はない。
レッシングの『賢者ナータン』もそうだったよね?
レッシングは神学論を語ることを禁じられたため、自分が言いたいことを戯曲という形の壮大な寓話の中に落とし込んだわけだ。
なるほど、確かにそうです…
つまりボッカッチョは、何か別のことを伝えるために「3つの指輪の寓話」を語らせたと?
その通り。
実はサラディンの問いに、ちゃんと答えを示しているんだよ。
3つの教えの中で、どれが「正解」なのかを…
ええっ?
つづく
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