第330話 深読み『千と千尋の神隠し』vol.29「銀河鉄道の夜⑫カムパネルラの犬」
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
では、引き続き第三幕「家」を見て行こう…
次は「カムパネルラの犬」の話だ…
ジョバンニは、夕方は活版印刷所で働き、早朝は新聞配達をしていた…
「いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつでも家中まだしぃんとしているからな。」
「早いからねえ。」
「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで箒(ほうき)のようだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっと町の角までついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜(からすうり)のあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ。」
「そうだ。今晩は銀河のお祭だねえ。」
「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ。」
「ああ行っておいで。川へははいらないでね。」
「ああぼく岸から見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ。」
尻尾がまるでホウキのような犬? 何それ?
「おおいぬ座」のことでしょうか?
「シリ」ウスですし。
なるほど。また駄洒落か。
うふふ(笑)
だけど、それなら「尻(しり)が臼(うす)みたいな犬」じゃない?
そう言われれば確かに…
尻が臼みたいな犬って、どんな犬よ?
いったい「尻尾がホウキみたいな犬」とは…
よく考えろ。
その犬の名前は「ザウエル」じゃ。
え?
そしてジョバンニは、こんなことを言う。
カラスウリのあかりを川へ流しに行くカムパネルラに「ザウエル」もついて来るはずだと。
それも何か関係あるの?
だって、おかしいと思わない?
第四幕「ケンタウル祭の夜」でジョバンニは、川へ行く途中のカムパネラを目撃する…
だけどそこに「ザウエル」の姿はなかった。
あっ、確かに犬はいなかったわ…
そして最後の川のシーンでも、ジョバンニは「ザウエル」を見ていない…
賢治は何のために「ザウエルは川へついて行く」なんて言わせたのかしら?
むむむ… これはミステリーです…
もしや、ジョバンニの妄想が生み出した犬なのでは?
は? 妄想の犬?
そもそも「ザウエル」なんて犬は存在しないんです…
カムパネルラとザウエルが一緒のところをジョバンニが見ていないというのは、そういうことなのでは…
もしかして「犬」は「居ぬ」の駄洒落ってこと?
「ザウエル」は妄想ではない。ちゃんと「居た」んだよ。
え?
確かにあの夜、ジョバンニは「ザウエル」を見ていない。
しかしジョバンニが言った通り、「ザウエル」はカムパネルラと一緒に川にいた。
犬は居たのに姿が見えなかった?
ど、どういうことですか!?
わかった!またいつもの駄洒落よ!
「犬」は英語で「DOG」!つまり「GOD」のこと!
「神」はカムパネルラだったよね?
「ザウエル」は「犬」であって「神」ではない。
「ザウエル」は「新聞」配達に行った「ジョバンニ」の後をついて来る、と賢治は書いている。
人なつっこい犬なんでしょ?
なぜこれを「人に懐いている」と決めつける?
賢治は銀河鉄道のシーンで「箒星(ほうきぼし)」を登場させ、その声が「ギーギーフー、ギーギーフー」だと説明したんだよ。
ギーギーフー?
これが人に懐いている犬の出す音だろうか?
普通なら「くうん、くうん」だよね?
何なの「ギーギーフー」って?
岐阜?
うふふ(笑)
「ギーギーフー」の元ネタは、賢治が以前書いた童話『双子の星』…
彗星が発する音で、これを聴くと弱い星たちは、怖くなって逃げ出した…
「さあ、発つぞ。ギイギイギイフウ。ギイギイフウ。」
実に彗星は空のくじらです。弱い星はあちこち逃げまわりました。
それじゃあ「ザウエル」がジョバンニの「あとをついてきた」というのは、興奮しながら、しつこく追いかけてきたってこと?
その通り。
ジョバンニが「新聞」を配達していたから、「犬」は追いかけてきたんだよ。
新聞を配達してたから追いかけられた?
ジョバンニは、なんかヤバい新聞を配ってたの?
その「新聞」は当時、危険思想と見做されておった…
社会に重大な悪影響を与えるものとして、体制側はずっとマークしとったんじゃ…
だから「犬」は、「新聞」を配達する「ジョバンニ」に、しくこくついてきた…
何だろう?
何かの「喩え」のようにも聞こえますが…
そんなことはどうでもいいのよ。
なぜあの日ジョバンニは「ザウエル」の姿を見なかったの?
「川へ行くカムパネルラについて行く」と賢治は書いていたのに。
賢治は、ちょっとしたトリックを使った。
わずかな時間のズレを使ったトリックなんだ。
時間のズレ?
「犬のザウエル」と「ジョバンニ」が会わなかったのは…
タイミングの問題に過ぎない…
タイミング?
まず川へ行く時のシーン。
実はこの時「ザウエル」は、カムパネルラと一緒ではなかった。
「ザウエル」とカムパネルラは、別々に川へ行ったんだ。
だからジョバンニは「ザウエル」の姿を見ることはなかったんだね。
そうなんですか?
そして、川でカムパネルラが亡くなるシーン。
ジョバンニは、なぜかカムパネルラの死を確認せずに、家へ帰ってしまった。
心から愛していた親友が大変なことになっているというのに、お母さんのことを思い出して、あっさりとその場を去ってしまうんだ。
実はその時「ザウエル」は、川に落ちたカムパネルラのそばにいた。
「ザウエル」はカムパネルラの死の瞬間に立ち会っていたんだね。
だからジョバンニは「ザウエル」を見ることがなかったんだよ…
何それ?
まるで、見て来たようなことを言って…
講釈師 見てきたような 嘘をつき(笑)
だけど、これは本当のこと。
これが事件の真相なの。
いったいこれはどういうことなのでしょう…
皆目、見当がつきません…
いったい何なのよ「犬のザウエル」って?
賢治は何が言いたかったわけ?
「ザウエル」といえば、ドイツの老舗銃メーカー…
これですよね?
サワー?
レモンサワーとか梅サワーとか葡萄サワーのサワー?
居酒屋のチューハイじゃないんですから。
しかし、さすがに銃は『銀河鉄道の夜』と関係ありませんね…
「ザウエル」がドイツ語だということだけはわかりましたが。
なぜ賢治は犬の名前をドイツ語にしたの?
ジョバンニとかカムパネルラとかザネリはイタリア語なのに。
確かに…
もしや何か意味があるのでは…
ちなみに「ザウエル」は「sauer」と書きます…
「ザウエル」よりも「ザウワー」に近いわね。
賢治が生きていた時代の有名なピアニストの名前ね。
あのフランツ・リストの弟子だった Emil von Sauer(エミール・フォン・ザウワー)…
あっ、この人のこと知ってる。
昔テレビで見たわ。確か『驚き ももの木 20世紀』…
悲劇の女性ピアニスト久野久(くの ひさ)が弟子入りした偉い先生だったはず…
久野久は渡欧前、日本女子大学で音楽教授をしていた…
女学生たちに西洋音楽の基礎、クラシック音楽や宗教音楽の構造なんかを教えていたのよね…
渡欧前に行われた日本ツアーも、日本女子大学と全国の卒業生たちの尽力で開催されたの…
それがどうかしたのですか?
1922年11月に最愛の妹トシを亡くした賢治は、それからしばらくのあいだ、深い悲しみの中にあった…
そして、トシの死から2年半後、1925年の春、賢治は久野久の死を知る…
久野久はウィーン近郊の湯治場にあるホテルの上層階から転落死した…
遺書を残していなかったことから、当時は事故だったとか自殺だったとか情報が錯綜したの…
ちなみに久野久が身を投げた日は4月20日…
久が音楽教授を務めていた日本女子大学の創立記念日じゃった…
これ、関係ある話?
久の死は、彼女をサポートしてきた日本女子大学の同窓生や父兄、そして日本の音楽愛好家たちに大きな衝撃を与えた…
翌年の1926年、久の追悼盤が発売されると、賢治は購入し、これを愛聴盤とする…
ベートーヴェンのピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27-2 幻想曲風ソナタ、通称『月光』…
そして賢治は、以前から書き進めていた『銀河鉄道の夜』の内容を変更し、カムパネルラが川に身を投げたという設定にした…
確かに興味深い話ですが…
この話は「カムパネルラの犬ザウエル」とは関係ないように思えます…
そうよ。
新聞を配達していたジョバンニを追いかけ、川ではジョバンニと入れ違いになった犬「ザウエル」とは、いったい何だったの?
簡単なことさ。
「ザウエル」とは「ローマの官憲・兵卒」だ。
は?
そもそもドイツ語の「sauer」という名前の意味は「サワー」…
つまり「酸っぱい」という意味だよ。
酸っぱい?
ああっ! 酸っぱい葡萄酒だ!
米津玄師?
違います!
十字架で息絶える直前のイエスにローマ兵が差し出した「酸っぱい葡萄酒」ですよ!
『酸っぱい葡萄酒』
フィリップ・メドハースト
この時、現場にいたローマ兵は、イエスが「わたしは渇く」と言ったので、喉が渇いたのかと勘違いした…
そして、スポンジに酸っぱい葡萄酒を浸し、それを長い竿につけてイエスの口元へ差し出す…
これを受けてイエスは「終わった」とつぶやき、息絶えた…
『ヨハネ伝福音書』第19章の第28~30節に描かれる有名なシーンですね。
28 斯(かく)てイエス諸(すべて)の事の已(すで)に竟(をはれ)るをしり 聖書に應(かなは)せん爲(ため)に 我(われ)渇(かわく)といへり
29 此(この)處(ところ)に醋(す)の滿(みち)たる器皿(うつは)ありしかば 兵卒(へいそつ)ども海絨(うみわた)を醋(す)に漬(ひた)し 牛膝草(ヒソプ)に朿(つけ)て其(その)口に予(あた)ふ
30 イエス 醋(す)を受(うけ)し後(のち)いひけるは 事(こと)竟(をはり)ぬ 首(かうべ)を俯(たれ)て 靈(れい)を付(わた)せり
「ザウエル」の尻尾が「箒(ほうき)みたいだった」というのは…
竿に付けたスポンジのことだったのか…
「竿に付けたスポンジ」は「モップ」みたいなもの…
それを賢治は、似たような掃除道具である「ホウキ」にすり替えた…
そして「ジョバンニ」が「ザウエル」と入れ違いになった理由も、ここから導き出せます。
「酸っぱい葡萄酒」が差し出される直前、イエスは、母マリアと愛する弟子ヨハネに、それぞれこう伝えた…
母マリアには「ヨハネはあなたの子」と…
愛する弟子ヨハネには「マリアはあなたの母」と…
そして、それを聞いたヨハネは、マリアを連れて家に帰る…
25 偖(さて)イエスの母と母の姉妹 およびクロパの妻のマリア 並(また)マグダラのマリア その十字架の旁(かたはら)に立(たて)り
26 イエス 母と愛する所(ところ)の弟子と旁に立るを見て母に曰(いひ)けるは 婦(をんな)よ 此(これ)なんぢの子なり
27 また弟子に曰けるは 此なんぢの母なり 是時(このとき)その弟子かれを己(おのれ)の家に携往(つれゆけ)り
『ヨハネ伝福音書』では、イエスの母マリアと福音記者ヨハネが、イエスの死を見届けない…
「酸っぱい葡萄酒」が差し出される直前に、帰宅してしまうのよね…
だから賢治も、それに倣って「ザウエル」と「ジョバンニ」を会わせなかった…
これが「ジョバンニが事件現場で見ることのなかった犬ザウエル」の真相だ。
なんてこった…
マジでヤバ過ぎる…
賢治はここまで計算して書いていたの?
もちろんだとも。
足かけ8年にもわたって推敲を重ねた作品だからね。
恐ろしいほど作り込まれている。
それじゃあ第四幕「ケンタウル祭の夜」に行きましょ。
まだまだ先は長いわ(笑)
つづく
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