「ドストエフスキー 地下室の手記⑦ わたしが・棄てた・女」『深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)& 読みたいことを、書けばいい。』
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2019年9月19日 夜
スナックふかよみ
ふぅ。読み終わりました…
あたしも終わった。
うちらも。
どうだったかしら?
何か気になった点は?
確かに『地下室の手記』は『ヨハネによる福音書』です。
『ヨハネによる福音書』は大きく分けて、第11章までの「イエスの伝道生活」と、第12章からの「エルサレム入城後」の前後編に分けられます。
『地下室の手記』は、この構成を踏襲していたのですね…
もしかしてさ…
「第二部」のタイトル「ベタ雪の連想から」って、『ヨハネによる福音書』第12章の冒頭に出てくる「ベタニア」のことじゃないの?
12:1
過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
ロシア人のドストエフスキーが、なんで日本語のダジャレ使うのよ!
いくらなんでもありえないでしょ!
確かに、そうね…
深読みし過ぎて、こじつけちゃった…
他にも気になった点は?
ゲー!
芸?
芸じゃなくてゲー!
「ゲーそこのけの絵」ってのが「第一部」の第6章に出て来たでしょ?
「ゲーそこのけの絵」って何よ?
あっ! それ、私も気になった。
ゲーって、この絵で有名な人ですよね?
『真理とは何か?(ピラトとキリスト)』
ニコライ・ゲー
この絵のピラトの髪型って、確か『スリー・ビルボード』のディクソン巡査のモデルになったのよね。
そうね。
だけどドストエフスキーが言ったのは、これじゃない。
ゲーがあの絵を描いたのは1890年。
ドストエフスキーが『地下室の手記』を書いたのは1863年。
つまり「ゲーそこのけの絵」は「別の絵」のこと。
別の絵?
ドストエフスキーが、サンクトペテルブルグで『地下室の手記』を書いていた1863年…
街は「この絵」の話題でもちきりだった…
若くしてロシア帝国芸術アカデミーの教授になったゲーが描いた『最後の晩餐』の話題で…
『最後の晩餐』ニコライ・ゲー
最後の晩餐?
1863年でしょ? なんで今さらって感じじゃない?
この絵、なんだかモヤっとする…
影になっててよくわからないけど、みんな何を見て驚いてるの?
イエスだけ疲れた表情で不機嫌なのも変です。
だけど騒がれるほどの絵でもないわよね。
確かにうまいけど、技法も題材も古臭い。
1863年のペテルブルグ市民は、いったいこの絵の何が面白かったの?
とあるライターが、イエスの「モデル」になった人物に気付いたんだよ。
イエスのモデルになった人物?
この絵のイエスは…
「アレクサンドル・ゲルツェン」がモデルだったんだ…
誰?
アレクサンドル・ゲルツェンは、19世紀ロシアを代表する思想家…
社会主義者で革命家だ。
1847年にロシアを出国し、1870年にパリで亡くなるまで、ずっとロンドンやジュネーブで亡命生活を送っていた。
若き日のゲーはゲルツェンに興味を抱き、彼の肖像画を描きたいと願い、手紙を書いた。
しかしゲルツェンはロンドンで亡命生活の身。
ゲルツェンはロシアへ行けないし、ゲーもロンドンまで行くことは出来ない。
そこでゲルツェンはゲーに「あるもの」を送る。
それは、当時最新技術だった写真機で撮られた自分の写真…
ゲーは届いた「ゲルツェンの写真」をもとに絵を描いた…
それが『最後の晩餐』だ。
しかしなぜ『最後の晩餐』なのですか?
当時ゲルツェンは、ロシアの知識階級の中でも、ヨーロッパの革命家たちの間でも、理解されずに浮いていたんだ…
あの絵でゲーは、当時のゲルツェンの想いを代弁したんだよ…
訴えていることを弟子たちに正しく理解されなかったイエスに重ね合わせることで…
なるほど…
社会主義者や革命家は、人々を長年にわたって精神的に隷属化させてきたキリスト教会を批判し、否定していた…
そして無神論を唱えていたの…
そんな人物を、イエスのモデルにしたんだから、そりゃ大騒ぎよね。
しかもあの絵は、時のロシア皇帝アレクサンドル2世が、一目惚れして購入していたんだ。
まさかイエスのモデルが、ロシアの農奴解放・社会主義革命を目指していたゲルツェンだとは夢にも知らず…
それは大スキャンダルだわ…
ドストエフスキーが言及したのも納得。
ちなみにアレクサンドル・ゲルツェンは、舞台劇『The Coast of Utopia(ザ・コースト・オブ・ユートピア)』の主人公にもなったの。
『VOYAGE(船出)』、『SHIPWRECK(難破)』、『SALVAGE(漂着)』の三部、全9時間の超大作。
ブロードウェイでも大ヒットして、2007年の第61回トニー賞で10部門にノミネートされ、作品賞を含む7部門受賞という新記録を作ったわ。
あ、これ知ってる。
Bunkamuraで、蜷川幸雄演出、阿部寛主演でやってたわ。
あたし、観に行こうか悩んだのよね。
すごいメンバーですね。
でしょ?だけど上映時間が9時間って聞いて挫折したの。
やっぱり行けばよかった。
まあとにかく、これで「ゲーそこのけの絵」が、無神論者ゲルツェンをモデルにした『最後の晩餐』だったことがわかってもらえたと思う。
他に気になった点はなかったかな?
はーい!
「第二部」に出て来た友人たちの名前が気になりましたー!
名前?
「シーモノフ」は下ネタの「シモ」
「ズヴェルコフ」は「すべる」
「フェルフィーチキン」は「チキン(臆病者)」
だからドストエフスキーはロシア人ですので日本語のダジャレは…
あ、そうだった。メンゴメンゴ。
そういえば…
彼らが「最後の晩餐」をしたカフェ・レストランの名前…
確か「オテル・ド・パリ(ホテル・パリ)」だったわよね…
あっ!そうでした!
小説や歌に出てくる「Paris(パリ)」は「Palestine(パレスチナ)」の法則!
その通り。
『ライフ・オブ・パイ』でも使われた古典的ネタだ。
「行ったら人生観の変わる、言葉に出来ないくらい素晴らしいパリのプール」とは「パレスチナのプール」…
つまり、イエスがヨハネから洗礼を受けた「ヨルダン川のプール」のことだった。
カズオ・イシグロも『夜想曲集』で使ったネタね…
『パリの四月』は、パレスチナの四月…
イエス・キリストの贖いと復活を祝った歌…
あたし、この歌、大好き。
みんなで聴きましょ。
これは…
エイミー・ワインハウスのお父さんですね…
この歌のコンセプトにぴったりでしょ?
それにミュージックビデオのドラマも面白い。
赤いドレスの女には「イエス」が投影されているし、バックの風車で十字架を表してる(笑)
まさに「パレスチナの四月」を描いたMVだったのね。
じゃあ「第二部」のヒロイン「リーザ」が「イエス」ということですか?
その通り。
だから「わたし」の前に再び姿を現したんだ。
そして消えた。
イエスが投影された売春婦…
その女に対して「わたし」は優越感と嫌悪感が入り混じった感情を抱き、ひどい仕打ちをする…
女と再会した「わたし」は、狼狽のあまり再びひどい仕打ちをしてしまい、女は「わたし」の前から姿を消す…
そして、見下していた女の純粋さに「わたし」は打ちのめされそうになり、精一杯強がってみせる…
良ちゃん。それって、どこかで聞き覚えのあるストーリーだわ。
ケツヤもそう思う?
何だったかしら…
遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』よ。
ドストエフスキーの『地下室の手記』が元ネタなの。
ああっ!
マジで?
小説『わたしが・棄てた・女』は、手記の筆者である「吉岡努」が書いた『ぼくの手記』と、薄幸の女「森田ミツ」視点で語られる『手首のあざ』、この2つの物語が重なり合って出来ている。
これは、手記の筆者「わたし」が自身を語った『地下の世界』と、薄幸の女「リーザ」との邂逅を描いた『ベタ雪の連想から』、この2つの物語が重なり合って出来ているドストエフスキー『地下室の手記』と全く同じ構造…
「森田ミツ」はイエス・キリスト…
「森」も「田」も「十字架」を表している…
「ミツ」は「三」であり「光」ね…
では、手記の筆者「吉岡努」は…
イエスが愛しておられた弟子、福音記者ヨハネ…
その通り。
最後に吉岡努と一緒になる「三浦マリ子」は、聖母マリアだ。
だから森田ミツは、二人が一緒になることを願って、自ら身を引いた。
イエスが母マリアを使徒ヨハネに託して死んでいったように…
あ、なるほど…
小説の冒頭で、吉岡は金さんのもとで「エノケン公演」のチラシ配布のバイトをする。
そしてこう尋ねるの。
「本当にエノケンがやって来るんですか?」
金さんは答えた。
「エノケンだとは言っていない。エノケソだ」
このジョークの意味、わかるかしら?
エノケンとエノケソのジョーク?
字が似てるけど別人ってこと?
これは『ヨハネによる福音書』の冒頭のパロディなんだ。
荒野で人を集めていた洗礼者ヨハネと、それを怪しんだパリサイ人の間でこんな会話が交わされる。
パ「あなたはどなたですか?」
ヨ「わたしはキリストではない」
パ「それでは、あなたはエリヤですか?」
ヨ「そうではない」
パ「じゃあ、あの預言者ですか?」
ヨ「ちがう」
『わたしが・棄てた・女』も『地下室の手記』同様に『ヨハネによる福音書』の再現になっているんだよね。
まあ…
そして『ライフ・オブ・パイ』も、このアイデアを踏襲した。
映画版では諸事情によりアレンジされてしまっているけど、小説版ではほぼ完璧に再現されている。
だから映画版のパイは『地下室の手記』を読んでいたんだ。小説版に敬意を表するためにね。
あの短いシーンに、ここまで意味が込められていたとは…
アン・リー監督、おそるべし…
これでやっと『ライフ・オブ・パイ』の続きに戻れるわね。
次はパイが彼女と出会うところ…
あれ? 誰か来たみたいです…
カランカラン♫
(ドアの開く音)
・・・・・
つづく
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