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日本に1度も住んだことはないけど、日本が大好き:継承される人(子)の視点

 

パリに住むシマさんは、パリ生まれのパリ育ち


「45年前に両親が仕事を探しに日本からパリへ来て、その3年後に私が生まれました。(1979年生まれ)幼稚園からずっとフランスの学校に行っていて、日本語は週1回、塾みたいなところに行ってました。」

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お母さんとシマさん

やらなきゃいけないこと

その、週に1回通っていた塾について聞いてみると、1980年代らしさが感じられる。

「かたくなくてタバコ吸いながら教えてる先生で、なんというか、ヒッピーみたいな人でした。日本人会の小さな部屋でやっていました。一応、教科書とか読んでましたけど、適当にやってましたね。(笑)」
家では日本語を喋っていたけれど簡単な日常会話レベルだったので、きちんと日本語を習ったのはその塾でだけだった。でも、塾の思い出は、というと、「辛かったです。楽しくなくて苦痛でした。」「どうしてやらなきゃいけないんだろうと思っていました。どうして友達はみんな遊びに行っているのに、私だけ塾に行かなきゃいけないのって思っていました。」
まだ子供だったシマさん自身に目的があったわけでもなく、両親から説明や説得があったわけでもなく、あまり納得しないで行っていた。けれども、辞めたいと言い出したことはなく、17歳くらいまで通い続けた。自分の中のどこかで、「やらなきゃいけないことなんじゃないかな、と思ってたんだと思う」と説明してくれた。

ワクワクする一時帰国

ラーメンが大好きというシマさん。日本のことを語るとき、彼女にとって日本がとても大切な存在だということが強く伝わってくる。

「(子供の頃、日本へ帰るのは)すっごく楽しみでした。もう大好きでした。飛行場に着くと、もう、こう、うわっと気持ちが高ぶるのを今でも覚えています。成田空港に『ようこそ』って書いてありますよね、あれを見ると『うれしい!楽しい!』って気持ちになってた思い出があります。子供にとって楽しいですよね。日本って。なんでも子供に好かれるようになっているというか。デザインとか。食べ物とか。」

自分の日常と全く違う世界を体験できる楽しみと同時に、シマさんには家族や親戚以外にも、日本で必ず会いたい人たちがいる。

「私もずっとパリで育って、日本には住んだことないです。(2年毎に)夏休みに帰ってただけで、学校には行ったことがないです、日本では。でも、日本へ夏休みに帰って、地元の友達、近所の子供達と遊んで、今でも(その人たちと)友達で、それがすごくもうありがたいと思いますね。やっぱり今でも日本に帰ると、その子達とずっと楽しい時間を過ごせて、その子達の子供と、わたしの息子達が遊ぶことができて。やっぱりそういう縁ってすごく大切だなと思っています。」

友達に出会ったのは、6、7歳の頃。大人になってもこの友達に会うために、1人で「帰国」し続け、自分の家族ができた今は、みんなを日本へ連れていくモチベーションになっている。

「日本に行って友達、友達関係で日本語を上達するのが1番いい、楽しくてためになる習い方だなと思っています。」

家族

シマさん自身の家族は、フランス人の夫と6歳と3歳の息子の4人構成。シマさんのご両親は今でもパリに住み、よく子供たちのベビーシッターをしてくれているとのこと。子供たちには最初はできるだけ日本語で語りかけるよう「がんばっていた」けれども、フランス語でどんどん返してくるようになり、話す内容も複雑になってくるとシマさんもフランス語の方が多くなってしまう。

「子供がまだ小さかった頃はできるだけ日本語だけで話しかけていたんですけど、だんだん早くなってきて、話す内容も変わってきて、これは続けられるかな、無理だな、と思いながらついつい楽なフランス語になっていってしまっている。」「最近はすっかりフランス語が多くなっちゃって、ヤバイなと思っています。気をつけないと。」

シマさんにとって1番楽に自分を表現できる言語(第1言語)はフランス語。それでも彼女は、子供たちに最低限レベルの日本語力を身につけて欲しいと思い、日本へ帰った時には幼稚園へ体験入園させてみたり、パリでも日本語の塾に通わせている。なぜ、そこまで日本語にこだわるのだろう、と聞いてみると、
「やっぱり半分日本人だし。大切だと思う。」「もしいつか日本で勉強したいとか住みたいとか、何か経験したいときにあまり苦労しないためのレベルくらい(身に付けて欲しい)。それだけですね。どうして教えてくれなかったの、やらなかったのって言われたくない。ま、大きくなって日本で、1人で、やっていけるくらいのレベルになれたらいいなって思っています。」

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パリで七五三の着物を着て記念撮影

日本人らしさ

シマさん自身は、大人になって日本語を使う機会がほとんどないというけれど、一方で、フランスにいると自分の日本人らしさをよく感じるという。

「フランスにいるとすごく日本人だなって思って、日本に行くと、わっ、なんてフランス人なんだろうって思います。笑(フランスでは)みんな思ったことをすぐ言って、会話ってディベートみたいになりますよね。はいはいって聞いてると、あまり会話にならない。そういう時に、あぁ日本とは違うな、って思います。(自分は、そういう時)ちょっと引いた感じですね。そこまで熱くディベートできないですね。」「フランスのラテン系と日本人と、全然違いますよね。フランス人は結構何でもズバズバはっきりいうタイプで、日本人は反対に言わなさすぎて、そこを読まなきゃいけないっていう、その差がすごいですね。その差がすごく極端で面白いです。」

学生の頃にアルバイトで日本から出張などで来た人のガイドや通訳をやってみて特に感じた人との接し方の違い。でも、日本の友達とは「違い」を感じことはない。

フランスにおける日本や日本人に対する偏見や好意度は、シマさんが子供の頃と今とではだいぶ様子が違う。

「自分が子供だった頃は、まだ東洋人も珍しかったので、(人前で日本語をしゃべるのは)ちょっと恥ずかしかったこともあったと思う。(周りの反応は)半々だったと思います。学校で日本に興味を持ってくれる子と、差別する子と半々でした。あの時代は。今だと、すごく日本文化が人気で。私の子供達は、その日本とフランスとのダブルカルチャーを持っていることを
周りからもとてもポジティブなイメージで見られている。私の時代は、アジア人?日本人、中国人もみんな一緒って感じでしたから。私が子供だった頃は、もう日本ってどこですか?って感じだし、『お寿司?えー、生のお魚食べてるの?』ってみんな友達がびっくりしてるような、そういう時代でした。小学校の頃までそうでしたね。中高になると友達も、日本のことをもう少し知るようになって興味深く質問されてましたけど。今の子達は普通によく知ってますよね。アニメとかお寿司とかも大好きだし、だから時代がすごく変わりました。」

パリの日常生活では、日本語で話す機会も読み書きを練習する機会も、すっかりなくなってしまったシマさんにとって、日本へ行って日本語だけの世界に浸ることは日本語力をキープするため、そして、自分の中の「日本人」をリフレッシュするためにも、とても大切なこと。

「(日本語力を保つための)努力をあまりしなかったというか。だから日本に帰ることは私にとってすごく大切。日本に帰って、日本の友達と日本語でしゃべって、というのが。それが1番簡単にできること。だから、今のこのコロナの状況は残念ですよね。去年も帰れず、今年もどうかわからないし。すごく大切な1年なのに、悔しいですね。」


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*このインタビューは、2020年度東芝国際交流財団助成プログラムの日本語教育を振興する事業として支援を受け実現したプロジェクトです。



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