オカダオカダ

中学校国語科教師です。37歳。 教育・政治・経済など情報収集/教育&読書はインプットを…

オカダオカダ

中学校国語科教師です。37歳。 教育・政治・経済など情報収集/教育&読書はインプットを充実させるためにアウトプット/生まれた地域や環境によって不利益を被らない教育/ここから1年以内にキャリアの大三角形の2歩目を形にする!

最近の記事

視座を変える

会社の軽ワゴンを運転するのは楽しい。いつも乗っている営業車よりも座席の位置が高く、窓も大きいため視界が広い。隣を走る車よりを見下ろしているような感覚で、何だか気分が良い。 そうやって運転しながら、これって仕事をする上でも、人生においても大事なことやなって思った。 たまに視点を変えて見ると、今まで気付けなかったことに気付けることがある。道端に咲くタンポポや新しくオープンした喫茶店、新発売のお弁当や美人な店員さん。 Mr.Childrenの「彩り」という歌に、 「僕のした単

    • 1万時間の法則

      「1万時間の法則」というものがある。 一流として成功するためには、約1万時間が必要だというものだ。 一日3時間練習したとしたら、約10年で1万時間。10年続けるとそれなりの結果につながるというのは、感覚的に理解しやすいのではないか。 小学校6年間、中学校3年間の義務教育9年間も、授業時数の合計が約1万時間である。 では、義務教育9年間を経て子どもたちはどんな力を身につけ、どんな人間になっていくのか。 義務教育の9年間で身につけるべき「基本」は何か、社会に出る準備として

      • 答えのない問いをひたすらに考える

        疑うことなく真っ直ぐに進める人が羨ましい。そんな強さに憧れるし、そんな人になりたかった。 自分が信じる「正しさ」を軸に持ち、誰に何と言われようともブレない強さ。 教師として憧れた先生たちは、みんなそういう強さを持っていたように思う。 いつかそんな教師になりたいと思っていたけれど、教職15年目を迎えた今もそうなれていない自分がいる。 人の話は姿勢を正して聞かなければいけないよ。 忘れ物をしたら授業の前に言いに来るんだよ。 真っ直ぐ手を挙げて前の人の頭に合わせて整列するん

        • 隣の芝生は青く見える

          「あの時◯◯していれば・・・」「違う選択をしていれば・・・」と過去を悔やんでしまうことがある。 後悔してもどうしようもないことは、36年間も生きていれば嫌というほどよく分かっているのに。 それでも、どうしようもなく現実に嫌気がさした時、違う選択をした未来を想像してしまう。 そして、過去の自分を恨み、変えられない現実を前に打ちひしがれていく。 でも、たった一度きりの人生。そうやっていつまでも過去に囚われていては勿体無いとも思う。 あの時違う道を選んでいたら、今の現実は

        視座を変える

          AIvs

          岡田斗司夫さんの動画で「ホワイト革命」なる言葉を耳にしたことがある。 SNSなどを通じてすべてが可視化される社会では、誰もが「ホワイト」でないと許されない社会になるという趣旨の話だったように記憶している。 これから先、ビッグデータの活用が進めばその傾向は更に顕著になっていくだろう。 ちょっとした視線や手の動き、一挙手一投足から自分が分析され、完全に解読されてしまう時代がすぐそこまできている。 世間一般で認められない思考や指向を持っている人は、SNSで徹底的に叩かれ、生

          今を生きる

          小学生の頃、NHKで甲子園を見るのが大好きだった。 最高だったのは、松坂世代が集った1998年夏の大会。準々決勝明徳義塾戦の大逆転劇、準決勝PL学園戦の死闘、決勝京都成章戦でのノーヒットノーラン。漫画よりも漫画な展開に、毎日ワクワクドキドキしながらTVの前に齧り付いていた。 彼らはみんな「今」を生きていた。「今」を懸命に生きていた。 だから、あんなにも輝いて見えたのだと思う。 そんな輝いている彼らと自分を比べてしまうと、なんでこんなに自分ってダメなんだろうと思う。幼い頃に

          タスクを書き出すという単純なタスク

          仕事上では、タスクを書き出して終わったら消していく、ということをしている。終わるたびに小さな達成感を得られるし、何より「なんだっけ?」と考える無駄な時間をカットできるのが良い。 これは、私生活でもやった方が良いのだということを、最近ネット上の記事を読んで知った。 実際にやってみると、思った以上に良い。元来面倒くさがりで出不精な私は、予定が入っていることに窮屈さを感じてしまうような人間なのだが、タスクを書き出すことで休日がすごく充実するような気がする。 「洗濯物畳まなきゃ

          タスクを書き出すという単純なタスク

          仕事ができる人になりたいと思った

          仕事のコツはなんといっても、「仕事ができる人」の真似をすることに尽きると思う。その人のことを観察し、近くで話を聞き、考え方を知り、とにかく徹底的にマネをする。 私は中学校教員として働いているが、「仕事ができる」と感じる人には大きく2種類いる。 ①机の上が常に整頓されており、計画的に先を見通した仕事の進め方ができる人 ②トラブルが発生した時に的確で臨機応変な対応ができる人 ②は経験を積まないとなかなか身につかないことかもしれないが、①は意識と習慣で身につくスキルだと思う。

          仕事ができる人になりたいと思った

          哲学的なことを考えてしまう最近の自分

          私たちは誰もが「色眼鏡」をかけて物事を見ている。自分というフィルターを通して世界を見ている。 自分から見たものが必ずしも正しいとも限らない。思い込みや偏見で誤った見方をしてしまった経験が、誰でにもあるのではないだろうか。 だからこそ、人生においては人との関わりが大切なんだと思う。人との関わりの中で、自分一人では得られなかった多様なものの見方を獲得できる。「自分はこう思ったけど、あなたはどう思う?」というやりとりの中で、自分とは異なる視点から見た物事の捉え方ができるようにな

          哲学的なことを考えてしまう最近の自分

          人が亡くなる時に後悔することリスト

          Xを眺めていると、「人が亡くなる時に後悔することリスト」が流れてきた。 ドキッとした。 数年前「明日死ぬかもよ」という本を読んで感銘を受け、自分の考え方や行動を変えていこうと決意したことを思い出したからだ。 くさりかけたみかんのようにふにゃふにゃな自分の意志の弱さを呪いつつ、かつてと同じように死を目前に控えた将来の自分をイメージする。 「リスクを恐れず何でも挑戦すればよかった」「他人の目を気にしすぎなければよかった」 心が痛い。 絶対に自分も後悔するだろうことだ。

          人が亡くなる時に後悔することリスト

          ゆりやんの情熱大陸

          「自分に似ているところがある!」と感じる人と、「自分とは全然違う!」と感じる人のどちらに魅力を感じることが多いだろう? 私は、「自分とは全然違う!」と感じる人に惹かれることが多い。 ここ最近でいうと、「情熱大陸」でのゆりやんレトリィバァ。密着を受けている彼女をよく見てみると、ナダルの顔が無数に載っている服を着ている。しかも、何の説明もない。なんて斬新なボケなんだろう。一気に彼女のことを好きになった。 自分にはない発想、自分にはない才能、自分にはない感覚。そういうものを感

          ゆりやんの情熱大陸

          本音を話す

          人に本音を話すのが苦手だ。 自分が相手にどう思われているかが気になるし、 相手が求める答えを出そうとばかりしてしまう。 せめて匿名で発信しようとしているこのnoteへの投稿くらい、自分の本音を話せるようにしたいと思ってはいるのだが・・・。 どうしてもカッコつけた言葉を使ったり、よく思われたいと想ったりしてしまう自分がいる。30歳も過ぎて、こんなことで悩んでいること自体恥ずかしくなってしまうが、それが自分なのだから仕方がない。 自分を変えたいと思えば行動を変えるしかなく、

          教育は強制?

          「守・破・離」という言葉がある。 何事も基本が大切で最初が肝心だ、というのは中学校教員として働く上で実感していることでもある。 「黄金の3日間」と呼ばれる新年度の始めに学級としての型を作り、行事においてはまず教師のリーダーシップのもと雰囲気作りを行い、成功体験を積ませることで成長を促す。 初任者の時に教わったことでもあり、経験を重ねる中で「学級づくり」で大切にしてきたことでもある。 一方で、本当にこれで良いのか?という疑念も生まれてくる。「個別最適な学び」「自由進度学習

          もし、何回でも生まれ変われるとしたら・・・?

          数年前、あるアンケート結果が全国的に話題に上ったことがありました。それは、中学校2年生に対して「死んだ人が生き返ると思いますか?」という質問をした結果、18%程度の生徒が「はい」と答えたというものです。生死に関わる現場に直面することが少なくなった現代の日本。テレビやゲームに囲まれて育った子どもたちは、本気で人が生き返ると思っているのだろうか?と世間で騒がれました。 中学生と日常的に接している立場から言わせてもらえば、命の大切さを理解できていない生徒はいません。誰もが命は大切

          もし、何回でも生まれ変われるとしたら・・・?

          36歳の夢

          教員になって10年が経過し、それなりに経験を積んできたという自負がある。それでも未だにうまくいかないことが多いし、学級経営や生徒指導で悩むことは日常茶飯事。毎学期の学校評価や毎月の生活アンケートの結果を読んで落ち込むことも多い。 毎日の仕事に忙殺され、一日一日を乗り越えることが精一杯の時期もある。ただ、教員という仕事の良さの一つは「夏休み」などの長期休みがあること。 今は冬休み真っ最中で、心にも少しゆとりがある。そんな今だからこそ、「叶えたい夢」について考えてみたい。

          教員という職業

          自分の身の周りの5人が自分を作っていると言われる。生まれたときから人は親や兄弟、友達の影響を受けて生きている。 教員という職業は、そんな「5人」に含まれる可能性がある職業である。 「◯◯先生に憧れて先生になりました!」という話もよく聞く。それだけ影響力の大きい職業なのだ。 ある意味でそれがこの仕事のやりがいでもあり、プレッシャー・精神的負担でもある。 生徒は先生を選べない。できることなら、生徒にとって「良い影響を与える存在」でありたいと思う。 これが自分が「成長した

          教員という職業