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「無目的なインプット」の重要性について気付かされた話。
たまたま目にした記事に「インプット」と「アウトプット」について書かれていた。
結論から先に言えば「無目的なインプットをやってこなかった人は、肝心カナメの時期にアウトプットできなくなる」という話です。(略)
「人生全体で見てみれば、アウトプットの量とインプットの量は同じである」ということです。アウトプットする人はインプットしているし、インプットしていない人は、どこかで枯れる」ということで、実にシンプルな法則。
私の周りには常に「インプット」をしている人が何人かいる。
その人たちから、いろんなセミナーや講座を受けた話を聞くたびに「え?また新しいの受けたの?もう良くない?」なんて思ったり、時には実際に言ってしまったりする。
というのも、私はどちらかというと、いま必要だと思ったものを必要な時にだけ学びに行くタイプだから。
たとえば私の場合だと、カメラを始めてから「こういう技術が欲しい」と思ったら、それに特化した講座を受ける。
「もう少し集客をしたい」と思ったら、それに必要な講座を受けるか、ネットで学ぶか本で学んだりする。
とにかく「いま本当に必要なものだけ」をピンポイントで学ぶ、つまりインプットする感じで「なんか面白そう」では、まず動かない。
そして最近は「特に学びたいことはないから」とインプットすらしていなかった。
また必要になったら学べばいい。
その時がきたら。
それでいいと思っていた。
この記事を読むまでは。
いざ、他者からアウトプットを求められる時期になって、その人らしいユニークな知的アウトプットを生み出せるかどうかは、この無節操なインプットの蓄積によると考えれば、若い時の無目的で無節操な勉強こそ、継続的に知的生産力を維持するために重要だ、ということになるんじゃないか、と。
大変だ。
このままでは、いざという時に何も生み出せない…!
私はもうすでに若くないので「若い時の無目的なインプット」は無理なのだけれど、でも「必要な時に必要なものを」じゃなくて、常に何かしらをインプットすることは大事なのかもしれない。
60歳の70歳の80歳の私から見たら、48歳の私はまだ若い。
その日のために、無目的なインプットをしていこうと思った。
今すぐ何かの役に立たなくても、もっと無駄に見えたり無関係なものでも、少しでも「面白そう」と思ったら学んでみてもいいのかもしれない。
とはいえ、アウトプットしないと爆発しそうだし、もともとアウトプットがすごく苦手だから、このnoteを上手にアウトプットの場所に使えたらいいな。
学んだことはここに、そっと並べていこう。
さて。
ひとまず何から学ぼうかな。
まずは積読になってる本から読むかな。
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