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日記・雑感

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どうでもいい日々の雑感
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2020年3月の記事一覧

Self-Portrait N°263290。

ある日、Facebookで知らない人から友達申請が来た。イスラエルの子だった。知らない子だったけれど、絵を勉強していて、日本のアニメが好きで、自分でもいろいろ描いているようだった。なんとなく仲良くなり、ときどきチャットで話をした。その後、ニューヨークに渡り、個展を開き、素敵な人と結婚した。 彼女がイスラエルにいる頃に、私のポートレイトを描いて送ってくれた。SNSの写真で書いたみたという。絵の良しあしはわからないが嬉しかった。 さて、コンピューターはポートレイトを描いてくれ

Stay at home。表情の動的キャプチャー

Zoomのようなリモート会議を「敷居が高い」と思ってしまう人は少なくない。試してみる前から、ITへのこれまでの苦手意識も相まって、「だって、なんだか難しそうだし・・・」という感想を抱いてしまうのだ。 だから「楽しそうかも」と思ってもらうことはとても大事。始めてZoomを使う人がいたら、「女優ライトを使うといいですよ~」と、どうでもいい話をしたり、必要もないのに被り物をしたりする。MoD(Management of Dodemoii)は、ITの導入において極めて重要な概念なの

テレワークのコツ

時節柄、しばらくは完全テレワークになる。3月も数えるほどしか事務所に行かなかった。すでに事務所に行くことがいわゆる「オフ会」状態だ。 問題は通勤時に歩いていた1万歩が50歩/日レベルまで激減してしまったこと。このままでいけば、それでなくても池中玄太を大幅に超えてしまっている体重が爆発的に増加してしまう。 テレワークのコツはリズムだ。チームでそれなりにリズムを合わせることが大切だ。リズムは自律的なもので構わない。 朝の定時にチームで音声も併用して挨拶をし、このあと何をする

夏目漱石の俳句

夏目漱石の俳句は、妙に人をくったようなものがある。その反面、心の底からの実感にあふれているものがある。 前者の典型はこれだろう。 「みんながめでたい、めでたいと煩いが、別にただの一日だろう。昨日も一日、明日も一日。だからなんだというのだ、っけ」という正月に寄せるひねくれた気持ちで満ち溢れている。 そのうえで、嬉しい気持ち、楽しい気持ち、悲しい気持ち、苦しい気持ちからからは独立した存在でありたいという願望、世間の喧騒を少しうらやましく遠くから眺めてしまう自分、そしてその矛

卒業するって本当ですか

子どもが学校を卒業し、4月から就職する。新入社員も10人ほどのこじんまりとした会社なので、入社式は特に延期もせず、ただ、初出社する日の出社時間は少し遅らせて10時からとのことだ。 10年前は12歳。小学校を卒業した日がついこの間のようで、不思議だ。 なんて言っていたのに。心を込めて彼の幸せを祈る  幸~せを~ ルッルル~ルッルル~ルルルルッル~♪

下妻物語が好きだ

映画『下妻物語』が好きだ。世の中の流れだと『翔んで埼玉』なのだろうが、私は『下妻物語』が好きだ。 冒頭、やっぱり牛久あたりだと大仏は外せないし、そこをきっちりと押さえているのがいい。筑波山もばっちり映っている。 カーディガンと言ったら常にピンク色しか買わなかったドロシーだが、『主人公はロリータ・ファッションで君もなの? ああ、でも君が好きなのはゴシック調かなぁ?』と尋ねたら、『えっへん、あたしが好きなのはビクトリア調』という返事が戻ってきた。 違いがわからないよ。それに

ミームとは複製されていく習慣や文化的な情報

お願いだから、納豆には砂糖を入れないでほしい。『砂糖の入った納豆っておいしいよね』って、子供に繰り返し同意を求めないでほしい。お正月に、おじいちゃん、おばーちゃん、おばさん、カミさん、みんなで楽しそうに砂糖入り納豆を食べないでほしい。 初めてドーキンスのミームの話を聞いたとき、『げ、トンデモ?』と思ったものだ。いまでも「何でもミーム」みたいに言われると、ちょっと疑問を感じる。 ただ身近に、『お煎餅を吸いながら食べるという家族』や『納豆に砂糖を入れるという家族』の強い世代間

小松左京の時代

「日本沈没」(復興五輪)、「復活の日」(新型コロナ)、「首都消失」(ロックダウン)か。まるで小松左京3部作だ。 神戸の震災のとき、神戸にいた。そしてそのとき改めて「日本沈没」を読み直した。小説に描かれた都市型の直下型地震の被害の記述は神戸のそれに恐ろしいほど比例しているようだった。 今回の新型コロナウィルスの一連の時間の中で「復活の日」を読み直した。ウィルスによって疲れ果てた医師の独白、人々が死に絶えてしまった春の風景。最初の長編だから「日本沈没」に比べると少し記述が青臭

記憶されるものの未来

体験は社会が記憶として保有する社会的資本だ。25年前の地震もそうだった。あの日を境にいろいろなものが変わった。東北の地震が若い人と社会に与えた影響も少なくはないが、1995年には現在のさまざまな事象の起点があり、20世紀と21世紀との間の変曲点がある。 2020年も同じように記憶されるのだろうか。街が封鎖され、地下鉄や飛行機が止まり、街の賑わいが消えたあの日として。 1995年の地下鉄サリンによるテロ事件が、もし機関銃によるテロであれば人々はもっと強く現実を認識し衝撃を受

祝祭とは寿ぐもの

もしパラリンピックが1年もしくは2年延期されたら、それは日本でパラスポーツをさらに普及されるためのキャンペーンの時間がそれだけ増えることを意味する。それだっていいじゃないかと思うんだ。 オリンピックだって、選手団の受け入れに備えていた各地の自治体は、延期によってそれだけ長くその国と交流できるようになる。「大変だよね。でも頑張ろうね」という交流が世界とつながるきっかけになる。それはその地域にとって、より長く学ぶ機会になるんじゃないのかな。 アスリートファーストっていうけれど

幸せのハードルは低く

好きな言葉は《幸せのハードルは低く》。100%や12%を目指すことは大事だけれど、必ずしも簡単ではないし、肩の力を抜くことも同じくらい大切ではないかと思ってる。 あるとき、同じことを話したら、「あたしは《幸せのハードルは高ければ高いほどいい》かなぁ~」と言われた。「だって、その方がくぐりやすいでしょ。」 おっしゃる通りです。 それにしても、私たちはなぜ一生懸命にやろうと思ってしまうのか。 それは職業倫理だったり、責任感だったり、目標やビジョンだったり、いろいろだと思う。

変化の予兆:テレダイニング

チャットを使った飲み会のようなものを初めて体験してから既に四半世紀が経つ。けれど、テレダイニングはやったことがなかった。 なるほどなぁ~。面白い取り組みかもしれない。今度、Zoomを使って試してみよう。

変化の予兆:新型コロナは日本人の働き方を変えるか

変化について考えるとき、問いは漠然とした変化の境界を明確にしてくれる。『新型コロナは日本人の働き方を変えるか』も良い問いだと思う 問いのきっかけは下記の『新型コロナで広がるオープンソース運動は日本人の働き方を変えるか』だ。 オープンデータやオープンソースのあり方は、行政の分野ではずっと「必要」「大事」「重要」とずっと言われてきた。しかし、変化はなかなか生まれなかった。記事はそこに変化が起こりつつあることを伝えている。 福祉・介護の分野もそうかもしれない。福祉・介護という

子どもにつくれる社会科マップ

オープンデータで遊ぼう。自分たちで社会科の地図帳を作ってしまおう。 2012年6月、日本のオープンデータに関する取り組みとしても、ごく初期の頃といえるワークショップが国際大学GLOCOMで開催された。オープンデータを用いたアイディアソン・ハッカソンだ。 そのアイディアの根本は、「オープンデータを子どもたちに開放しよう!」というものだ。 イメージは、学校で使う地図帳だ。そして地図帳のいろいろな地図を、大人が用意したものではなく、自分たちで作ってしまおうというアイディアだ。