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祝祭とは寿ぐもの

もしパラリンピックが1年もしくは2年延期されたら、それは日本でパラスポーツをさらに普及されるためのキャンペーンの時間がそれだけ増えることを意味する。それだっていいじゃないかと思うんだ。

オリンピックだって、選手団の受け入れに備えていた各地の自治体は、延期によってそれだけ長くその国と交流できるようになる。「大変だよね。でも頑張ろうね」という交流が世界とつながるきっかけになる。それはその地域にとって、より長く学ぶ機会になるんじゃないのかな。

アスリートファーストっていうけれど、そこだけかなと思うんだ。それだけではアスリートを中心とするエゴの世界ではないのかなぁ?

聖火の受け入れの報道をみて、寂しいなと思ったんだ。形式的だなと。沿道の人に応援されない聖火ランナーって、いったい何を象徴したいのかと。

祝祭というのはやっぱりみんなで寿ぐものだと思うんだよね。

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