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日記・雑感

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どうでもいい日々の雑感
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ロウバイ

冬の花ロウバイがクスノキ目ロウバイ科ロウバイ属に属するとは知らなかった。クスノキの花をみた記憶がないから、クスノキとロウバイが結びつかないのはロウバイ側の問題ではなく、私の側の問題だ。 ロウバイは花が特徴的なので葉っぱの印象がない。クスノキのように良い匂いがするのだろうか。冬の花の季節にだけ「ああ、こんなところにロウバイが・・・」と思う。私にとってはそんな木だ。 冬の季語ロウバイを見ることなく、その年の冬が終わるときもある。少し寂しい。 ロウバイが終われば、もう春だ。

記憶

もうずいぶんと経ってしまった。 1995年1月17日の朝、神戸市垂水区にいた。五色塚古墳に近いうちからは、明石海峡と淡路島が見えた。だから、地震の後、立ち上がって窓から見た海は震源辺りだったのだと思う。窓からは薄暗く淡路島が見えた。予震のようなものは一切感じなかった。 断層の延長線上になかった垂水区は長田以東よりも被害は少なかった。すさまじい音がしたので食器がたくさん割れたのはわかっていた。薄暗い中をしばらくじっとしていた。 窓の外が少し明るくなってきた。少しガスくさい

偶然出会えたら

Clubhouseでもなんでも、長い自己紹介を話す人がいる。プロフィールで十分なのに。あるいは他の人とのやりとりとして少しずつ話せばよいのに。長い自己紹介ではなく、そこまでの話のどこを面白いと思い、何を付け加えたいかを短く伝えることから始めればよいのに。 Clubhouseでモデレーターになった人は、一定のタイミングで「この場はどんな人がなんの話をしているか」という背景を話すとよいのに。ラジオの野球の実況中継でアナウンサーが一定のタイミングで「いま試合はどこまで進んでいて得

ピノキオ

知り合いに勧められて韓国ドラマの『ピノキオ』を観た。イ・ジョンソクは魅力的だし、パク・シネも可愛いし、面白かった。勧めてくれた知人に感謝したい。 物語とは何だろう。その本質の一つに「何かを失い、何かを得る」がある。その意味で『ピノキオ』の脚本はとても良く出来ている。主要な登場人物は、誰もが何かを失い、何かを得る。思い返せばアーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』もそうだった。J・R・R・トールキンの『指輪物語』もそうだ。 『指輪物語』の中での例外は、最後に旅から帰還する

noteでの1年

2020年3月2日から1年が経った。 2020年の2月末、新型コロナの状況を踏まえ、毎週、週に3日は行っていた岩手での仕事を完全にオンラインに切り替えた。noteで「Zoomを使おう!(初級編) ~スマホでZoomに入るまで~」を公開したのはそのタイミングだ。以降、テレワーク中心の生活を続けている。 3月の出社日数は5日程度だったはずだ。新年度に入った4月からはまだ一度も事務所には行っていない。 noteの投稿もこの記事を境にしばらく毎日投稿していた。 この記事には公

つくれぽ的エピソードWIKI

Facebookで、何年か前に投稿した写真が自動再生された。 考え事をするときは、『スマートノート』上でしている。だからノートのメモは、『スマートノート』の記法に従い、[右ページ中央から下へ]→[右ページ中央から上へ]→[左ページ上から下へ]→[あとは隙間へ] という順番になる。 Facebookが自動再生した写真は、知人とワークショップをして、そのときに話したことを振り返りながら書いたときのメモだ。上述の通り、メモの記述は普通とは異なる順になっている。 メモの内容は、

瞳孔刺激

デズモンド・モリス「マンウォッチング」は好きな本だった。その中に瞳孔に関する記述がある。 デズモンド・モリスが瞳孔について書いたとき、まさか、カラーコンタクトなんてものが使われるようになるとは思っていなかったのだと思う。しかし、カラーコンタクトの出現により、瞳孔信号に関して「顔の信号の中の容易にうそをつくことができない信号」とは言えなくなった。 もちろん、そういうものの可能性を示唆する記述もある。同じ本の下巻の「超正常刺激」の項では、つけまつ毛を「目の大きさとまばたきを誇

ソクラテスよ

中村雄二郎「臨床の知とは何か」を読み終えたときのこと、読み終えた本を横においてメモを書いていたら「何読んでたの?」とドロシーに聞かれた。 「経験とはなにかとかの本」と答えるとドロシーはかく語った。 揚句に歌いだした。ドロシーは歌がうまい。 そして日本の景気回復の現状についてとうとうと語りはじめた。滔々とは勢いよくとどまるところを知らないことなどをあらわす。 中村雄二郎「臨床の知とは何か」だが、臨床という言葉が使われているが、著者のいう「臨床の知」は、広義として医療に限

エイの変な顔

エイって変な顔をしてるよなぁ。ちょっと怒っているのかなぁ。「俺はプンプンだぜ」というフリだけかもしれないけれど。 そして時々、ほげ~っとしている。 そういうものに私もなりたい。

フレンチドレッスィング

ある時期の我が家の定番。以下は冷蔵庫に貼り付けてあったメモ書きレシピより。 サイコロ状に切った人参・きゅうりに、コーン、トマト、パセリ、ハム、カッテージ・チーズを加えた野菜サラダにかけて食べる。 ケイパーは、酢漬けのピクルス状になっているものとのこと。人参はあらかじめゆでておくとのこと。コーン缶のコーンはザルにあげ、10分ほど水気を切っておくとのこと。きゅうりはサイコロ状に切ったあと冷水につけ、パリッとさせるとのこと。 写真は、メモ書きレシピの記入者であるドロシーが、以

わかるということ

畑村洋太郎氏が以前こんなことを言っていた。 『直感ではなく直観』、『「直感」とは不断の練習』。畑村さんらしい言葉だ。そして少し耳が痛い。 直感に頼るのではなく、直観を育くむ。そんな風にありたい。

ひとりでRUN伴(3)

NPO法人認知症フレンドシップクラブが9月-10月に主催した「ひとりでRUN伴」は終わってしまったが、11月もひとりで続けている。 今月からは走った距離だけではなく、歩いた距離やサイクリングなどエクササイズとしてカウントされる距離も入れることにする。 ルールはオレが決める。少年ジャンプの主人公のようにそういう台詞は言ってみたいものだ。 11月の累計距離は157.76 km。休んだのは体調がちょっとよくなかった24日~27日の4日間だけだったから、まぁまぁだったかな。

プロット

WHOが公表する日本の新型コロナの新規感染者数の推移を自分でプロットして定点観測している。これは片対数でプロットしたもの。緑の線は同じ傾きで描いたもの。 今週末に頼まれていた名古屋での予定は先方と相談して中止にした。頼まれていたのは「『旅のことば 認知症とともによりよく生きるヒント』の使い方を自組織内の教育に使いたいので、管理職向けに話していただけませんか?」というありがたいものだったが、「春まで待ってからやりませんか」とご相談させていただき、了承してもらった。 私自身は

ひとりでRUN伴(2)

ダイエットには名目が必要だ。名目は「モテたい」とか「健康のため」とか「長生きしたい」とか何でもよいわけだが、なんの名目もなく始まるということはない。 名目は名目であり本音とは違ってもよい。「身体が重い」、「醜い自分の腹にはうんざりだ」というのが真の理由であったとしても、それを公言したいかどうかはまた別の話だ。第一、他人の醜い腹の話など好んで聞きたがる人はいない。 「ひとりでRUN伴」は名目である。美しい名目である。RUN伴はNPO法人認知症フレンドシップクラブが主催するイ