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ソクラテスよ

中村雄二郎「臨床の知とは何か」を読み終えたときのこと、読み終えた本を横においてメモを書いていたら「何読んでたの?」とドロシーに聞かれた。

「経験とはなにかとかの本」と答えるとドロシーはかく語った。

答えのないことを考えるな、コラぁ。どうせ考えるんだったら、どうやったらもうちょっと給料が増えるかどうかを考えろ。

税金だって高い。わかってんのか? それにだ、散歩をもっとしっかりサボらずやれよ。ごちゃごちゃ屁理屈ばかり捏ねるんじゃない。

揚句に歌いだした。ドロシーは歌がうまい。

ソ、ソ、ソックラテスかっ、プラトンかあぁ~♪ 
ニ、ニ、ニーチェか、サルトルかぁ~♪

そして日本の景気回復の現状についてとうとうと語りはじめた。滔々とは勢いよくとどまるところを知らないことなどをあらわす。

【語義】滔滔(とうとう)
 (1)勢いよく流れ、とどまる所を知らないことを表す。
 (2)[意見・主張などを]臆することなく、よどみ無く一気に
   発表することを表す。
 (新明解国語辞典より)


中村雄二郎「臨床の知とは何か」だが、臨床という言葉が使われているが、著者のいう「臨床の知」は、広義として医療に限定されたものではない。

近代科学が、主観と客観、主体と対象の分離・断絶を前提しているのに対し、<経験>というものについて考えようとするとき何を考慮すべきか、についてのノートといってもよい。近代科学の3つの原理、<普遍性>、<論理性>、<客観性>と対峙する形で、<コスモロジー>、<シンボリズム>、<パフォーマンス>を提示し、<経験>の仕組みと働きを問うている。

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