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記憶
もうずいぶんと経ってしまった。
1995年1月17日の朝、神戸市垂水区にいた。五色塚古墳に近いうちからは、明石海峡と淡路島が見えた。だから、地震の後、立ち上がって窓から見た海は震源辺りだったのだと思う。窓からは薄暗く淡路島が見えた。予震のようなものは一切感じなかった。
断層の延長線上になかった垂水区は長田以東よりも被害は少なかった。すさまじい音がしたので食器がたくさん割れたのはわかっていた。薄暗い中をしばらくじっとしていた。
窓の外が少し明るくなってきた。少しガスくさい気がした。玄関から表に出ると外にはmotoさんが立っていた。
隣の3階建てのアパートの屋上のタンクから水がじゃーじゃーと流れていた。近所の家の瓦はみな落ちていた。屋根に登っている人がいた。「危ないなぁ」と思った。いずれにせよ、自分たちがいる垂水が一番ひどい状態なのだと理由もなく思っていた。
motoさんが「公衆電話ならかかるぞ」と言った。埼玉の実家にいたドロシーに電話をした。6時半頃だったと思う。「神戸で地震だ」と言った。よくわからないようだった。「とりあえず無事だから心配しないで」と伝えた。
家族向けの社宅だったのでロビーに会社の人たちと集まってきた。どうするかを話した。「会社(工場)に行こう」という話になりかけたとき、部長の一人、赤松さんがこう言った。「これは、尋常でないことが起きたのだと思う。尋常でないことだとすれば、家族が第一だろう。会社に行くには車が必要だが道を混雑させるばかりだ。とにかく何が起こったのかがわかってから行動しても遅くないだろう。」我々は会社に行くのを止めた。ほっとした。
赤松さんのあの時の判断は正しかった。明石の単身赴任寮にいた人たちは、会社(工場)を見に行き、建屋の中に入ったという。それは誤った判断だった。
雪のようなものが舞っていた。灰だと気が付いた。どこかで火事が起きているんだと漠然と思った。須磨山が小さく噴火したような白い煙をあげていた。長田が燃える煙が噴煙のように見えていたのだろう。部屋に戻ると、アップライトピアノの足が畳に突き刺し、傾いた状態で止まっていた。
地震は今も怖い。
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