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ピノキオ

知り合いに勧められて韓国ドラマの『ピノキオ』を観た。イ・ジョンソクは魅力的だし、パク・シネも可愛いし、面白かった。勧めてくれた知人に感謝したい。

物語とは何だろう。その本質の一つに「何かを失い、何かを得る」がある。その意味で『ピノキオ』の脚本はとても良く出来ている。主要な登場人物は、誰もが何かを失い、何かを得る。思い返せばアーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』もそうだった。J・R・R・トールキンの『指輪物語』もそうだ。

『指輪物語』の中での例外は、最後に旅から帰還するサムぐらいのものだ。それでも、アンチテーゼの象徴として真の主人公であるかもしれない彼もまた、フロドを失ったと言えるのかもしれない。

日本のテレビドラマをあまり見なくなってしまったのは、そのような物語性にきちんと向き合っていないと感じるからかもしれない。倍返し・三倍返しとエスカレーションされても困るのだ。少年ジャンプの戦いが、中盤以降ひたすらインフレーションしていくことにも似ている。そしてそれはどこか虚しくて哀しい。中学生の頃に流行った鉛筆戦争の軍拡競争のようだ。やがて食傷してしまう。

圓朝の『牡丹灯籠』を読むと新三郎とお露はなぜかたった数ページでの間で熱烈な恋に落ちてしまう。それでよいのだ。その飛躍が物語を展開させる。因果は巡る糸車。得たもの・失ったもの、旅立ちと帰還、偶然と必然、因果と飛躍。同じテンプレートであればそちらの方がずっと豊かかもしれない。

ということで、ピノキオの次は『ドクター異邦人』を観た。うーん、『ピノキオ』に比べると物語としては微妙。でもイ・ジョンソクは魅力的だし、カン・ソラとか頑張っているし、結局、最後までみてしまうのだ。


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