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「しゃくとり虫」はレオ自身

【スキ御礼】歳時記を旅する27〔尺蠖〕前*尺とりの尺とりやすき方へ行く

絵本『ひとあし ひとあし』の作者レオ=レオニは、主人公に「しゃくとり虫」を選んだことをこう語っている。
「弱い立場にある小さな主人公が自らの知恵で生き抜いていくさまを描いていて、そこには自伝的な意味も含まれている」

この「自らの知恵」「自伝的意味」とは何だろうか。

レオ=レオニは、1910年にオランダのアムステルダムでユダヤ人の家系に生まれた。レオは幼い時から両親の仕事の関係でヨーロッパ、アメリカを転々として育ってきた。
レオは21歳のときイタリアにおり、18歳のノーラ・マッフィと結婚した。
妻ノーラの父は著名な医者で、」イタリア共産党の創立メンバーのひとりでもあり、厳しい政治的弾圧を受けていたという。
レオと妻ノーラもまた、反ファシスト的思想を持つことを知られていたという。
翌年、長男のマニーが生れるが、この頃はまだ将来の展望が見えず、仕事も住まいも転々としていた。

レオは25歳のとき、イタリアの大手の製菓会社の広報部でデザイン関係の仕事に就き、デザインの仕事で生きていくことを決意する。
そしてミラノにデザインの個人事務所を開設する。

この頃イタリアは、ムッソリーニのもとでファシズムが激しさを増し、ナチス=ドイツと接近した。
レオが28歳の年には、イタリアのユダヤ人に向けて人種差別法が公布された。
ユダヤ系であったレオは、身の安全にも不安を覚えるようになり、ヨーロッパを脱出してアメリカに旅立つことになる。

絵本では、主人公のしゃくとり虫は、はじめ、こまどりの尾を測ってあげるところから始まる。
こまどりは喜んで、ほかの鳥たち、フラミンゴ、おおはし、鷺、雉、はちどりにしゃくとり虫を連れてゆく。

これは、レオがデザイナーとして独立して事務所を開設し、元の職場のデザイナーや顧客などから満足を得て、その人の紹介で次々に顧客を紹介してもらっている様子にも思える。

絵本では次に、しゃくとり虫がナイチンゲールに出合い、「私の歌を測ってごらん、でないと朝ごはんに食べちゃうよ。」と言われる。

歌という目に見えないものを測れ、というのだ。
これは、ファシズムという目に見えない思想のもとで、お前は仕事ができるわけがないだろう、とレオが何者かに言われている姿のようにも思える。
仕事をできなくして殺すぞ、とまで言われているのである。

絵本の最後は、しゃくとり虫は「やってみるよ」と言って、ナイチンゲールに歌を歌わせている間に、ひとあしひとあし"測りながら"いなくなってしまう。

レオは、ファシズムに抵抗することもなく、イタリアでの仕事を捨てて、妻と子供を残して、単身でニューヨークに旅立つ。

しゃくとり虫は、ナイチンゲールから離れてゆくときは逃げるのではなく、
「ひとあし ひとあし」「はかりに はかった‥‥‥」となっていて、相手の望みどおり仕事をしている。

しゃくとり虫の仕事は、長さを測ること。
レオの仕事は、デザインを描くこと。

レオは、ファシズムから逃れるためにイタリアを離れることになる。
それでも、イタリアでようやく身に着けたデザイナーとしての仕事は、ニューヨークに行っても続けてゆこうとする気持ちが見えるようである。

「自らの知恵」とは、身を守りながらデザインの仕事を続けるためにイタリアを離れること。
「自伝的意味」とは、妻子をイタリアに残してまでニューヨークに移るという、自身にとって大きな決断をしたこと。
そう思えた。

絵本のタイトルが『ひとあし ひとあし(Inch by Inch)』なのも、作者レオの人生の転機となる時期の強い決意の表れだったのではないかと思うのである。

☆絵本の紹介は、風の子 さんのレビューを拝借いたします。

(岡田 耕)

*参考文献
作/レオ・レオニ 訳/谷川俊太郎『ひとあしひとあし』好学社 1975年
森泉文美 松岡希代子『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社 2020年
松岡希代子『レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人』美術出版社 2013年

ありがとうございました。
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